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「観察」と解析的麻痺

解析的麻痺という言葉を知りました。

これはわたしの言っていることが、この解析的麻痺に落ちってしまうかもしれないと思い、わたしの言っている「観察」とはなんなのか?の説明をしてみようという記事です。


わたしのいう観察とはなんなのか。一言でいうと、
自分が何をしているのかをただただ見る、ということです。
そんなの簡単と思われるかもしれませんが、ちょっと待ってください。ほんとにただ見るだけってできますか?

試しに、目の前にあるものに向かって指差し確認の動作をしてみてください。
その動作を見て欲しいのですが、あなたがどうやって動かしているのかをただ見るだけなのが「観察」です。
実際にやってみてください。


どうでしたか?

腕が動くのをただ見ているようで、見ているときに何かしようとしていませんか?
何も考えず指差しをした時と、じっと動作を見ながら指差しをした時、
動きに何か違いがありませんか?

ここに観察の練習が必要な理由があるんです。

ただ見るだけ、のはずがいつの間にか動きそのものを ‘自分で‘ 変えてしまっている。初めは動いているものをただただ見るということができないんです。
面白いですよねー。
意識的にやろうとすると、普段通りのことができなくなりなんだか分からないけれどその動きをコントロールしたくなる。
(これに待ったをして、次の動きを選択できるようにする技術がアレクサンダーテクニークです。)

解析的麻痺というのは、この違いに気づかずやっていることをただ見ているだけのつもりが、いつの間にか何かしらをコントロールしようとして今までやっていたことが分からなくなり、結果的に訳が分からなくなるということなのではないでしょうか?

なんとなく「観察」の中身が伝わっているといいんですけれどどうでしょうか?



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