見出し画像

ランニングフォームは「変わる」もの

ランニングフォームは意識して変える必要はないという旨のnoteを書いた。

そんなことを書いておきながら、自分のランニングフォームを振り返ってみると、ちゃんと変わっているではないか!

脚が痛いわけでも、脱水になっているわけでもない。もしかしたら、気付いていなかっただけで後ろから糸で引っ張られていたのかもしれない。

まだ直したいところはたくさんあるが、他のエリートランナーと走っても恥ずかしくないレベルにはなっている。

ランニングフォームは意識して「変える」ものではなく、身体の適応の結果として「変わる」もの、だと考えている。フォーム自体が変わることとは矛盾しないだろう。

自分のランニングフォーム変化を振り返ってみると、高校時代の練習がかなり効いていると思っている。

うちの高校(静岡県立韮山高校)では短距離フィールド合わせた全パートでの合同練習がそれなりにあった。内容は坂や階段をとにかく全力で駆け上がるものだった。

当然だが、あの椅子に腰掛けたような走りでは坂や階段のダッシュには全く対応できない。あれこれ工夫して(フォームを変えるというより感覚の追求)、少しでも速く走れる動きを模索していくことになる。坂や階段を全力で駆け上がれるように身体が適応し、時間をかけて馴染んでいったと思われる。

ラクに速く走ることにフォーカスした「結果」フォームが変わる、と言うのがミソなので、逆説的だがフォームをあれこれ考えて取り組んだら望んだ結果は得られなかったと思う。今振り返ると、特に目的もわからず全力でやるくらいでちょうど良かった。

今流行りの“フォアフット”で言うなら、こんな例えになるだろうか。(伝われ!)

高校から大学にかけてもフォームはある程度良くなった。大学ではタータントラックが常時使えてスピードを出す機会が増えたので、速い動きに身体が適応したと言うシンプルな話だと思う。洗練されたフォームだからスピードが出る、もあるだろうが、スピードを出すからフォームが洗練される、も同様に言えると思う。

しかし、見た目のフォームをよくしようとあれこれやった時期もあって、それは本当に失敗だった。常に身体のどこかを意識しながら走る癖がついて集中が効かないし、日によって走りの感覚のズレが大きいので調子も安定しない。以前のnoteで書いたような特定部位を意識しすぎることによる怪我にも繋がった。例えば自分は腕振りの肘の角度が鈍角(開き気味)だから鋭角を心がけたこともあったが、あれは本当に意味がなかった。

長距離のレースでハイパフォーマンスを出そうと思ったら、数十分間は集中状態(いわゆる“ゾーン”)に入る必要がある。ゾーンに対する表現は様々だが、自己の分離が起き、自意識が曖昧になりやすいと言われている。長距離の例で言うと、とにかく前の選手に必死で食らいついて行った時に入りやすい。逆に言うと、時計や自分の動きを気にしている時は入りにくい。 1番わかりやすい例だと、脚を痛めている時は気が散ってすぐにキツくなる。これは体感として分かる方もいるのではないか。

身体のどこかを意識しながら走るのは、自らゾーンに入りにくい状態を作ってしまっていると言える。そういう意味では、意識してなんとか作り上げたフォームは実戦向きではないと思う。練習のどこかで意識してフォームを作ることがあってもいいと思うが、本番では無意識の状態に持っていくことで爆発的なパフォーマンスが発揮できることは心得ておく必要がある。

自分の良かったところ悪かったところを整理した結果、今はトレーニングでフィジカルを鍛えつつ、走る時にはラクに速くだけにフォーカスする、という方針に落ち着いている。フォーカスするポイントを変えずに身体が変われば、フォームも変わらざるを得ないだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?