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判断できるようになる。

判断しない、というのは
良し悪しの意味がないので
判断しない、という意味ではなく、
感覚が信頼できないから、
まだ、判断できないという意味なんです。

なぜなら、アレクサンダーさんは
やっていると思っていたことを
やっていなかった、ということを
鏡の中の自分に見たんです。


意識的コントロールをもとに
感覚を信頼できるものにしていくと、
良し悪しの判断ができるようになってきます。

誠実に自分が何をやっているかを見つめると、
あ、ダメだったな、とか
今別のことに意識が飛んでいたな、とか
事実を事実として見ることができます。

否定してはダメだ、なんてやると
この事実を見ることができません。

この事実からしか、次に進むことはできない。


ダメだったな、と認める。
意識的コントロールができていなかった、と認める。

認めてようやく、次はどうしようか、という
問いが出てきます。

教師は手を使って
生徒を助けることができます。
教師はそういう役割としてもいるんです。
ただただ、正解を教えます、
というような役割ではありません。


感覚認識を信頼できるようにし、
それを基に良し悪しの判断を
生徒自身でできるようになると、
より意識的コントロールができるようになります。

こんなふうにレッスンは進んでいきます。

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