輪廻の風 3-71



人体のみぞおちから下が欠損したアベルは、いまにも息絶えそうな苦しそうな顔で倒れていた。

カインは大慌てでアベルの元へと走った。

「アベル…アベル!お前…どうして…おいラーミア!早く来い!アベルを治してくれ…頼む!」

カインは冷静さを欠き、取り乱していた。
それこそ、誰の目から見ても分かる程に。

名指しで呼びつけられたラーミアはビクッとしてしまった。
そして、カインに言われるがままアベルの元へと急いで駆け寄った。

身体の大部分を失ったアベルの変わり果てた姿を見たラーミアは、その余りにも痛ましい姿を直視できず、思わず目を背けてしまった。

そして、自身の能力を以ってしてもアベルを救うことは不可能だと悟った。

それは、アベル自身も然り。


「頼むラーミア…アベルを治してくれ!お前なら出来んだろ??なあ、頼むよ…弟なんだよ。たった1人の弟なんだよ!!」
カインは地面に拳を叩きつけながら懇願した。

「兄さん…もう無理だよ。自分でも分かる。僕はもう…死ぬ。」
アベルは今にも閉じてしまいそうな瞼を気力のみで開き、力なきか細い声で言った。

「アベル…何でだよ…なんで…。」

「兄さん…僕が死んだら…悲しいの?」
アベルは尋ねた。

アベルは幼少期から、優秀な兄カインに対して劣等感を抱き、何年も苦しみ続けていた。

一度はカインを殺そうとさえしたことがあるほどに、兄弟間には大きな確執があった。

しかしユドラ帝国での決戦から2年が経過し、カインとアベルは少しずつではあるが打ち解けていった。

本当の意味で分かり合う事はなくとも、気まずそうにぎこちない会話を交わそうとも、そこに憎しみは既になく、互いをかけがえのない兄弟だと認識し合っていたのだ。

アベルは、自身の死を悲しむ兄カインの姿が想像出来なかった。

だから死を前にした今、カインの取り乱しぶりを見て意外に思っていたのだ。

「当たり前だろ…お前は大事な弟だ!弟が死んで悲しまねえ兄貴なんているわけねえだろ!」
カインは、何の迷いもなく答えた。
それは紛れもない本心であった。

アベルは嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
微かに開いた両目から大量の涙をこぼし、嬉しそうに笑っていた。

「ありがとう…兄さん…。そんなこと言ってくれて…本当に嬉しいよ…。僕の人生捨てたもんじゃなかったなあ…。兄さんはね…僕にとって本当に自慢の兄だよ。だから死なないでね、兄さん。アマレットとルミノアちゃんと…幸せにね…。」

アベルは最期の力を振り絞って、カインに初めて本心を言った。

声がどんどん小さくなっていく様に、不本意ながら生々しく思ってしまった。

水の天生士メルローズ・アベルは死んだ。

カインはアベルのかすかに開いた両眼の瞼をそっと触り、目を瞑らせた。

「バーカ…お前こそ、自慢の弟だよ。ありがとな、アベル。」

出来ればこんな言葉は、生前に聞かせてあげたかった。

悔やんでも悔やみきれぬほど感情が湧き上がり、カインは弟の死を看取った。


そして先ほどまでのカインとは対照的に、エンディは取り乱すことも狼狽えることもせず、右胸から脇腹が抉り取られた瀕死のアズバールを茫然と眺めていた。

一体、なぜかつての宿敵であり、今でも悪人としての道を歩み続けているアズバールが自分を庇ったのか。

自分以外の誰かのために動くアズバールの姿など、誰一人想像すらできなかったのだ。

魔族さえいなければ、生きている限り必ずバレラルク王国に敵対してくるこの男が、なぜこの様な行動に出たのか。

エンディは理解ができず、困惑してしまっていた。

「アズバール…お前、なんで?何で俺を助けたんだよ…?」
エンディは恐る恐るアズバールの顔を覗き込み、震える声で尋ねた。

「ククク…さあな。体が勝手に動いたまった。」
死にかけて虫の息のアズバールは、不思議とどこか清々しい顔をしている様に見えた。

「アズバール…ありがとう。」
エンディはしゃがみ込み、アズバールの顔を見ながら礼を言った。

アズバールがもう長くはないと悟ると、かつての敵とはいえども情が湧き、必死に涙を堪えていた。

わざわざしゃがみ込んだのも、少しでもアズバールと同じ目線に立ちたいと願うエンディの意思の現れだった。

改まって礼を言われたアズバールは、こそばゆい気持ちになった。

「ククク…悪くねえ気分だ。戦いの中で死ねるのなら本望…ようやく願望が叶ったぜ。まあ悔いがあるとすれば…てめえにぶっ殺されるヴェルヴァルトの無様な姿を拝めねえことだな。」

アズバールは、まるでエンディの勝利を信じて願っている様な口ぶりだった。

若い世代に全てを託して死ぬ。
こんな死に様も悪くはないなと、アズバールは思った。

アズバールは眠る様にゆっくりと目を閉じ、42年の生涯の幕を閉じた。


アベルとアズバールの死に心を痛めたエンディは、改めて戦争の非情さを知った。


死にゆく同胞を弔うこともできず、悲しんでいる暇すらなく、屍を越え、命の限り戦いを辞めてはならない。

死した者の無念を背負い、最後の最後まで黙して戦い続ける事こそが真の餞である。

どちらが正義でどちらが悪か、どちらが官軍でどちらが賊軍か。

議論をしても永久に答えの出ない人類の永遠のテーマと呼ぶべき目の前の現実に、エンディは自問自答を繰り返していた。

きっと、勝者であろうと敗者であろうとも、争いの中で死んだ者は須く英雄なのだと、エンディは自分なりに一つの答えに辿り着いた。

エンディは気を引き締め、再び臨戦態勢を整えた。

すると、弟を殺されたカインが憤怒の表情でエンディの横に並んだ。

「フハハハハ!次はお前達だ!さてと、ゆるりと殺していこうか。安らかに眠れ、くるしゅうないぞ!」

ヴェルヴァルト大王は、次なる標的をエンディとカインに定めた。

「はっ…いい笑顔してるじゃねえかよ、大王さんよ。悪いが、こっちはてめえに安らかな眠りなんて生ぬるいもん用意するつもりはねえぜ?」

「あいつらの生き様はしっかりと見届けた…もう誰も死なせねえ!」

エンディとカインは、毅然とした態度で勇敢にヴェルヴァルト大王に立ち向かう姿勢を見せた。













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