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勤続年数が長いことは「キャリア」にあらず。キャリアはアップデートするもの

■ 水戸黄門の2番の歌詞は手厳しい


水戸黄門と言えば「人生楽ありゃ苦もあるさ」という出だしのオープニングテーマが有名だ。この歌詞を最後まで聞いていると2番の歌詞は割と手厳しいと分かる。

人生勇気が必要だ
くじけりゃ誰かが先に行く
後から来たのに追い越され
泣くのが嫌なら、さぁ歩け

うろ覚えで書いてみたが、たぶん大まかには合っていると思う。
これは苦難に遭遇したときに「もう駄目だ」と歩みを止めたところに、自分よりもキャリアの浅い人が現れて、あっさり解決してしまったときの心境のようなものだろう。
追い越されたことに泣き言や不貞腐れている暇があるならば、少しでも努力して前に進むしかないという1つの教えとも思われる。

■ 「下剋上」なんて言葉はもう使えない


これは時代によっては「下剋上」と言われるかもしれない。何かしらの機会により、それまでの上下関係が逆転するということだ。
しかし、下剋上なんてことは現代では当たり前に起きる。というか、下剋上なんて言葉すら意味をなさない時代であると言える。

スマホ1つあれば知識や技術修得のタネは得られるし、誰もが見向きもしなかったことをSNSで発信したり、ビジネスにしようとすれば一気に注目されるチャンスを誰もが持っている。あとは行動するか否かだけの話である。

いくら「自分はこの業界が長い」と言っても、何も行動に起こさずに日々同じことを繰り返しているだけだと、後から入ってきた新人が日々研鑽を重ねるタイプだとしたら、年月とともに差ができていく。

すると、入社10年と息巻いていたスタッフが、入社1年のスタッフに追い越されてしまうようになる。それは周囲からの評価や信頼だったり、役職や給料といった目に見えるものだったりする。

しかし、これは下剋上でも何でもない。言ってしまえば、ただの定量評価の結果である。同じことをして年を食っているだけの人と、同じことにプラスアルファを重ねて年を経た人では、明らかに後者のほうが評価されるのは誰でも分かる。
少し辛辣なことを言うが、この場合、同じことをしてきただけの人は周囲から相手にすらされていないだろう。だから、下剋上でも何でもないのだ。


■「勤続年数=キャリア」ではない


実際、その業界や職場に長くいることに、価値を見出だしている人は少なくない。分かりやすく言えば、「勤続年数が長いほど自分は偉い」「業界に長くいるほどに自分に価値がある」と思っているわけだ。

しかし、大切なことは「勤続年数の長さ」ではない。
価値があるのは「キャリアの重み」である。

その業界や職場であれば勤続年数を長くしたいならば、誰でもできる。給料が低くても、自分の時間を対価として言われた仕事を細々とやっていれば良いのだ。問題から逃げたり無責任であっても、それなりでも問題ない。

一方、キャリアはただ働いているだけでは培われない。自分の目の前の仕事に対して課題意識をもち、脳がショートするほど思考し、スキルを練り上げて、成功も失敗も糧にすることで積み上げられる。

勤続年数の長さだけを誇っている人と、キャリアを積み上げている人では、同じ時間を過ごしていても顔つきが違う。言葉の1つ1つの説得力も違う。

もしも、業界や職場に長くいることで威光を示したいならば、それはすぐに認識を改めたほうが良いと思う。


■ キャリアはアップデートするもの


「自分はキャリアを積んできたから大丈夫」と思っている人も注意していただきたい。

そのような方はぜひ、「自分のキャリアは果たして現代に適応しているか?」と自分に問うてみてほしい。

何だか上から目線の物言いで申し訳ないが、ときには自分の実力を疑うことも重要であると言いたい。

例えば、頑張って10年前に国家資格を取得したとしよう。国家資格の取得というのは多大なる努力の結果だと思う。それは立派なキャリアだ。
しかし、国家資格を取得したのは良いが、そこから10年間、何も勉強しなかったり技術を研鑽してこないまま、今まで生きてきたとしたら・・・それはキャリアと言えるか疑問である。

時代は急速に変化している。今このときも経済も社会も法律も、知識もテクノロジーも変化している。人々の考え方なんて秒単位で変化してしまう。

そのような中で「自分のキャリアは不動である」なんて誰が言えようか。
1度身につけたキャリアで、その後の人生ずっと安泰なんていう保証なんて誰ができようか。

もちろん、過去に身につけたキャリアは持っておいていい。しかし、もしもずっとそのキャリアを活用したいならば、その道における最新の知識を学び、自分の技術が衰えないように訓練を積む必要がある。時には全く別の分野と組み合わせても良いだろう。

つまり、キャリアは常にアップデートする必要があるのだ。それができてこそ、キャリアがあると言える。時代に適合したキャリアだと言える。


■ 泣くのが嫌なら、さあ歩け


偉そうな記事となって恐縮だが、結局のところ、人間は自分で自分の道を開くしかない。その一方で、時代の潮流に沿うという柔軟さも必要である。
その中で「自分は勤続年数が長いから価値がある」なんて思っていると、ただの年寄りになって終わってしまう。

別にただの年寄りになることを非難しているわけではない。しかし、勤続年数を誇りに思うならば、それは自分自身に価値を見出だしたいからだろう。他者から認められたいからだろう。
それなのにずっと同じ自分であると、それこそ水戸黄門の歌詞の「後から来たのに追い越され」になり、泣いたり喚いたりする羽目になる。

「泣くのが嫌なら、さぁ歩け」は苦言であり金言である。まずは、自分のもっているキャリアを見つめ直す機会にしていただければ幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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