見出し画像

備忘録:ここ3週間であったこと。

僕には第二の母みたいな存在がいる。
それは僕のお父さんの姉(つまり叔母さん)
美春(みはる)って名前で「みー」って呼んでいた。

小さい頃から我が子のように育ててくれて
物心もついてなかった頃はお母さんは二人いるんだと感じるくらい、みーは僕を可愛がってくれた。


誕生日だけでなく僕に似合いそうだと思った服は買ってきてくれたり

専門学生時代には学校がみーの家から近いこともあって毎日のように夕飯を食べさせてもらった。

学校にもよく迎えきてくれた。
家には僕のためにジュースやお菓子が買ってあった。


東京に住んでた時は心配ラインが毎日きた。
「ちゃんとご飯食べてる?」「寂しくない?」
「帰ったらママにやっと会えるね」


会ったら必ずハグしてくるし
会うだけなのに会うことをすごく喜んでくれる。
みーは毎日の小さな出来事も全部嬉しそうに過ごす人だった。

僕の七五三の時
みーと一緒に撮った写真。

僕はそんなみーのことが大好きだった。





・1月9日(日)朝 みーが脳出血で倒れた。


急だった。
これから緊急手術って言われて
このご時世もあって病院にはいけないからすぐにお婆ちゃん(みーのお母さん)の家に行ってそこで待つことしかできなかった。

みーには娘が二人いる(僕の従姉妹)
その二人は男三兄弟の末っ子の僕にとってはお姉ちゃんのような存在。
長女の方が東京からすぐに帰ってくるからそれを迎えに行った。


手術が終わってもICUからは出られずに予断を許さない状況が続いて、
脳出血の原因もわからないまま、これといった治療もできなかった。


僕はみーが死んじゃうことよりも
その話を聞くお婆ちゃんの気持ちを考えるのが辛かった。

なぜなら僕のお父さんは僕が19の時に心筋梗塞で亡くなっていて(これはまた別の機会にnoteで話す予定です)
みーが死んじゃったら婆ちゃんは自分が生きてる間に我が子二人に先に逝かれてしまう。


そんなことあっていいわけがない。
お正月に一緒にご飯をたべたばっかりだし、
4月に生まれる僕のお兄ちゃんの子供を見るのを楽しみにしていて服を選んでたじゃないか。


次の日からはみーの回復を祈りながら
毎日ばあちゃんの家にいって近くにいてあげた。
勉強もインスタ投稿も全部ばあちゃんの隣でして
みーは大丈夫だよねって話を一日中2人でしていた。

・1月24日(月曜日)午前2時


ちょうどこの日は@gomashio_salad くんとインスタライブをした後のこと
ごましおくんとの反省会も終わり、寝ようと思った矢先に病院から危篤だと呼び出された。


僕はこの時、家からずっとお婆ちゃんの手を握って病院に行った。

この時の手の力の入り具合だとか、震えだとか、感触とか「絶対忘れないんだろうな」って強く思ったのを覚えている。


午前7時 みーが亡くなった
58歳だった。早すぎる別れだった。

それから1週間は葬式の準備や親戚がたくさんうちに来たりしてよく覚えてないが、泣く暇もなく忙しかった。

みんなにも覚えていてほしいのが、遺族(親しい遺族)になると悲しんでる暇はなく葬式準備やらなんやらでめちゃくちゃ忙しい

・2度目の別れ

19歳の時に父を亡くしている僕は愛する人との別れを
ここ4年間で2度も経験することになる。

なんでこんなに辛いことばかり起こるんだろう?

僕のバスケットを見るのが好きだった父も
僕がプロになって応援に行くのを楽しみにしていたみーも亡くなってしまった。

みーはジャニーズが好きだったから
「うちわ作って応援いくね!」
なんて言ってたなぁ

1番近くで応援してくれてる人達を僕は失ってしまった。

僕がプロで活躍する姿を見せられなかった。

大学に行かずに専門からプロに行ってたら見せれていたんじゃないだろうか?とか、もっと自分が上手くなれてたらとか

最後どんな話をしたっけ、、
ありがとうって言えたっけ?
最後なんて言われたっけ。。

思い返すだけでいろんな後悔が湧き上がってくる。


・なんでこんなことを書いているのか?

最初は自分がこの時の出来事を忘れないように書いていただけで公開する予定はありませんでした。

こんな個人的なことをみんなに教える必要もないかもしれない。

「失ってからじゃないと気付けないものがある」
これって本当にそうなんだよって伝えられるのは経験した人だけだなと思ったから。

この若さでこの経験を2度もしている僕だからこそ書けることだからnoteで同じ大学生に向けて公開することにしました。


・「当たり前の価値」

大切な人の存在やいつもある日常とかって身近すぎる分当たり前になってしまうから、
失ってからじゃないとその有り難みだったり、価値だったりってのに気付けない。

「本当にいい人だった」ってみんなが口を揃えて言う。
じゃあどうして、
いつもありがとうの一言を言えてなかったんだろう?
「大好きだった」となんで伝えられなかったんだろう?

大切な人との別れ。
それは、もうそんな後悔はしちゃダメだよ、
当たり前のことに感謝して生きなきゃダメだよって
気づかせてくれるものなんだよ。

父親、そしてみーから
そう言われてるような気がした。

僕たちが生きていく中では「当たり前」という価値の大切さに気づくことはできない。

これは本当に失ってからじゃないとわからないことだった。

でも今ならわかる。
今なら伝えられる。


・僕が伝えられること

この御時世もあって
友達との会食ですらままならない。

今まで当たり前のようにできてたことが急にできなくなる。
今、この時代はその価値に気づけるいい機会かもしれない。

明日も予定があること。
出かける場所があること。

話せる相手がいること。
今日も感謝を伝えられること。

歩けること。
走れること。
食べれること。

これだけで十分なはずなのに、
これが凄く幸せなことなのに

僕たちはこの当たり前の価値を自分たちで
下げてしまっていたんじゃないだろうか?

少しでも嫌なことがあれば不満を吐き、
できないことには言い訳を並べる。

ちょっとしたことでイラつき、
毎日につまらなさを感じたりもする。

そんな生き方もったいなくないか??

嫌なことがあっても、
今日はこれができた、明日はあれができるって
ところに目を向けて僕はこれから生きていきたい。


僕にはまた一つ自分が夢を諦めない原動力ができた。
誰にも簡単にはできない経験をすることができた。
辛い経験は失うものも大きいけど
その分与えてくれるもの、
成長させてくれるものがある。

なんかポエムっぽくなってしまったけど、、、

このnoteを読んだ人は
電話でもLINEでもいいから大切な人に
「いつもありがとう」って伝えてほしい。

それが言えなかったことの後悔は一生消えないから。


みー23年間本当にありがとう!
みーがこうして教えてくれたから
おかげでまた強い男になれるよ。

こんな個人的なことを最後まで読んでいただきありがとうございます。
改めてこれからも@kt_room1をよろしくお願いします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?