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【小説】(第10話)インフルエンサーの落日 ダイエット優良誤認

 22時を回った地下鉄車両は乗客もまばらになり座席に腰掛けることができる。成瀬仁志は青いストライプ柄のネクタイを緩め車窓に映る高層ビルの明かりをぼんやりと眺めていた。勤務先の電機メーカーのオフィスを出て、地下鉄車両に揺られるこの時間が喧騒の仕事から静かな家庭に戻るためのクールダウンの役割を果たしている。
 それでも意識はまだ仕事モードから抜けきっておらず、明日の取引先に提出する見積のことを考えたりしていた。

「すみません。ヒトツーのヒトシさんですか?」
 不意に声をかけてきたのはショートヘアの黒髪にクリーム色のセーターを着た女性だった。仁志と同世代の30歳前後の年齢であろうか。その名前で呼ばれるのは数年ぶりだった。
「そうですが、ヒトツーなんて懐かしい名前、よくご存じですね。」
「やはりそうでしたか。突然にお声がけしてしまって、申し訳ありません。実はヒトツーのブログはずっと読んでいました。ブログで紹介されていたカフェにもたくさん行っていました。」
「それはありがとうございます。ヒトツーのブログを閉鎖して何年か経ちますけが、覚えて頂いていたのですね。」
「ええ。奥様のヒトミさんとのカフェのリポートが楽しかったです。ヒトミさんはお元気ですか?」
 ヒトツーのブログは学生時代の恋人だった妻と共同運営して、デートの際に訪れたカフェについて記事を書いていたものだが、美男美女ともてはやされてカフェからの取材依頼が相次いでいた。仁志の大学卒業時に二人は結婚し、その時期には月間ページビューが100万に達したこともあった。
「元気にしていますよ。僕は就職してブロガーを卒業しましたが、ヒトミは今もインスタグラムを続けています。」
「ヒトミさんのインスタ、フォローしています。レストランの投稿を参考にしています。」
「そうですか。それはありがとうございます。ヒトミに伝えておきますね。」
 黒髪のショートヘアは嬉しそうに笑みを浮かべながら頭を下げ、その場から立ち去っていった。
最近はヒトミのインスタはインプレッションも落ち込み、広告収入も低調になっているが、本人がその現実を認めずに足掻いている様子を痛々しく感じていた。インフルエンサーや広告というビジネスにはどうしても虚業というイメージがつきまとう。仁志は腕組みをしてため息をついた。

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