輪廻の風 3-69
500年前の記憶が蘇ったエンディとラーミアは、しばらく互いを見つめ合ったまま微動だにしなかった。
しかし、遺伝子に深く刻まれ呼び起こされたその記憶は、わずか数秒ほど経過すると着実にぼんやりと薄れ始めていた。
それはまるで、鮮明な夢を見た筈なのに、目が覚め朝を迎えると、一体自分がどんな夢を見ていたのかまるっきり思い出せなくなる現象と似ていた。
それでも、自分の運命を知った2人は、到底言葉では言い表せないような感慨に浸っていた。
「私…夢を見ているみたい。」
「勝手に夢なんかで終わらせるなよ、これはれっきとした現実なんだから。」
2人は言葉を交わし、再び黙ったままお互いの目を見合っていた。
そして、自分たちがやるべきことを本当の意味で理解した。
魔界城一階では、魔族の残党と各国の連合軍が、数万人規模の大激闘を繰り広げている。
優勢なのは、光を取り戻すべく立ち上がった連合軍側だった。
500年前の天生士達が討ち損なった冥花軍(ノワールアルメ)は壊滅。
蝿の王ベルゼブは、ノヴァとエラルドによって撃破された。
魔族は今まさに、種の存亡が脅かされるほどにまで追い詰められていたのだ。
これもひとえに、バレラルク王国の戦士達の奮闘の賜物である。
彼らの勇姿が、人々の心を突き動かしたのだ。
そして、その中心には常にエンディがいた。
強敵は、残すところ敵の首領にして魔族の始祖のヴェルヴァルト大王のみ。
ヴェルヴァルト大王は、倒せる未来が思い浮かばぬほどに異次元の強さを誇っている。
それでも、不思議とエンディはちっとも恐くなどなかった。
背には頼もしい仲間達。
双肩には戦いの中で殉死した人々の想い。
ユラノスに託された力。
トルナドから受け継いだ意志。
隣にはラーミア。
恐れるものなど、何も無かった。
総勢10名の天生士と、数名のバレラルクの戦士達。
彼らは遂に、ヴェルヴァルト大王のいる最上階へと辿り着いた。
エンディとラーミアは先頭を歩いていた。
一糸乱れぬ英雄達の行進は、壮観そのものだった。
今というかけがえのない時代を生きる新たな戦士達は、巨悪を討つべく、それぞれの想いを胸に抱き、全ての準備を整えた。
最終血戦は、遂に終幕を迎えようとしていた。
陰と陽。光と闇。
2つの相反する力は、世界の命運を大きく二分化した。
「また立ちはだかるか…愚かなる天生士共よ。世界など既に我が領土。郷に入ったら郷に従うべきだぞ?お前達はとうの昔に敗北しているのだからな。また犬死にしたくなければ、大人しく余に跪けばいいものを。」
ヴェルヴァルト大王は、不遜な笑みを浮かべながら悍ましい声色で言った。
「屈しないさ、俺たちは誰も。敗ける事に慣れて、戦うことをやめて、声を上げることすらせず、服従の道を選べば生存権も保障されるし、楽かもな。だけど…そんなもんは本当の自由じゃない!人はまやかしの中じゃ、心から笑うことも幸せを見つけることもできない!だから俺たちは…また生きてみんなで太陽の光を浴びるためにお前と戦い続けるんだよ!おいヴェルヴァルト、俺たちの覚悟をみくびるなよ?お前を倒すと決めた時から、命なんてとっくに捨ててんだよ!」
エンディは、闇に覆われた空に浮かぶヴェルヴァルト大王の巨大で不気味なシルエットを直視しながら叫んだ。
「命を捨てる…か。聞こえは良いが、所詮は愚者の自惚に過ぎない。そんなものは崇高な精神でもなんでもない。弱者が語る理想論ほど無価値なものは無いと知れ。そもそも、世界など元より、救いようのないほどに汚れているではないか。余はこの空虚な空間を少し血染めにしただけ。この取るに足らぬ下らぬ世界で退屈そうに生きている人間どもに、ささやかな余興を与えただけだ。どうせなら、お前達も最期まで愉しめば良いものを。」
ヴェルヴァルト大王はエンディの決意を踏み躙るようにいった。
しかし、それでもエンディは折れなかった。
「汚れた世界?くだらない世界?ああ、大いに結構だ!生きるって事は綺麗事だけじゃ済まされない。だからこそ楽しいんだ!何も無いなら、自分で何かを見つければ良い!そこから何かを生み出せたなら、誰かに分け与えれば良い!毎日自分に恥じないよう真っ直ぐガムシャラに生きてれば、心から笑えるはずだ!なんにだって成れる!」
エンディは自信に満ちた清々しい笑顔で言った。
すると、カインはちらっと愛娘のルミノアに視線を向けた。
ルミノアは、こんな状況でもアマレットの腕のなかで健やかに眠っていた。
カインは慈愛に満ちた眼差しをルミノアに向けたかと思ったら、今度はキッと鋭い眼光ですヴェルヴァルト大王を見上げた。
「命は産まれる…。今こうしている間にも、どこかで新しい命が誕生しているんだ。つい最近までガキだった俺たちも、気が付けば護られる側から護る側になっていた。俺たちは、繋いでいかなきゃならねえんだ。だから生きなきゃならねえ。何がなんでもこの戦いに勝たなきゃならねえ。一端の大人ならよ、右も左もわからねえガキどもの背中を何回押してでも"生き抜け"って教えるもんだろ?」
カインは愛娘のルミノアの健やかな成長と、未だ見ぬ若き命達の安寧を願いながら言った。
カインは今日まで様々な修羅場をくぐり抜け、人の親となり、とても18歳には見えない貫禄を出していた。
「お前達をそこまで駆り立てるものは何だ?一体何をそんなに護りたいのだ?国か?世界か?人か?未来か?」
ヴェルヴァルト大王は理解に苦しむような表情で尋ねた。
すると、エンディはなんの迷いもなく即答した。
「今。」
それは、いつだって前を向いて生き、今この瞬間を精一杯に走り続けるエンディらしい答えだった。
ヴェルヴァルト大王は、更に理解に苦しんだ。
「今の時代を生きる俺たちが戦わないで、一体誰が戦うんだよ!!」
エンディは言った。一点の濁りもない澄んだ目で。
「お前は絶対に未来に遺さねえ。刺し違えてでも、ここで確実に潰してやる。」
カインはサッとエンディの横へ行き、そう言った。
「どうやら、お前達とはまともな議論すら出来ぬようだな。人間とはつくづく脆くて弱い、哀しい生き物だ。良いだろう…2度と生まれ変われぬよう、魂諸共滅してくれる!まずは貴様だ!」
ヴェルヴァルト大王は、まずラーミアに狙いを定めた。
天生士の中で、ラーミアが最も厄介な能力を有していると断じたからだ。
さらに、ラーミアが死ねばエンディの心が折れると踏んでいた。
その判断は正しかった。
最も厄介でありながら最も戦闘能力が低いラーミアを、ヴェルヴァルト大王が第一の標的と定めるのは必至だった。
ヴェルヴァルト大王は悍ましい顔つきで羽根のない両翼を羽ばたかせ、ラーミアに向かって勢いよく上空から急降下してきた。
体長30メートルを超す巨体の落下に、エンディ達は緊迫感に包まれながらも即座に身構えた。
エンディは、身を挺してラーミアを護ろうとし、ラーミアの前へと出ようとした。
しかしラーミアは、そんなエンディよりも更に一歩前に出た。
ヴェルヴァルト大王を相手に臆することなく立ち向かおうとするその姿勢に、エンディは肝を冷やしてしまった。
ラーミアは、自身の両手を急降下してくるヴェルヴァルト大王に翳した。
「隔世憑依 聖なる祈り(オーブプリエール)」
ラーミアがそう唱えると、その両手からは朝靄のような白い光が放たれた。
光の照準が当たったヴェルヴァルト大王は、あまりの予想外の出来事に思考が停止してしまい、自身の動きまでも急停止してしまった。
純白の光に包まれたヴェルヴァルト大王は、両手で頭をおさえながらこの上なく苦しそうなうめき声を発していた。
「貴方の闇の力の一部を消滅させたわ。これでもう、自慢の超速再生能力は使えない…!」
ラーミアは額から一雫の冷や汗を垂らしながら、勝ち誇ったような表情でそう言った。
「おのれぇ…貴様…小癪な真似を…!許さん!絶対に許さんぞ!!」
ヴェルヴァルト大王は、今にも暴れ出しそうな勢いで怒り狂っていた。
その怒りぶりは、こめかみから脚、丸太のよな尻尾、全身の細部に至るまでに太い血管が浮き出ているほどであった。
この世の生物とは思えないほどに硬い皮膚。
ようやくその肉体に傷をつけれるほどの攻撃を繰り出しても、すぐに超速再生能力により傷は塞がり、蓄積されたダメージまでも瞬時に癒えてしまう。
しかし、ヴェルヴァルト大王が有する中で最も厄介だといっても過言ではなかった、その超速再生能力の機能は完全に停止したのだ。
エンディ達に、微かな勝機が見えた。
エンディは、目の前で起こった出来事に呆然としていた。
すると、カインがエンディの右肩にポンと手を置いた。
「行けよ相棒。この戦い、先陣切るならお前しかいねえだろ?」
カインは優しく語りかけるように言った。
「おれが…?」エンディは、まだ少しばかり心ここに在らず状態だった。
すると、今度はノヴァがエンディの背中を強く叩いた。
「ほら、ぼさっとしてんじゃねえよ。お前の他に誰がいんだよ?」
そして、最後にラーミアがエンディの右手を両手でギュッと握った。
「エンディ、大丈夫だから…。」
ラーミアのこの言葉が、エンディの心に火を灯した。
エンディは深呼吸をし、まずは呼吸を整えた。
そして先頭に立ち、凛々しい顔つきで後ろを振り返った。
「みんな…やるぞ。準備は出来てるか??」
どうやらエンディの問いかけは愚問だったようで、返事をする者は1人もいなかった。
皆の士気は充分だった。
程よい緊張感に包まれながらも、ほとばしる闘気とみなぎる活力を抑え込めず、戦いの時を今か今かと待ち侘びているようにすら見えた。
その様子を見たエンディは、嬉しそうにニコリと笑った。
サイゾーとエスタ、ジェシカとモエーネは、自分達の実力不足さを自覚し、皆の足を引っ張らぬようロゼの護衛をしつつこの戦いを見届ける決意をした。
ルミノアを抱いたアマレットは、エンディ達の救護にあたるラーミアを全力で援護することに尽力しようと決意をしていた。
ダルマインとクマシスは、物陰に隠れガタガタと震えていた。
「よし…いくぞーー!!」
エンディは全身に金色の風を纏い、ヴェルヴァルト大王に向かって飛び立った。
誇り高き風の戦士が先陣を切り、開戦の狼煙は上がった。
遂に最期の闘いが始まった。
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