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身体。感情。言葉。

瞑想って、そうか、
座って感情に向き合ったり
受け入れたりすることで、
動きを少なくすることで、なるべく
動きとくっついているものが
出ないようにして、
身体と感情を切り離しやすい
環境を作っているのかもしれない。

そうやって頭でっかちになって
わかった気になっていることが、
本当にわかるようになるのかもしれません。

これも身体とつながることなのかも。


身体と感情(感覚)。
言葉で分けることも本当はおかしいくらい
一緒ものなんですよね。

ある感情を抱いた時に
筋肉的にはある反応があって、
その動きの反応があるから
その感情を抱いったって感覚が得られる。

どちらが先なのかわからないくらいくっついている。

筋肉的にそう動いたから
そういう動きをしたという実感がある。

別の動きをしたら、
同じ結果の動きでも
別の動きをしたという感覚があります。

同じ結果の動きでもやった感がないんです。

やった感がない。
その動きをした気になれない。

言葉とくっついてしまっている、その動き、
例えば座るということ一つとってみても、
「座ろう」と思えば、
「座ろう」とくっついている動きをしようとします。
結果、座った感が出て動作を完了します。

動きと感情と言葉が
複雑に絡み合って、私たちは動いています。

動きが感情を生み出したり、
感情が言葉を生み出したり、
言葉で動きを生み出したり、
感情で動きを生み出したり。
などなど、全部が絡み合っています。
(言葉で書くとこうなりますが、
全て同時に起こるんですよ。)

これを丁寧にほどいていき、
単に一緒のものだよね、と言って、
整理していきます。

動きとくっついている反応を、
感情とくっついている反応を、
言葉とくっついている反応を、
意識的にコントロールできるようにしていきます。

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