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自分は一人じゃない。

また養老孟司さんの講演での話から。

てんかんで発作が左右どちらかの脳で起こるので
脳を左右で切り離した手術をした方のエピソード。
(昔はこういう無茶なことをしたんです)
(発作が起こらない方の脳を守る目的もあったようですが)
その方が家を出ようとする時に靴下を履こうとしたんですね、
それがなかなか履けない。
ビデオを撮っていたので何をその方がやっていたのかわかるんですが、
なんとその方靴下を履いたらまた自分で脱いでいたんです。

論理的思考をする方の脳は、
家を出るんだから靴下を履こうとする。
しかし、その反対の直感の脳では
家を出たら何が起こるかわからないという恐怖のようなものから、
家を出たくないと思っているから脱ぐんだ、と。

だから自分というのは一人じゃないんだ。
こういうんです。

わたしはこの話、まあそうだろうなと。

この記事で書いたように
意識ではやろうとしているのに
無意識でしたくない方が勝ってしまう経験がありますから。

この経験を「自分は一人じゃない」と言えばわかりやすくなりました。



これを長いスパンで考えると
無意識で色々やってしまっているということ。
意識でわたしはこういう人間ですと思っていることとは
全く違うことをしているということ。

それが自分が思っている自分と、
他人が思っている自分とに乖離がある原因なのかな。


意識であれこれやろうとしても
履いた靴下は脱いじゃいますからね。

だから「思ってやらない」を挟む必要があるのか!


意識ではやろうと思っていることを
無意識が邪魔をする原因の一つなのかな。

自分は一人じゃないんです。

意識できていない自分がいて、
そっちの方が行動に深く作用する。
だって意識できずに行動してしまっているんですから。

氷山の例えでもわかるように
意識できている方が少ないんです。

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