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やればできる

ここをこうしてああしてってやればできてしまいます。

なんだ、いつも言ってることと違うじゃないか。
そうです。違います。

できてしまうのですが、
違うんですよ。

「なにもしない」を通してと、
自分でここをこうしてああして、とは違うんです。

何が違うかって、全部まるっと違います。


刺激に対してすぐさま反応せず
考える時間をとり、その結果良くなる。

「なにもしない」を通してしか起こらない変化です。

刺激ってなに?
外からでも内からでもいいんですが、
なんらかの自分に対しての入力です。

誰かに握手を求められた(外から)、
こうしたいなあ(内から)、
などなどです。

こうしたいなあ、がわかりにくいかもしれません。
例えば、
コップを取りたいとか、立ちあがろうとか、
実際の動きではなく、考えることです。
何か自分の中で起こる欲求のこと。

その欲求に反応しない。
これが「なにもしない」です。

こうしようああしようで動かしたときは
その部分しか変化せず、
意識した部分以外への影響はどこへやら、と
なってしまいがちです。
動かしただけに終わることが多いです。

もちろんいつもと違うことをするわけですから
変化を感じることはできるでしょう。
でも、次の瞬間意識して動かすのを忘れると。。。。

「なにもしない」を通さないと
やろうとしたことをただやるだけになってしまいます。


身体は私たちがやろうと思ったことを
実行しようとしてくれます。ですが、
私たちがやろうとしたことを
本来できそうもないことも身体は混乱しながら
何とかやろうとしてくれます。

身体ができることと
私たちが身体にやってほしいこととに
齟齬が生まれる原因の一つです。

身体的には痛みや歪みなど
精神的にも色々と良くないことが起こるようになりかねません。

望むものに、
考えず、「なにもしない」をせず、
一直線にやろうとするなら
さまざまなことに巻き込まれていってしまうことになります。

あれができない、これができないと言った自己否定や
これをやるんだと自意識ばかりでやろうとして、
「こう動かしたい」「そうじゃない」「こっちかな?」
葛藤のままに動かすことになります。

身体は迷いながら葛藤しながら
私たちの望みを叶えようとしてくれている。
それが痛みやなんやかやと
障害が起こってくる原因となっているかもしれません。


ウォルター・キャリントンの本を読んで
確かに!わかる!となったことを元に書きました。
彼は本当にシンプルに考えることができているんだと
びっくりしかありません。

短い記事ですので併せて読んでみてください。

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