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ライオンズブルー至上主義へ、ユニフォームオタクからの上申書

ここ数日、埼玉西武ライオンズのグッズショップにてレプリカユニフォーム(ホーム&ビジター&70周年)の全型が突如セール価格となったことを受け、一部界隈がにわかに騒がしくなっていたことをご存知だろうか。

セール期間が1ヶ月超に及ぶかなりの長期間であることから、「在庫処分的な意味合いのものなのでは?」「ということはユニフォームが変更されるのでは?」という憶測があちこちで語られていた。

ただ、同時期にこのような事象も確認されており、

これらの話を総合すると、「ユニフォーム変更がなされるかもしれない」というのはあくまで希望的観測に過ぎないと思われる。

何にせよ、実際のところどうなるのかについては続報を待つのみ、としか言えない。

さて、今回私が話題にしたいのは「実際のところどうなるのか」についてはではない。
一連のプチ盛り上がりの正体について「希望的観測」と表現したが、私の問題意識はズバリ、その中心にあるのは一体誰のどんな「希望」か、ということについてだ。

西武のユニフォームを語るにあたって絶対に避けては通れないのが「ライオンズブルー」にまつわる問題
今回の件も結局のところ、この話に収束していくのだろうと思っている。

ちょうど「ライオンズクラシック2022」がフィナーレを迎えるとあってタイミングも良いため、「ライオンズブルー至上主義へ、ユニフォームオタクからの上申書」という形で私個人の所感を書き連ねていこうと思う。

※執筆後注記※
今回の内容について、特定の層のファンの方々への挑発・否定・批判・攻撃と受け取られてしまわないかと非常に不安だが、そのような意図は決してなく、あくまでイカれたユニフォームオタクがPCの液晶画面を前に独り言ちている世迷言に過ぎない、ということは予め断っておきたい。
異論反論あって当然の内容になっていると思うが、何卒お手柔らかにお願いしたく思う。
なお、こんな予防線張りまくりでダサいことこの上ないのは誰よりも私自身が最も自覚するところである。こんな無様な姿を晒してまで伝えたいこと・書きたいことだったのだ、と解釈してもらればありがたい。

血で血を洗うライオンズチームカラー勢力争い

まず、その「『ライオンズブルー』にまつわる問題」について、簡単に概要をおさらいしよう。

「ライオンズブルー」とは、球団が埼玉へ移転した1979年に採用され、その後およそ30年に渡ってチームカラーとして愛された明るいブルーのこと。
80年代にチームが黄金期を迎えたこともあり、プロ野球を代表するチームカラーとして根付いている。

対して現在使用されている「レジェンドブルー」は、2009年に球団のブランド改革の一環として導入された紺色。
西武の前身球団であり日本シリーズ3連覇も果たした強豪「西鉄ライオンズ」のチームカラーであった黒と「ライオンズブルー」とを融合する、というコンセプトで導入されたカラーである。

「ライオンズブルー」にまつわる問題とは、端的に言えばこの2つのブルーの対立抗争のことだ。

特に、「ライオンズブルー至上主義」とも言うべきライオンズブルーへの深い愛着を標榜する人たちが、新しいレジェンドブルーに反発しライオンズブルーの復活を求める、という現象がチームカラー変更から10年以上たった今でも全く勢い衰えることなく渦巻いている。

まさに血で血を洗うような、骨肉の争いが日々繰り広げられているのである。冒頭で紹介したようなアレコレも、SNSでの反応などを観察するに、まさに「ライオンズブルー至上主義」の可視化・顕在化に他ならないだろう、というのが個人的な見解だ。

今のユニフォームに不満を持つ人々が、「ユニフォーム変更があるかもしれない」という憶測に「ライオンズブルーが復活するかもしれない」という願望・希望を重ね合わせたが為に、必要以上に大きな騒ぎとなっていたのではないか。

実際、現在同じようにユニフォーム類全型がセール対象となるキャンペーンを開始しているロッテだが、こちらはさほど大きな話題にはなっていない。
ユニフォーム変更に対する自意識が西武ファンほど高くないからだと思われる。

ライオンズブルー至上主義への上申書

あらかた現状を整理・把握したところでいよいよ本題へ移る。

文章のニュアンスから、あるいは記事のタイトルから既に何となく察しておられる方もいらっしゃるだろうが、正直に言って私はこの「ライオンズブルー至上主義」に対してあまり快く思っていない。

「快く思っていない」と言うと語弊があるかもしれない。
「ちょっと思うところがある」「そこまでノれない」と言った方が適切だ。

その理由について、一つ一つ要素を切り出しながら語っていこうと思う。

①昇華プリントと相性が悪い

ライオンズブルーは「青」の中でもかなり淡い色合いの「青」である。
ベースカラーとなる白とライオンズブルーとでは、淡色+淡色で互いのコントラストが付きにくい組み合わせとなる。
そのため、現在採用されている昇華プリント仕様との相性がすこぶる悪い

つまり、今の環境だと、仮にライオンズブルーが復活したとしても、多くのライオンズブルー至上主義者が思い描いているであろう「ライオンズブルーのユニフォーム」としてのカッコよさは実現しない可能性が高いのだ。

これは、70周年ユニや「ライオンズクラシック」で使用されているライオンズブルー時代の復刻ユニフォームなどを見れば一目瞭然。
デザイン自体はかつてと同じだとしても、正直に言って「本物感」はまるでない。言い換えれば「ペラっぺラ」なのである。

そこはかとなく漂う「パチモン」感。ロゴしわしわやで。

「西武ファンが『黄金期ユニフォーム』をイメージして作った草野球チームのユニフォーム」とまで言ったら流石に言い過ぎかもしれないが、少なくとも「黄金期を彩ったユニフォーム」らしい風格・重厚感は皆無

しかし、SNSの反応などを見ている限り、ライオンズブルー派の方々は色・デザインが当時と似たもの、というだけで「やっぱりライオンズブルーこそ至高!」と鼻息を荒くする傾向があるように思う。

これが私が「ライオンズブルー至上主義」にノれない第1の理由だ。

真にライオンズブルー派を名乗るのであれば、この「本物感の無さ」にこそ鼻息を荒くして怒るべきでは?、と思う。

他人の「好き」を否定するつもりは毛頭ないのだが、「え、あ、それでいいの?」と思ってしまうのだ。

②色が大事?デザインも大事?

「カッコいいライオンズブルー」を復活させるためとは言え、既に昇華プリント化しているものを今更刺繍に戻すというのは、残念ながら全くもって現実的な話ではない。

とすると、昇華プリントでもカッコよく見えるライオンズブルーのユニフォームデザインというものを新たに考える必要が出てくる。

例えば2004-2008年に使用されていたユニフォームのような形だが、次は「果たしてライオンズブルー至上主義を掲げる人たちはそれで満足できるのか」という問題が新たに発生してしまう。

2019年に「スポーツナビ」で行われたアンケート企画によれば、2004-2008年のホームユニフォームは黄金期ユニフォームのホーム、ビジターに次いで第3位の人気を誇る。

ところが、得票率で言えば、1位の黄金期ホームが約28%、2位の黄金期ビジターが約20%と、合わせてほぼ全体の半数を占めるのだ。

それに対して04-08年ホームは約10%、02-08年ビジターに至っては約4%で第8位と、同じ「ライオンズブルーのユニフォーム」とは言え両者には雲泥の差があることが分かる。

しかも、15年からの現行ホームユニが第4位、20年まで使用されていた旧ビジターユニが第6位にランクインしているのに対し、96-01年ビジターは第7位、02-08年ビジターは第8位と、レジェンドブルーユニが2つのライオンズブルーユニを上回る人気を得ている。

これを分析する限り、「ライオンズブルーが好き」という人よりも「1979-2003年の黄金期ユニフォームが好き」という人が多い、ということが窺える。

ということはつまり、「新たなデザインのライオンズブルーユニフォーム」はライオンズブルー派に受け入れてもらえない可能性が高い、ということだ。

しかし、前述したように70周年ユニフォームやライオンズクラシックの復刻ユニに対しては、(一部マニアの意見を除けば)ほぼ絶賛一辺倒と言ってもいいくらいの勢いで支持が集まっているように感じる。

私からすれば、70周年ユニフォームもクラシックユニも、「新たなデザインのライオンズブルーユニフォーム」に他ならないはずなのだが…

「こっちは良くて、あっちは良くない」の基準がよくわからない、西武ファンが何を求めているのかよく分からない、というのが本音だ。

繰り返しになるが、他人の「好き」を否定するつもりはない。
ただ、好みのツボが分からないのだ。「プレゼント選びに困るタイプ」と言えばこの感覚を理解してもらえるだろうか。

だから、私は「ライオンズブルー至上主義」にノれない。
なかなかプレゼントを送る気になれない。

③レジェンドブルーは別にダサくない

ここへ来て超絶そもそも論になるのだが、そもそも私はレジェンドブルーについて全くダサくない、むしろカッコいい、と思っている。

よくレジェンドブルー、つまり現在の濃紺を基調としたユニフォームに対して「無個性(故にダサい)」という声を見聞きする。
しかし、私は決してそのようなことは思わない。

そもそも紺を基調としたシンプルな私好みのデザインである上、「レジェンドブルー」が誕生した背景を考慮に入れると尚更「嫌いになる要素」がない(※ホームユニフォーム限定の話)。

2008年、記念すべき第1回目の「ライオンズクラシック」にて、1954-1959年に使用された西鉄ライオンズ時代のユニフォームを復刻。
それ以外にも、西鉄時代の歴史にフィーチャーした企画を打ち出した。

こうして、西武球団はこのイベントを機に、これまで数十年間に渡って蓋をし続けてきた西鉄時代(詳細は次項を参照)を球団の「正史カノン」に組み込む方向性へと転換したのだった。

当時イベントのエグゼクティブプロデューサーを勤めた豊田泰光氏の「これまで西武というのは西鉄とは関わりのないチームだと思っていたが、余生は西武の応援に全力を尽くしたいと思う」という言葉は非常に印象的だ。

そして西鉄復活の翌年、2009年に「レジェンドブルー」が誕生する。
西鉄の黒+西武の青=埼玉西武の濃紺。それがレジェンドブルーだ。

新たに生まれ変わった「Lions」ロゴも、西鉄時代の飾り文字ロゴを彷彿する雰囲気を取り入れたものになっており、ただのシンプルではない、必然性と説得力を持ったデザインである。

これが個性でなくて何なのだろう。

いろいろな歴史、背景、意味を盛り込みつつも仕上がり自体は極めてシンプル、というのはプロ野球のユニフォームとしての理想形の一つと言っていいはずだ。

こういった背景や事情を鑑みることなく「シンプルすぎて無個性的=ダサい」と評すのはあまりに浅はかだし、思慮に欠けた言い草だと思う。

もちろん、単純に好みの問題として、そういう背景やら何やらを込みにしても「レジェンドブルーは好きじゃない」「あくまでライオンズブルーが好き」という人も大勢いるだろうということは重々理解しているつもりだ。

ただ、その場合も極力「ダサい」という言葉は安易に使わない方がいい、とだけは言っておきたい。

④ライオンズブルーの功罪

ただし、いくらレジェンドブルーが必然性のあるものだとは言え、やはりライオンズブルーの持つひと目見てライオンズと分かるキャッチーさ、チームカラーとしての効力・効能は、90年近いNPBの歴史を見ても出色である。

30年近くに渡って使用され、その間チームが黄金期を築いたこともあって、ファンの人気も未だ非常に高いのが現状であり、それらの事実を否定するのはむしろ野暮だ。

ライオンズブルーを完全に捨て去る必要はあるのか?という点について、議論の余地があることは認めざるを得ない。

しかし、今度は遡って「ライオンズブルー」が生まれた背景を考えると、その輝かしさばかりを語るだけでは済まされない。

1969年から1971年にかけて相次いで発覚した「黒い霧事件」の中心的存在となったことで球団経営に支障を来たし、1972年シーズンを最後に球団を手放した西鉄。

1973年に太平洋クラブ、1977年にクラウンガスライター、1979年に西武鉄道と命名権及び経営権が渡っていくのだが、この時期に採用されたユニフォームはどれも、シンプルだった西鉄時代とは打って変わったド派手なデザインが特徴だ。

日本初の上下セパレートタイプとなった赤ビジターユニに始まり、アメフト型と揶揄される紫ユニ、そしてライオンズブルー。
さながらユニフォームの明るさで「黒い霧」を晴らそうとするが如く、派手なユニフォームが生み出されたのだった。

その後、やがてチームがライオンズブルーと共に黄金期を迎えたことにより、西鉄時代の暗い過去はものの見事に塗り潰され、以降西鉄時代の歴史は数十年間に渡ってほぼ完全に蓋をされることになる。

また、このような動きは西武のみならずリーグ全体に波及し、70・80年代頃のプロ野球界は極彩色のカラフルなユニフォームで溢れた。
※ちょうどこの時期にユニフォームの素材革命が起こり、発色が鮮やかなダブルニット素材が採用されるようになったことも関係している。

このことから、よく70・80年代頃のプロ野球界を指して「あの頃はどのチームもユニフォームに“個性”があって、どのチームかわかりやすくて良かった」などという論調を頻繁に耳にする。

ただこれは、あくまでその時代を少年少女として過ごした年齢層の声が大きく聞こえがちになるがために、70・80年代的なものが実際の価値以上に「良きこと・良きもの」として扱われているように見える、という現象に過ぎないとも言える訳で。

今や、NPBはおろかMLBでも「個性」を全面に打ち出すタイプのデザインは主流ではないし、野球ユニフォームの歴史を俯瞰的に見ると70・80年代的な“個性”最重視型のデザインの方がむしろ異質な存在なのだ、ということは頭に入れておかなくてはならない。

話を戻すが、歴史を扱う上では、「良きこと」として扱われるものは往々にしてそれに押し潰され「無きもの」となった様々な歴史や人物たちの存在の上に成り立っている、ということに常に自覚的である必要があるのだ。

それを踏まえても、前述の豊田氏のスピーチは実に象徴的である。

そのことを遂に自覚して歴史の蓋を取り去った西武球団には少なからず敬意を示さないといけないし、同時にレジェンドブルーをチームカラーとしていることの意義を今一度考えてみて貰いたいと思う。

もちろん、その上で好き嫌いを論じることに関しては、完全に個人の自由だ。

個性至上主義の行き着く先

小難しい話ばかりですっかり湿っぽくなってしまった(字数もかさみまくっている)ので、そもそも野球のユニフォームにおいて「個性」というものはかなり慎重に扱わないといけないものである、という話を明るくポップに伝えていこう。

ライオンズブルー派が頻繁に持ち出す「個性」というワード。
そういう思考がやがて過度な「個性至上主義」という思想になってしまったとき、行き着く先がどこかと言えば、

例えばこうだったり、

こうだったり、

こうだったりする。
それでも目先の「個性」に拘りますか?と問いたい。

元を正せば、西武黄金期のビジターユニフォームだってこっちの文脈で語られる類のユニフォームになっていた可能性も十分にあったのだ。

2020年代を迎えた今、野球・スポーツ界隈に関わらずデザイン業界全体がシンプル志向を強める傾向にある(ただ、これはこれで味気なさすぎたりもして、シンプルすぎるのもどうかと思わなくもない)。

いずれまた個性最重視型デザインが持て囃される時代が来ないとも言い切れないが、少なくとも今はまだ来てないし、望みはなかなかに薄いだろう。

そういう事情に抜きにしても、今は今で良いところ・語るべきところがたくさんあるのだから、「あの頃」に耽溺してばかりいるより、「今」の良いところにも目を向けた方が豊かなのではないかと思う。

終わりに

別に、全員をレジェンドブルー派に改宗させたい訳では全くない。
そもそも、私自身レジェンドブルー至上主義者という訳ではないし。

ただ、これを読んだ後に世界の見え方がちょっと変わるといいな、という程度の話だ。

外身がシンプルだからと言って、中身が無いなどという訳では決してないのだ、ということを今回の長文駄文から何とか汲み取って貰えれば嬉しい。

ついでに、「あの頃」はあくまで「あの頃」だから良いということもあるかもしれない、ということも言っておきたい。

時代は常に変わっていく。

以上をもって、ユニフォームオタクからの「ライオンズブルー至上主義への上申書」として提出させて頂きたい。

参考文献

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