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今までの人生のターニングポイント

まさに今がターニングポイント!笑


今回の台風15号による被害に対して、僕言葉で書かせていただきます!
表現の仕方が。。。となるかもしれませんがなんとか読んで頂ければ!

台風が来る9/9は花男さん(youtubeで花男 銀河と検索してみて!)のライブサポートで柏にいました。
ライブが終わって車で下北沢のライブハウスまで向かっている途中から雲行きが怪しくなっていって、都内の電車の運休が決まったりなんだりで
「今回の台風はなんかヤバいんだろうね〜」とどこか他人事だった。
実際、地元の館山は台風が来てもそんなに被害を受けてこなっかったし、僕が生まれる前もそんな大きな災害はなかったみたいで、まぁ別に今回もなんとか大丈夫でしょーと思っていた。多分ほとんどの人がそう思っていたと思う。

そして次の日、案の定都内の電車はほとんど止まっていて、、、みんな駅でイライライライラ。
まぁそうだろうなー、なんとか仕事向かうかーと歩いている時に友達からLINEがきた。

「実家大丈夫か?」

え?実家?なんかあった?

まぁまぁ大丈夫だろうと実家に電話をした・・・出ない、というか繋がらない。
兄と母に電話をする・・・繋がらない。LINEをしても既読がつかない。
仕事してるのかと大丈夫だろうと思ったけど、なんか不安とソワソワが止まらなんかった。

夕方になって、やっと状況がわかった。

地元の友達がTwitterで写真と状況をリアルタイムで投稿していた。

屋根が飛ばされました
壁が崩れました
木と電柱が倒れました
停電、断水・・・

なんだこれ。

住んでた町がひどいことになっていた。

不安よりも動かないと。
冗談抜きでそう思った。

家族とは連絡取れなかったけど、今できることをするしかないでしょう!と
仲間と連絡を取り合い、いろんな情報をもらってSNSを使って情報を流し続けた。
館山、南房総市に家族・友達がいる人にまずは情報を届けてまずは知ってもらおうと思って。

すぐに物資を持って地元に飛んで帰る人がたくさんいた。僕もその中の一人で、帰るとまだ信号も動いていないしブルーシートもかかっていない。割れたお店のガラスはまだそのままだったり。
生で見た被災した地元は悲しいことになっていた。

もっとやらないと。それしか思わなかった。

何日かすると瓦礫撤去のボランティアだったりが始まった。
僕は東京に帰っていつも通り仕事をしていた。
時間が経ってくると、こんな投稿がSNSで多くなった。

「なにも出来ない自分が情けない」

やっぱり思うよなぁ。以前起きた災害の時僕も同じことを思っていた。
でも、正直自分に今できることをするしかないし、責める必要もないし。なんて今回は思っていて
SNSでも「なにもできないとか責める必要ないし、自分に出来ることしましょ〜」なんて投稿をしていた。

それから三日くらいたって、そんなことを言っていた僕が
「地元のことなのになんも出来てねぇじゃん」とここ最近で一番へこんだ。笑
みんなこんなかんじなんだなぁと。だからその日の夜だけはiphonも一切見ずに台風の事も一切口に出さずにいた。
それで、なんだかんだリセット出来てスッキリした。みんなも一回はやってみて、現実逃避。笑

そして、復興支援というなの僕の夏休みが始まる。笑

布良という、館山でも有名な漁師町が被害がもの凄くて倒壊もしている家もあるし屋根はない、雨漏りでカビが生えて住めない家があったり。あの日を境に人生が変わってしまった人がいるんだとリアルに感じた。
「もう住めないよ」と瓦礫撤去をさせてもらったお家の方から言われた時はなにも返せなかった。

僕たちが今捨てているものは、台風が来なかったら捨てなくていいものだし、なにより思い出が詰まっているんだよなと思った時は一瞬どうしたらいいんだろうと思ったけど。。。これは本人じゃ始末出来ないし、したくないだろうから僕らがやるしかないと覚悟することが出来た。

太陽族のヒバリという歌の歌詞に
「瓦礫と呼ばれるものたちは、誰かの宝物」という詩がある。
これは瓦礫撤去を今もしてる、これからする人にも覚えていてほしい言葉。

こうやって、作業をしているとシンプルに時間がかかるなぁと思った。
物質的なこともそうだし、人の心もそうだし。。
館山は観光で成り立っていると言ってもいいくらいで、今回のことで農業漁業も被害を受けて観光にくる人が減るんじゃないかと心配にもなる。
いろんなマイナスなこと、不安なことが出てくる。

だけどね
ここからが僕の超伝えたいこと。

良くも悪くも今回の台風で僕の地元が注目をされている。
じゃあ立ち上がるしかないんじゃないか?

シャッター街になってしまった場所が増えて、ちょっと落ち込み気味だった。
じゃあ、立ち上がってやり直してもいいんじゃないか?
僕は台風のその日、館山にはいなかったけど
館山出身で生まれて育って、プライドがあります。
プライドがあるんです。
これはチャンスなんだと思う。
館山でも前を向いている人がたくさんいる。
未来を見ている人がたくさんいる。
やるしかないよね。

僕は音楽が好きで、音楽に助けられた、ただの音楽好きな男です。
だから20歳から今まで6年間音楽のイベントをしてきました。
最初は館山で、今は東京で。


来年、館山でフェスをします。

音楽が家を建て直してくれるわけではないけど
なにかが変わるはず。

だから目の前のことをしっかり片付けながらその日までまずは頑張ります。

最後まで読んで頂きありがとうございました!

シンプルに楽しい場所つくりましょーーー!!

そして、時間がある人瓦礫撤去頑張って、ブルーシート張って、日常を取り戻しましょうね!
まずはそこから!!
あとは復興作業する人、僕を含めて自分の日常を大切に!!

こんなこと考えるバカやろうを許してください!笑

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