「事故は起こるもの」という考え方が介護現場にはあっても良いと思う
■ 事故の再発防止を考えるけれど・・・
介護現場では、分かりやすく「事故」と呼ばれるトラブルが必ず起きる。
転倒やら誤嚥やら服薬ミスやら、例を挙げればきりがない。
それに対して高齢者の行動を抑制するかどうかの話はさておき、介護者はできるだけ事故の現場に立ち会いたくないと思う。
なぜならば、事故に対応しなければいけないし、事故後に何かしらの責任を負うリスクもあるからだ。
そうは言っても、事故は起きてしまう。想定内・想定外問わずにだ。
そして事故後は原因を求められる。
それは関係者への説明責任もあるだろうが、最終的な目的は再発防止だ。
しかし、事故報告書などの再発防止を作ると、「次から気を付ける」とか「定期的に見守りする」といった具体性に欠けるものばかりになりやすい。
—— これはなぜだろう?
■ 再発防止が抽象的になってしまう理由
介護現場における事故の原因を考えていると、どうしても「高齢者は肉体が衰えているから」とか「認知症の方は想定外の動きをするもの」という思考に寄ってしまう。
つまり、介護現場の事故は「高齢者が悪い」という発想になりがち、ということだ。
このような思考のまま原因と対策を考えたところで、本質的な再発防止案に至ることは絶対にない。
もちろん、介護者のうっかりミスや伝達漏れなどにより生じることもある。それは自分ごととして対策を考えられる。
しかし、当然ながら介護者のミスによる事故ばかりではない。介護を要する高齢者だって人間なので、本人の意思によって動いた結果として事故に至ることだってある。
そして、本人の自由意思に対して起きた事故に対して原因と対策を立てろという無茶ぶりを言われる。こうして「定期的に見守りをする」といった具体性に欠けた再発防止案になってしまう。
しかし、それは根本的な再発防止にならないことは、誰もが分かる。
(もちろん、再発防止として効果が全くないというわけでもないが)
高齢者の意思も尊重したいが、事故になったら対策案のない検討をしなければいけない。まるで八方塞だ。
――― どう考えたらよいのだろう?
■ 「事故は起こるもの」と考える
「フェールセーフ」という考え方がある。
これは機械工学や仕様設計における考え方の1つであり、「機械や装置は壊れるもの」という前提として、壊れたときにはちゃんと安全に制御機能が働くように作る、という思考および原則である。
これを介護現場において考えてみると・・・
高齢者が自分の意思で行動するのは自然なことだ。(止めなくていい)
↓
しかし、それで転んだり体をぶつけたりすることはある。
その結果、怪我をすることだってある。
↓
怪我をしたときの受診先やご家族への連絡体制を考えておこう。
介護者も応急処置を覚えておいても良いかも。
・・・といったところだろうか?
事故に至らないための策を講ずることも大切であるが、いつ起こるか分からない事故に怯えるよりも、「事故は起きるもの」という前提でいたほうが介護現場もいくぶんかプレッシャーは少なくなると思う。
何だか投げやりな考え方に思われるかもしれないが、実際問題として、肉体の衰えや認知症の諸症状から、高齢者は事故と呼ばれる事象を引き起こしやすいのは確かである。
それならば、最初から「転ぶのは当たり前」「ぶつけるのは当たり前」という想定の先の対策を立てておくほうが有効だと思う。(私だってよくぶつけるし・・・)
人間と機械を同列に扱うことに不快感を覚える人もいるかもしれないが、あくまで考え方として参照したに過ぎない。
しかし、冒頭のように事故に対して介護現場は敏感になっていることもあるため、何かしらの指針はあっても良いと思う。それは手を抜くという意味としてではなく、「事故は起こるもの」と前提によって迅速に対応できるという視点の切り替えでもある。
あくまで考え方の1つとして「フェールセーフ」という思考を覚えておいていただくだけでも幸いである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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