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誰がためにユニフォームは在る 〜プロ野球ユニフォーム真価論〜

ユニフォームは一体何のために、誰のために存在しているのだろうか、なんていう大それたことをずっと考え続けている。

note初投稿から半年(と1ヶ月)が経った今、何とか言語化できそうなレベルにまで思考が整理されてきたので、その一端を少しずつ文章に起こしていこうと思う。

今回、今までの「ですます調」から「である調」に変えてみました。
取り立ててこれといった理由はありませんが、何となくこっちの方がシンプルに書ける気がするので、今後もこのままで行こうかなと思ってます。
もし何かご意見などありましたらお聞かせください。

溢れ返る“安易な”ユニフォーム

ユニフォームは一体何のために存在しているか、なんて、言うまでもなく「選手が着て試合をするために存在する」っていうのが答えで、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。

しかし、どうしても「本当にそうなのか?」「そんなに“純粋”な話で済むことなのか?」という疑念を抱かざるを得ない。

やたらと短いスパンでデザインを変更してみたり、とにかくインパクト重視で奇抜な柄を採用してみたり。
中には、ついつい「プロ野球選手がコレを着て試合をする」ということをちゃんと考えたのかな?などと思ってしまうほどのものさえある。

とにかく“安易な”ユニフォームが多い。

こういうツッコミをする時によく持ち出されるのが「ユニフォーム商法」という言葉。

「マーチャンダイジング」なんてカッコつけた言い方もできるが、要するに「ユニフォームをグッズとしてファンに売って儲ける」という目的が第一にあるのでは?という疑念が付いて離れない、という話である。

実際、儲かるところは超儲かってるようで。

さらに、こちらの記事にも気になる文言がある。

「ファン至上主義」の経営ビジョンが云々、という部分。
もちろん、グッズなどの展開やサイトの運営なんかについては全くその方針は間違っていないし、あって当然のビジョンに違いない。

では一体何がそんなに気に食わないのかと言うと、そのような“ビジョン”がユニフォームをデザインする工程にまで干渉してきてしまっているのではないか?と思わざるを得ない現状に対してだ。

溢れ返る“安易な”ユニフォームの数々を見ていると、あたかも「ファンにウケるユニフォームはコレ!」という目論見で作ったユニフォームを「なので、選手の皆さんもコレ着てくださいね!」とばかりに選手に着せているように見えて仕方がない。

“ファンが選手と同じユニフォームを着る”のか、
“選手にファンと同じユニフォームを着せる”のか。

これだけは先に断っておきたいが、「ユニフォーム商法」そのものを否定するつもりは毛頭ない。
いわゆる「嫌儲主義」とかそういうことは決してないし、何より私自身がアホほどユニフォームやらキャップやら買い漁ってるファンそのものだし。

むしろ「“モノ消費”より“コト消費”、何なら“トキ消費”、挙句に“イミ消費”」などと消費に対する価値観が刻一刻と変化しつつある現代社会において、解釈次第であらゆる形の「消費」と親和性を常に高く保つことできる、という意味でも非常に優れたビジネスモデルだと思う。

日本のプロ野球界においてユニフォームに関するマーチャンダイジングが本格化したのは2000年代に入ってから。ちょうど「イベントユニフォーム」という概念が登場し定着し始めた時期とも被る。

この頃から“イミ消費”までも範疇に収められていた訳だから、やはりビジネスモデルとして優れていることを疑う余地は無いのだろう。

また、よく「イベントユニフォームが多すぎる」なんて批判の声が上がったりもするが、個人的にはイベントユニは数あればあるほどテンションが上がるので、そこに関しては何も思わないというか、何なら「もっとやってくれ」とすら思う。
通常ユニフォームを頻繁に変更するのは好みではないが、イベントユニの数は別に自由でいい。

しかし、だからと言って「ファンありき」のユニフォームが跋扈する現状を許せるかというと、それとこれとは話はべつだ。

そもそもの話、そういうレプリカユニフォーム文化が成立するのは、あくまで「選手が着てるのと同じモノが着られる」っていう喜びがあればこそなのではないか。

別にファン受けを意識したデザインでなくとも、選手が着た時にカッコよく映えるユニフォームならば、それだけでファンは欲しくなるはず。
ていうか、なる。少なくとも私はなってる。

だからこそ、「ファン向けに作られたモノを選手に着せている」かに見えるような“安易な”ユニフォームたちに対しては、ついつい「順番が逆だろ!」と思ってしまうのだ。
そんなことされても、嬉しくも何ともない。

この場合、大事なのは「ファン至上主義」ではなく「選手至上主義」。
言い換えれば(手垢の付きまくった表現だが)「選手ファースト」
どうにも、昨今のユニフォーム商法はこの観点が抜け落ちている気がしてならない。

今年のDeNAの「YOKOHAMA STAR☆NIGHT」なんてその最たる例というか、「“ファンありき”系ユニフォームデザイン、ここに極まれり」とでも言いたくなるような“トンデモユニフォーム”である。

実際、界隈で物議を醸しに醸しまくった。

前提として、あくまで個人的な好みではあるが、そもそもDeNAのスターナイトユニフォームは歴代のどれをとってもイマイチ好きになれない。

おそらく、これまでウダウダ言ってきたような「ファンに買ってもらおう、着てもらおうっていう欲」が丸出しになってるところが大きな要因なんじゃないかと思う。

そういう文脈を踏まえると、今回の2022年モデル(以下・「今回のアレ」と呼称)はその感じを最大限に高めたものとも言える。
もはや「野球のユニフォーム」の体裁を成してないのでは?とまで思ってしまうほど、ブっ飛んでいる。

球団が球界初だなんだと謳っている「襟付き」に関しては、それ自体が特別問題だとは思っていない。

野球のユニフォームの原型となったのが19世紀の紳士服であることから、ベースボール黎明期のユニフォームには大きな襟がついていたし、現代にもそれをオマージュしたユニフォームは存在する(わざわざ2010年代に復刻した挙句、エースにユニフォームをズタズタに切り裂かれたチームもある)。

戦後あたりの時代までは、襟がやや小さくなり「立襟」となったものが世界共通でユニフォームの定番だった。

現在のNPBでも広島が「立襟」、ヤクルトが「リブ襟(リブ編みによって立襟風にあしらったもの)」と、少し勝手は違うけれど、それぞれ襟付きのユニフォームを採用している。

しかし、今回のアレは一見すると、いや、よくよく見れば見るほど、襟付きのユニフォームというよりもはやただの「アロハシャツ的な服」だ。

選手が着て〜云々以上に、ファンがこれのレプリカを「アロハシャツ的な服」として買いやすくする、そして着やすくする、という“経路設計”にリソースのほとんどを割いて企画したであろうことが透いて見える。

どう贔屓目に見ても、プロ野球の一軍監督としての風格は皆無。
さしずめ春季キャンプ期間中の宜野湾周辺の民宿のご主人ってとこだ。
行ったことないけど。

形云々のみならず、チームロゴや背番号、背ネームなどがほぼ判読不能なのも、ユニフォームとしてどうなんだと思わざるを得ない。

大事なのは「順番」

また、DeNAと言えば今年、Jリーグの横浜F・マリノスとの共同企画「I☆YOKOHAMA SERIES」を開催し、その一環として共通デザインのユニフォームを着用するという企画を行った。

こちらに関しては、ユニフォームのデザインがどうこうなんてことよりも、問題は別のところ、それももっと根深いところにある。

奇妙なことに、そのイベント特設サイト内のビジュアルに、何と選手が1人も姿を見せないのだ。
サイトだけでなくPVでも全編において、そのユニフォームをオシャレに着こなしたファン(を演じるモデル)の姿ばかりが映し出される。

もちろん、「ベイスターズ」命名30周年&クラブ創設30周年という両者の節目が重なることから成るイベントであるため、「横浜」という街、そしてそこに集う「人々=ファン」をフィーチャーした企画であるというのは重々理解しているし、それ自体は素晴らしい試みだと思う。

問題のビジュアルも、それを表現するものだということもわかっている。

ただ、それでもチームのサイトに「選手が出てこない」ということには、どうしたって強い違和感を感じざるを得ない。
ファンが集うのは、そこに選手がいるからであるはずだ。

そこに選手がいて、プレーして、それを見るために人が集まり、ファンダムが形成される。
本来、そういう順番なはずだ。

DeNAのやり方では「順番が逆」なのだ。

その点で言えば、ロッテの「BLACK SUMMER WEEKEND」はよく考えられている。まず大前提として、選手が着た時にとてもカッコいい。

そして、「I☆YOKOHAMA SERIES」と同じくユニフォームを着用したファンを表現したビジュアルも用意されているものの、その中心にはちゃんと選手がいる。メインはあくまで選手。

順番通りだ。

屁理屈っぽく聞こえてしまうかもしれないが、この順番さえ間違わなければ変なユニフォームは生まれようがないはずだと思う。

DeNAばかりを悪者にしているような感じになってしまっているので、他に例を挙げるとすれば、分かりやすいのが中日の「昇竜ユニフォーム」

「家庭科のエプロンユニ」などと揶揄気味に語られる通り、いかにも小学生男子が好みそうな「かっこいいドラゴン」の意匠があしらわれるのが定番になっている。

そう意味では、確かにキッズ向けのグッズとしてなら優秀なのかもしれない。
しかし、実際にこのユニフォームを着て試合をするのはプロ野球選手である。大の大人である。

良い歳した大人が小学生時代に家庭科で作ったエプロンを未だに使ってたら、果たしてどう思われるだろうか。
場合にもよるだろうが、大抵は引かれるのではないか。

やっぱり、アイテム単体としての“カッコよさ”よりも、ファンに手に取ってもらうことよりも、まずは選手が着てカッコいいかどうかを突き詰めて考えてほしい。
選手をカッコよく演出することが最大のファンサービスなんじゃないかと思う。

余計なお世話なのは重々承知だけど、各球団の企画担当の方には「ユニフォームは一体何のために、誰のために存在しているのか」ということを今一度誠実に問い直して頂きたいと切に願う。

他でもない、ユニフォームは選手のためのものだ。
プロだろうと何だろうと、それは変わらない。

と、カッコつけた良い感じっぽい締めになってはいるが、結局のところ「もっとカッコいいユニフォームがみたい!」というオタクのわがまま、独りよがりの妄言でしかないのだから、甚だ滑稽である。


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