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書くことは考えること

前半シーズンは故障の影響でレースに出ることが叶わず、それゆえ投稿のタイミングを完全に逸してしまった。

それなりにしっかりした文章を書くことから離れた結果として、文章力云々ではなく、残念なことに思考能力自体が落ちてしまったと感じる。やはり書くことは考えることなのだ。今回はそれについて書いていきたい。

頭の中で考えていることでも、いざそれについて書け、話せと言われたら言葉に詰まって「自分ってこんなに書けない、話せないものなのか」と落胆した経験はないだろうか。

頭の中で考える行為と、考えをアウトプットする行為は別個の行為と捉えられがちである。頭の中ではしっかり考えているはずなのにうまくアウトプットできない経験をすると、アウトプットの仕方が下手なせいだと思い込んでしまいがちだ。文章力がないとかプレゼン力がないとか。

しかし実はアウトプットの能力というのはあってないようなもので、単に思考の質が低いからアウトプットの質が低いのではないかとある時気づいた。

自分は“考えること”について以下のように考えている。

考えというのは、自身で精査し構築するという過程を経ることで押し進められるものだ。頭の中にあるものを頭の中で反芻できるのは一握りの天才だけで、自分のような一般人は頭の中にあるものを一旦外に出して目に見える状態にしてやり、それらを精査し構築したらまた頭の中に戻してやる、という面倒なプロセスを経る必要がある。ここまで一連の作業が考えるという行為にあたるので、書くことは考えることと一体化していると言える。この地道な作業によって思考能力は高まるし、その作業を怠れば逆もまた然りである。怠ってきたのが今の自分というわけだ。

参考までにというつもりは毛頭ないが、自分は文章を書くとき、まずは箇条書き風に頭の中のことを書き出していく、それから書き出したものを伝わりやすいように並び替えていく、そしてその過程でさらに追加したり削ったりして文章全体をブラッシュアップしていく、というやり方を取ることが多い。いわゆるボトムアップ式だ。まずはとりあえず冷蔵庫にあるもので料理を作っていき、途中で味見して調味料を加えたり、必要があればまた食材を買いに出たりしながら料理を完成させるイメージだ。

文章全体と段落ごとに明確なテーマを決めて、それに従い文章を書き進めていくトップダウン式の書き方もある。料理の例えを使うなら、最初に完成品を決めてしまい、そこから逆算して必要な食材を買ってレシピ通り料理をするイメージだ。

一般に筋の通った文章を書く際にはトップダウン式が推奨されるように思うが、どうも自分の肌にはあまり合わないようだ。おそらくだが、ボトムアップ式に文章を組んで行った方が、書きながら思考が整理されるという”書くことによる効用”を得やすいこと、当初からは思いもよらない方向に文章が転がる不確実性を楽しめること、というのを潜在的に感じているからだと思う。人に伝えることよりも、自分の頭の中を整理することが主目的となるとこういう趣向になるのだろうか。色々な人の文章を見ていると、その人がトップダウンとボトムアップのどちらで文章を書く傾向があるのかなんとなくわかるので意識すると面白いところだ。

ではなぜ発信するのか。それは第三者を意識して書くことで、伝わりやすい文章はようやく完成するからだ。伝わりやすい文章、すなわち精査と構築の過程を経た文章を書くことは思考の整理に必要だが、自分のためだけにはできないほど骨が折れる作業だ。そこで人にわかりやすく伝えるというミッションを自身に課すことで、思考を整理するという本来の目的を遠回しに達成しようとしているのだ。

発信を前提にすることは、読者が読みたいかどうかは関係なく自分にとっては利がある行為なのだ。つまり何が言いたいのかよくわからないこの文章もここまで書き上げた時点で勝ち確だ。

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