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これもまた一つの殺人。

うれ・える〔うれへる〕【憂える/愁える/患える】

1 よくないことになるのではないかと心配する。心を痛める。また、嘆き悲しむ。
2 心の苦しみを人に訴える。自分の嘆きを人に告げる。
3 病に苦しむ。患う。


自分の中にある感情や思考を整理したい時、辞書は大変役に立つ。
モヤモヤが残ったり解決方法までには至らないが、それでも対峙すべき対象が朧気な輪郭ながら見えるときがあるからだ。

今回はgoo辞書の力を借りている。


という訳で此度も理解し難い出来事が起きてしまって、また心が憂いている(使い方あってる?)。


かわいらしいキャラクターイラストが印刷されたシールでラッピングされたドリンクの自動販売機。
だがそのイラスト箇所は何かしらの固い物(コイン?)で激しく削られ、土台の販売機が露呈しまっている。

うーん。
これは酷いぞ。



今回被害に遭われたのは千葉県松戸市にお住まいの松宮アヤさん。

松宮アヤ:
千葉県松戸市が防犯PRのために制作した萌えキャラ。
「魔法年齢」15歳の魔法少女という設定で、「ミラクルピース」というかけ声と、手に持った青く光る誘導灯が特徴。
イラストレーターの七六がキャラクターをデザインした。
2011年6月に、同市が設定した毎月15日の「犯罪ゼロの日」と、年4回の「防犯パトロール旬間」を呼びかけるポスターに登場。

https://imidas.jp/ryuko/detail/N-101-1543.html

個人的には相手の職業や年齢や魔法年齢などで判断しないポリシーなのでそれらを脇に置いておくことを差し引いても、こと彼女自身は松戸市において在住歴10年以上を誇る、地域活動にも余念のない立派なベテラン市民だ。
啓蒙活動にも力を入れていてイメージソングもリリースしていている。

「千葉県松戸市の犯罪をゼロに」と健気にスローガンを掲げ防犯PR活動に勤しんで来た彼女が、見知らぬ暴漢の凶刃により惨たらしい姿にされてしまい胸が痛むのと同時に、「防犯PR」として生まれてきた彼女へのの顛末の皮肉さがとてもやるせない…。



という訳で、前文では「松宮アヤ」というキャラクターに対してまるで人間のような書き出しだが、何もいちキャラクターに人権を与えよ、ということでは無い。

誰も見ていない、または内輪の乗りでの暴挙に及んだのかもしれない。
だが、それに対するその挙動そのものと考え方がおかしいのだ。

執拗な削り傷はその端で往復の弧を描き、彼女の存在を立派に蹂躙している。
こういったいわゆる"萌え"キャラクターに嫌悪を覚える人は一定数存在していて、「よくやった!!」と拍手喝采、スカッとジャパン(古。FOD絶賛配信中)な人間も幾らでもおるのだろう。

だがこの傷跡をよく見てほしい。そして冷静に考えてほしい。

この傷跡を見て、果たして「気持ちがいい」と呼べるのか?

と。

傷や傷跡に異常な感情を抱く人間も一定数おると聞く。
けれど傷跡マニアのプロフェッショナルにこの惨状を見せた時に(おるか? …おるんやろうな)、この言葉を引き出させる自身がある。

「でもこの傷跡、美しくないよね。」

と。

情念から突き動かされた行動の跡には、その時の感情や精神が宿る。
考えが浅はかで稚拙なのか、それともその場のノリなのか。
執念と呼ぶには程遠い、道具を使用した単なる擦過の往復。
力の入れ方に執拗性の割合は予程少なく感じられ、また擦過痕の程度の粗悪さには感情の発露による乱れの美学も感じない。
せいぜい掲示されたポスターの裏側、自販機の地が見えたところで軽い興奮を覚えた程度だろう、と。



うっわダセぇ。
小学生だってこんな思考にならねぇよ。

そんなダセぇ犯人像を予想してみる。

その場を立つ鳥ですら跡を濁さず。
自身の周囲を気に食わない一心、又は自身の浅薄な好奇心を満たす為だけに他人の創作物を用い、ひいては汚物のような結果を衆人に撒き散らし、その尻すら自身で拭けない…。

推察するに、どうやら多分犯人は人間以外の可能性があります。

立つ鳥跡を濁さず(例外多数は認める)⇒鳥以下
その場の感情で公共物汚損⇒防犯PRの為に10年以上も笑顔で対応してきたキャラクター以下

よって、蛮行に及んだ人間人間以下

という結論に至ります。
何せ、ひとでなし⇒ 人で無しですから。



おあとがよろしいようで。



「もの言わぬもの」に対する扱い方も気になる。

「物に八つ当たりする人間は最低」の本質が、まるで解っていないように見受けられる(視界に入る・音が聞こえる・社会不適合の記号をまざまざと見せつけられる不快感等は前提の上で取り合えず進めるものとする)。


さて、今記事で「もの言わぬもの」代表のように祀り上げられてしまっている(すみません)千葉県松戸市の防犯PRキャラクター、松宮アヤさん(魔法年齢15職業魔法少女)だが、その複雑な生い立ちから親や親族が複数いることが判明している(親権はさて置き)。


親代表の1人として真っ先に名前が挙がるのは、キャラクターデザインを担当したイラストレーターの七六氏。

ちなみにこの方は子煩悩な方らしく、松宮アヤさんのほかにも同千葉県松戸市の交通安全PRに精を出す神戸アミさん、同じく千葉県松戸市の振り込め詐欺防止PRに頑張っている市城アイさん…という、松戸市民の安全な生活を最優先とする素晴らしい活動を繰り広げる3人の娘に囲まれた立派な親だ(姓が違う件についてはプライバシーポリシーの為割愛)。

市城アイ⇐ 松宮アヤ ⇒神戸アミ
名字の一文字ずつ嵌めて松戸市

前述にあるイメージソング「ミラクルピース」を歌っている萱沼千穂さんも親のひとりと言って差し支えないだろう。
一枚の二次元媒体でしかないイメージキャラクターという存在に「声」を当てる行為は、その存在自体の説得力を持たせる有効的な手段だ。
そして実際に彼女はイベントの際に松宮アヤの衣装で登場したこともある。

もし今記事を読まれている方が昭和からの生粋のHentai(アニメファン)なら、松宮アヤさんのイメージソング「ミラクルピース」のクレジットにも注目だ。
この曲の作詞: 朝倉薫/作編曲: 神津裕行 というコンビは、その色々とアレな出自とアイドル声優の基礎を構築したことで知られる深夜アニメ「レモンエンジェル」シリーズの楽曲提供黄金コンビだ。
この華麗なる裏方たちも「松宮アヤ」という存在を支える「親」のひとり(二人?)だろう。

そして忘れてはならない千葉県松戸市、松戸市役所、企画立案者、企画会議関係者、宣伝広報担当者…と挙げれば数限りない、数多の「生みの親」が存在する
著作物とはそういうものだ。

いちキャラクターはどんなに頑張っても人間にはなれない。
だが有名無名問わず著作物に対して確実に言えるのは、そのいちキャラクターを生み出し、息吹を与えようと関わった人間が一人以上存在している、ということだ。
無から有は生まれない

断言する。
そういった数多の人の手により初めて存在できる「もの言わぬもの」を汚し、



数々の思いを踏みにじる行為は、少なくとも著作者・製作者・クリエイターに対する精神の殺害である。


以上が「物」に八つ当たりする人間は「最低」「一部分」である。
または自分たちの行いは「地域・家庭内躾と義務教育の敗北」とでも言わせたいのだろうか。
お前の人生はお前様(犯人)だけのものだ。
こんな当たり前の端っこのことぐらい、自らで学べよ。



唐突に視点を変えた話題になるが、自分はネグレクト(虐待)被体験者である。
だからどうした、と尋ねられれば、「もの言わぬもの」の気持ちと、その先にある末路の踏み心地を憶えている、と答えることができる。

そのことに言及する記事では無いので簡素に扱うが、結論として自分のケースは「もの言わぬもの」に徹し、最後まで声は上げなかった
その結果として自分の血液はこめかみから街路や壁中に吹き上げたが(笑)。
家族に殺されかける瞬間を近所中が見ていた結果、ようやく大きなネグレクトは闇に潜んだのである。
悪しき一方的な行動に対し、もし他者へのリアクションが発信できるのなら惨事から抜け出す手立てになることを、身を持って学べたのである(その日から別種の苦しみが始まったが割愛(笑))。

・見つからなければ、見られなければ、バレなければ、何をしても良い。
・証拠が出なければ、やったことにならない。
・二言目に出る言葉は「自分は知らない、自分は悪くない、そんなつもりじゃない」。
・相手の反応が無ければ、自分の思い通りにしても良い。

普通に生きていく中でも行動理念の前提条件を自らのルールで声高々と掲げる者たちを見かけることがよくあるのだが。

この言葉を使用する者たちの思考ルーチンは、果たしてこの言葉程度で理論武装出来ているつもりなのだろうか。
そんな者たc


…あぁ、もういいや。
逃げ口上と言い訳しか学んで来なかった輩に言いたいことがある。



ルールとはつまり「強固な基準」だ。
それは基礎準拠である以上、人間社会の物事に対してそれらを一定円滑に進めるためにルールは存在する。
ルールは決して、他人や思想を弾圧するための武器としてや、一部の人間を守るために作られたものでは無い。

ましてや何かの悪事の隠れ蓑にするためのものや、表記されていないことへの穴を突いて自身の正当化をするためのツールでもないのだ。

常識的に考えて、強固なもの(この場合はルール)に対して挑む場合に。
人間は狩りをしてきた時代から変わらず、様々な準備を入念に行うのが常だ。

正直その場の感情(我儘)で物事を運んでいる輩は準備なんてしない、またはできないだろうが。

そしていざその準備が整った(と勘違いした)としても。

個人の思想や我儘を貫き通すためには、同じ思想を持った集団で挑むか、その分野のいち権力者の椅子に収まるしか方法はないのだ。

いちいち大変で面倒くさいよな。
いちいち大変で面倒くさいんだよ、この世は。

だから、面倒くさいから個人の我儘を通すことよりも他人も共存し易い、ルールや法律が順守されるんだよ。
一縷の感情の矛先を他人や公共で共有できる財産に向け、それが許されるルールが存在しないんだよ。。

目の前にある公共物が自分の気に食わないものだったら、撤去活動として署名集めて役所に提出でもするか、自分が役所の人間にでもなって規模の縮小、または撤廃を目指せよ。


一般社会からの顔の見えない不特定多数の人間の手による制裁(袋叩き、炎上、精神的抹殺。まぁどれでもいいや)が待っていることぐらいは理解できる耳垢程度の知能は持ち合わせいても、もの言わぬものにしか手の出せない、小悪党以下の程度の理解力しか無いのだから、理解できるように言ってやる。

「破壊するな」とはどこにも書いていない。
だが「破壊しても良い」と何処に書いてある?


まぁここまでが輩の理解力の限界だろう。

覚悟が無い恥ずべき臆病者はさっさと尻込みして村の奥(健全な一般の生活)に閉じ籠っていろ。
もし籠っている時間が勿体無いのなら一般常識やマナーの勉強を強くオススメする



…とまぁ、この類の他責思考を盾に自己正当化がライフハックになってしまい、それがルーチン化(思考停止)な人間は枠内のような文章までルールに明文化して掲載しなければ判らないです、と自己紹介しているようなものなので拙い文章力で説明してみた。

こういった姑息で面倒くさい輩だから世の中から相手にされなくなって孤独化が進み、鬱屈した精神から行動に表れてしまった結果の行動の現れだと思う。


さつ【殺】
[音]サツ(漢) サイ(漢) セツ(呉) [訓]ころす そぐ
※[学習漢字]5年
〈サツ〉
1 ころす。「殺意・殺害・殺菌・殺人/圧殺・暗殺・活殺・虐殺・自殺・銃殺」
2 そぎとる。なくす。「殺風景/抹殺」
3 程度を強める語。「殺到/悩殺・忙殺・黙殺」
〈セツ〉ころす。「殺生 (せっしよう) 」
〈サイ〉そぐ。へらす。「減殺・相殺」

ぞう【憎】
※[常用漢字] [音]ゾウ(慣) [訓]にくむ にくい にくらしい にくしみ
にくむ。にくしみ。「憎悪 (ぞうお) /愛憎」
[難読]生憎 (あいにく) 
にく・む【憎む/▽悪む】
1 よくないこと、本来あってはいけないこととして許しがたく思って嫌う。他人の言動などに強い不快の感情をいだく。憎いと思う。「不正を—・む」「戦争を—・む」「—・むべき犯罪」
2 自分に不利益をもたらすものとして嫌う。「恋敵を—・む」
3 非難する。なじる。
「人の—・むをよしと言ひ、ほむるをも悪 (あ) しと言ふ人は」〈枕・三一九〉


故人に口なし、物に口なし。
我ながら暴論であるとも感じる部分は多々あるが、敢えて度重ねて言わせてもらう。


物言わぬ者に対する暴力・尊厳破壊は、これもまた一つの殺人である



今記事にてネグレクトを持ち出した経緯についての一端

ネグレクトの語源は英語圏内だけで説明するなら negligent からよるものだと思われる。
negligent
音節neg • li • gent発音néɡlidʒənt ※社会人必須レベル
[形]
1〈人が〉(…の/…する)義務[職務]を怠った,怠慢な,不履行の;やるべきことをしない,いいかげんな

Negligenceは運転者のネグリジェンスや管理者のネグリジェンスという、行動に対しての用い方をし、全ての分野における義務不履行や(職務などの)怠慢を意味している。



以上、昔から役所が病気でした。


個人的には「まぁ、スクラッチ気持ちいいよね…」と一定の理解は示しているものの(最低)、幾らムシャクシャしてたとしても、関わりのない他人がその跡を不用意に見せられるのは、やっぱ不愉快は不愉快よ。


犯人はごめんなさいしてさっさと地域活動に勤しんでください。
松宮アヤ先輩も人手が増えて喜ぶぞ。
最近治安悪いんだから二次元にばっか仕事さすな


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