輪廻の風 3-75
「見事。だが余が死んでも…本当の意味でこの世から闇が消えることはないぞ。光ある処に闇在り…光が大きければ大きいほどに闇もまた大きくなる。陽の当たらぬ場所でしか芽吹くことの出来ぬ植物もある。深海でしか棲息できぬ生物もいる。世界は表裏一体でなければ、均衡を保てず崩壊する様に出来ているのだ。暴力という絶対的な抑止力を失った世界は混沌と化すだろう。首輪の外れた悪党達が蔓延り歯止めの効かなくなった世界を、これから生きることができるのか?」
ヴェルヴァルト大王は、自身の肉体が消滅の一途を辿っている際に、エンディに問いかけた。
それは、エンディにしか聞こえないほどに小さい声だった。
「望むところだ。」
エンディは強い眼差しで、何の迷いもなくそう答えた。
「魔族万歳。」
ヴェルヴァルト大王はニヤリと笑ってそう言って、その肉体はサーっと砂の様に自壊していった。
全てが終わり、エンディは肩の荷がおりたように、この上ない安堵感を感じていた。
しかしそれ以上に疲労感がピークに達しており、膝からがくっと崩れ落ちた。
ふらふらと緩やかに倒れゆくエンディを支える様に受け止めたのは、ラーミアだった。
ラーミアはエンディを強く抱きしめ、顔をくしゃくしゃにしながら、全ての感情を曝け出す様に大泣きをした。
「エンディ…良かった…本当によかった…!お帰り、エンディ!」
エンディは何も言葉を発さず、静かにラーミアを抱きしめ返した。
すると、重厚な闇に覆われた空が、みるみるうちに薄れていき、太陽の光が溢れてきた。
陽の光は徐々に大きくなり、やがて闇は完全に消え去った。
戦士達は空を見上げ、太陽の光を浴びた。
長い長い夜が明け、太陽が戦いの終焉を祝福している様だった。
世界から闇は完全に払拭され、エンディ達がいる南半球の者達は、思う存分太陽の光に身を浸した。
北半球の者達は夜の雑踏の中で月を探し、月明かりに心を奪われていた。
戦いが終わった。
世界中から歓喜の声が聞こえてきた。
喜びの絶叫により強大な超音波が発生し、地球はひび割れそうになった。
感涙する者達も数多くいた。
その涙をかき集めれば未曾有の大洪水が巻き起こり、大陸が沈没してしまう恐れがあるほどであった。
ヴェルヴァルト大王の死により、世界に存在していた闇の力のその全ては効力を失い、消滅していった。
幹部であった冥花軍(ノワールアルメ)を含めた魔族の死体、魔界城にて生存していた数万体の魔族の戦闘員達の肉体は、ヴェルヴァルト大王同様に、砂の様にサーっと崩壊してしまっていた。
そしてそれは、2年前に自らの肉体に闇の力を注入したイヴァンカも然り。
胸部に大きな風穴が空いたイヴァンカは血塗れの状態で倒れており、その状態のまま崩壊しゆく自身の肉体を眺めていた。
他の者達が太陽の光を浴びて歓喜する中、エンディとラーミアはイヴァンカに歩み寄っていった。
自力で歩く余力のないエンディは、ラーミアに肩を貸してもらっていた。
2人はゆっくりと歩み、イヴァンカの目の前で立ち止まった。
死がすぐそこに迫っているというのに、イヴァンカは一切動じておらず、清々しくすら見えた。
「何を…しにきた…?無様だと…笑いにきたのかい…?」
イヴァンカは力なき声で尋ねた。
エンディにとってイヴァンカは両親の仇であり、一族の仇。
最も恨むべき存在だったのだ。
しかし、エンディはイヴァンカの死に対して喜びの感情など一切なく、不思議と悲しみの感情が僅かながら有ったのだ。
「笑わないよ。なんて言うか…お前の最期を看取るのは、俺の役目の様な気がしてな。」
エンディはそっぽを向きながら、どこか照れ臭そうに言った。
イヴァンカは、エンディのこの発言に驚きを隠せなかった。
するとその場に、カインも現れた。
カインもまたエンディと同様に、イヴァンカには長年苦しめられ心に深い傷をおわされたが、イヴァンカの死に喜んでいる様子はなく、どこか悲しげな表情でイヴァンカを見下ろしていた。
「エンディ…カイン…私が死んだら…嬉しいかい?」
イヴァンカが尋ねた。
なぜこの様な問いかけをしてしまったのか、イヴァンカは自分自身でも分からなかった。
「嬉しくないよ。」
エンディは優しくそう答えた。
一方でカインは何も答えず、イヴァンカから視線を逸らした。
すると、イヴァンカは視線をラーミアに向け、徐に右手をゆっくりと挙げた。
ラーミアは咄嗟にイヴァンカに近づき、その手を掴もうと試みた。
しかし、ラーミアがイヴァンカの手を掴もうとした寸前で、イヴァンカの振り上げられた腕は右手からサーっと崩れていった。
「エンディ…また何処かで…戦おう。」
「嫌だね。二度とゴメンだ。」
イヴァンカとエンディは、最期にこんな言葉を交わした。
その後間も無く、イヴァンカの身体は影も形もなく消滅してしまった。
失ったモノは数知れず、得られたモノは余り無い。
しかし、良くも悪くも戦いは終わり、神も悪魔もいないこの世界で、天は笑った。
人類の勝利を祝福する陽の光と月明かりは人々の心に希望を与え、今後の世界の命運を委ねた。
栄えるが正義で、滅びゆくが悪。
人間が正義で、神は善。
それに相反する悪魔は悪。
その答えは誰にも分からず、それを決める権利など誰にも無いが、れっきとした事実が1つあった。
魔族に蹂躙され悲鳴を上げ続けていた世界は、この瞬間から笑顔で溢れかえっていた。
人々は明日や未来への希望を持ち、少しずつではあるが前進していった。
世界中の過半数以上の人間が、この苦境を乗り越えるべく、同じ方向に向かって一斉に前進しようとしたため、5つの大陸の地盤が傾いてしまい、世界地図を書き変える羽目になったとか。
魔界城に馳せ参じた連合軍は、勝利を祝福し歓喜の声をあげた後、大騒ぎをしながら慌ただしく解散した。
各国より集った彼らは、これまでなんのトラブルを起こすこともなく、大急ぎで母国へと帰っていった。
バレラルク人の戦闘員達はその場に留まり、今も尚喜びを噛み締め分かち合っていた。
ロゼは、魔族のいなくなった魔界城最上階から、崩壊した王都ディルゼンの荒廃とした大地を眺めていた。
「さてと…0からのスタートだな。」
ロゼは若干引き攣った笑顔で言った。
国王として、今一度自分の立場と、自身の成すべきことを再確認し、身がひきしまる思いに駆られていた。
「俺について来い!なんて言わねえよ…まだまだ未熟者だけどよ、これから精一杯、みんなを引っ張っていく!だから…少しでいいから、俺に力を貸してくれ!」
ロゼはみんなの前で頭を下げ、国王らしかぬことを口にした。
ロゼの発言と行動には、何の計算もなかった。
本心からこのような事ができるからこそ、彼は民衆から慕われていたのだ。
ロゼが名君としてその威光を全世界にまで轟かすのは、まだ先の話。
すると、そんなロゼの前にエンディとカインが現れた。
エンディはアズバールの亡骸を、カインは実弟アベルの亡骸を、それぞれ両手で抱えていた。
「ロゼ国王、俺からちょっと提案なんですけど…やっと戦いも終わった事だし、これから祝勝会をしませんか?」
エンディのこの発言に、一同はどよめいた。
魔族がいなくなったとはいえ、敵陣の本拠地である魔界城で、それも数多の戦死者の亡骸が乱舞しているこの場所でこの様な案を出すことは、不謹慎極まりないとエンディ自身も重々承知していた。
しかし、エンディはそれらを分かった上で、この様な案を国王であるロゼに提言したのだ。
「エンディ〜、お前なあ。」
ロゼは呆れた顔で言った。
それでもエンディは引き下がらなかった。
「俺、亡くなったみんなを弔ってあげたいんです。戦死者だけじゃない…無抵抗の一般市民も数多く殺された。それも世界中で…。だからこそ!戦いに勝った今、みんなに勝利を伝えたいんです!天国まで俺たちの声が届くように!みんなが安心して眠ってくれる様に!魔族は倒したから…後は俺たちに任せてくれって伝えたいんです!」
エンディは、今にも泣きそうな顔で、声高らかに心情を吐露した。
ロゼは熟考した。
エンディの言い分も理解できるが、やはり死者の埋葬も済んでいないのに祝勝会を開くのは如何なものかと、頭を悩ませていた。
賛否両論ありそうではあったが、他の者達はロゼの決定を待つ様に、とりあえず黙っていた。
「はぁ〜、エンディ、お前ってやつは…本当にイカつい野郎だぜ。」
熟考の末、ロゼは答えを出した。
「せっかく勝ったんだ…いつまでもしんみりしてても何も始まらねえしな。あと、俺…お前のその考え方結構好きだぜ?宴…やっちまおうか!」
ロゼがそう言うと、エンディたちは雄叫びの様な鬨の声をあげた。
「ただし!!宴が終わったら精一杯働いてもらうからな!!弔いと復興作業…色々とやることは山積みだがよ、今はとりあえず楽しもう!!思う存分はじけろ!!天国まで響かせてやろうぜ!!」
ロゼはそう言い終えると、走り出した。
エンディ達も、期せずして彼の後を追って走り出した。
「天国までって…アズバールとイヴァンカは間違いなく地獄行きだろ。」
クマシスはうっかり心の声を漏らし、誰もが思っていたが誰も口にしなかった事をボソリと言った。
その無神経且つ不謹慎な一言に、サイゾーは「おい、よせ!」と小声で注意した。
祝勝会と言っても、流石に敵陣ど真ん中の魔界城では開かれず、一同は魔界城から少し離れた荒野へと移動した。
「え…国王様?」
「なにしてんだ…みんなして…?」
国王ロゼを先頭にして楽しそうに走っているエンディ達を見て、バレラルクの兵士たちは唖然としていたが、彼らもまたすぐにエンディたちの後を追って走り出した。
「何だか知らねえが俺達も走ろうぜ!」
「おう!」「何だ何だ!楽しそうだなあ!」
魔界城の巨大な食糧庫には、魔族達がバレラルクから略奪した新鮮な肉や魚介類、野菜や果物、地酒などが袋に小分けされ敷き詰められていた。
エンディ達はそれらの袋を手に持ち、大はしゃぎしながら魔界城を出て走り回った。
エンディが乾杯の音頭をとり、参加者総勢1万人弱の巨大な大宴会が始まった。
太陽の光りを肴に、彼らは勝利の美酒を酌み交わした。
まさに、天どころか宇宙まで届くほどの大盛り上がりであった。
エンディ、カイン、ラーミア、アマレット、ジェシカ、モエーネ、エスタ、エラルド。
未成年の彼らは酒は飲まず、ジュース類を楽しんでいた。
エンディはラーミアと肩を並べ、楽しそうに談笑していた。
カインは妻のアマレットと愛娘のルミノアの側からずっと離れず、磁石の様にくっついていた。
ロゼ、ラベスタ、ノヴァは酔っ払って肩を組みながら激しく踊っていた。
その様子を、エスタ、モエーネ、ジェシカは腹を抱えて大笑いしながら見ていた。
エラルドとモスキーノは早速酔い潰れ、ぐーぐーといびきをかきながら眠っていた。
バレンティノは、そんな様子を見ながら微笑んでいた。
彼は一見つまらなそうにしているが、実は心底楽しんでいた。
クマシスとダルマインは、若い兵士達に向かって、自分たちは魔族の幹部を撃破したと、武勇伝の様に誇らしげに語っていた。
話を聞いて、2人に羨望の眼差しを向ける若い兵士たちと、冷ややかな視線を向けるマルジェラとサイゾー。
各々時間を忘れて宴を楽しんでいた。
するといつの間にか日が沈み、夜が訪れた。
楽しい時間というのは、あっという間に過ぎ去るものだ。
参加者のほとんどは酔い潰れ、騒ぎ疲れて眠っていた。
食べ過ぎでお腹がはち切れそうに膨れ上がったエンディは、夜空に浮かぶ満天の星空と三日月を見ていた。
そして、自分の肩でスヤスヤと眠るラーミアを横目で見て、そのあまりにも綺麗な寝顔にドキッとし、すぐに目を逸らした。
やっと終わったんだ。
この幸せは絶対に手放さない。
エンディは、改めて強き決意を胸に抱いた。
すると、アマレットが眠たそうな目を擦りながらエンディに近づいてきた。
ルミノアは、アマレットの腕の中で健やかに眠っていた。
「ねえエンディ、カイン見なかった?」
アマレットが心配そうに尋ねた。
「カイン?そういえば見てないな。どこか行っちゃったのか?」
「うん。さっきまでずーっと片時も私とルミノアの側を離れなかったんだけどね、目を離した隙に急に居なくなってたの。」
「全くしょうがねえやつだな。まあ、あいつは放浪癖があるからな。俺ちょっと探してくるよ!」
エンディはサッと立ち上がり、カインを探した。
眠っている者達を起こさぬ様に気を遣い、足音を極力立てず、声も出さず、辺りをキョロキョロと見渡しながらそろーりと歩き続けた。
すると、遠方に見覚えのある金髪の後ろ姿を確認した。
エンディは、あれはカインに違いないと確信し、歩く速度を上げてその場を目指した。
しかしそこに辿り着いても、人っ子一人いなかった。
宴会場からもかなり離れたその場所は、人の気配すらしなかった。
見間違いかなと思い、エンディは来た道を戻ろうとした。
その時だった。
「よう、エンディ。」
背後から聞き覚えのある声が聞こえ、エンディはびっくりして勢いよく後ろを振り向いた。
そこには、穏やかな表情で立ち尽くすカインの姿があった。
「カイン、お前こんなとこで何してんだよ?アマレットが心配してたぞ?早く戻ってやれよ。」
エンディがそう言っても、カインからは何の返答もなかった。
目を凝らしてよく見ると、カインの表情はどこかやつれているように見えた。
「カイン?どうしたんだよ?早く戻ろうぜ?そうそう、すげえ美味い肉があるんだよ!一緒に食べようぜ!」
エンディは瞳を輝かせながら、楽しそうに言った。
まだまだ元気が有り余っている様だ。
しかしカインは、エンディの誘いに乗らなかった。
否、乗れなかったのだ。
「いや…残念だがそれはできねえ。」
「え?何でだよ?」
「命に終わりの時が訪れた様だ。」
カインの身体は、静かに燃え始めた。
「…え?」
エンディは理解が追いつかず、全身の血の気が引いて鳥肌が止まらなかった。
「俺…"あの時"自爆したんだ。体はもうとっくにボロボロで、今見えてる俺の姿のほとんどは炎の力で創った幻影だ。本当は"あの時"死んでる筈だったんだ。だけど最期はどうしても家族と過ごしたくて、頑張って生きてみたんだけど…そろそろ限界みてえだ。」
あの時とは、カインが炎の球体と化してヴェルヴァルト大王に直撃し、大爆発を起こした時のことを指している。
エンディは過呼吸になりながら、よろめく足でカインに近づいて行った。
「俺も欲張りな男だよな。最期にアマレットとルミノアと過ごせたから、もう人生に悔いはねえ…お役御免で人知れず死のうと思ってたんだけどよ…エンディ、やっぱり最期はお前に会いたくなっちまったんだ。」
カインは満面の笑顔で言った。
燃ゆる体は徐々に透けていき、人の形から炎へと変貌を遂げていった。
「2人に伝えておいてくれよ。俺がいなくなっても、泣くのは最初の夜だけにしてくれ…ってよ?」
カインは、遺言ともとれることを言った。
「そんな…嘘だろ?カイン…何で…?」
エンディは泣いた。
声を殺して大泣きした。
消えゆくカインの前で膝をつき、地面に顔を伏せ、言葉にならぬ感情を押し殺すことができず、ひたすらに泣き続けた。
「泣くなよ、死は悲観するものじゃねえ。誰しもに平等に訪れる逃れようのねえ運命だ。俺はその順番が少し早かっただけだ。まあ、唯一つ心残りがあるとすれば…ルミノアの成長を見届けることが出来ねえことかな?」
カインがそう言うと、エンディは泣き腫らした顔をあげ、カインを見上げた。
「カイン…死なないでくれよ…。やっと…やっと仲直りできたのに…お前まだ18だろ…?まだまだこれからだろ…?やり残したことだって…何で…何でだよ!!何でお前が死ななきゃならねえんだよっ!」
エンディは、燃えて消えゆくカインの腰にしがみつき、嗚咽しながら大声で泣き叫んだ。
受け止めきれない目の前の現実を、どうか何かの間違いであってくれ、どうか嘘であってくれ、頼むから夢なら覚めてくれと、神に祈りを捧げ続けた。
そんなエンディを、カインは優しい顔で見ていた。
「俺の人生は幸せだったぜ?心を許せる仲間と出会えて、最愛の女と結ばれて、子宝にも恵まれて、そして何より…エンディ、お前という真の友と出会うことが出来た。今死んでも充分釣りが出るくらい、俺の人生は幸せだった。だからもう泣くな。」
カインは、エンディの頭にポンと優しく手を置いた。
「ありがとうな、俺と友達になってくれてよ。」
「カイン…俺…俺は…!」
エンディは、カインに何かを伝えようとした。
伝えたいこと、言いたいことは山の様にあった。
しかし、悲しみで思考が停止しかけ、言葉に詰まってしまい、別れの挨拶を言うことが出来なかった。
しかし言葉などなくとも、その気持ちはカインにしっかりと届いていた。
カインはその気持ちだけで充分嬉しく、気の利いた言葉など求めていなかった。
「元気でな、エンディ。」
「俺がいつかそっちに行ったら…また一緒に遊ぼうな、昔みたいに…。」
「ああ…その時はいろんな話を聞かせてくれ。けど、当分来るんじゃねえぞ?100年後くらいまで待っててやるよ。」
エンディはカインの腰にしがみついた手を離さず、声を枯らして泣き続けた。
カインはニコッと優しく微笑み、両手でエンディの頭をさすった。
「じゃあな、相棒。」
そう言い残し、カインの身体は炎と共に静かに消えた。
メルローズ・カイン、享年18。
世の為人の為、仲間の為、そして何より愛する妻と娘の為に戦い続け、真っ直ぐひたむきに生き続けた誇り高き烈火の戦士は、この世を去った。