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続、なにもしない。

自分への指示としての言葉で、
アレクサンダーさんに直接習った方の
マクドナルドさんの本の中では「 let 」を使うんです。
「 let 」って訳しにくいらしいんですが、
それの意味するところはなんとなーくわかります。

で、「 let 」の翻訳、ではなく
なぜ「 let 」が使われているのかなということ。

日本語で日本人にわかるような言葉が
「自ずから」なんじゃないかなーって。

首をフリーにすると
頭が前に上に「自ずから」いってくれる
そうすると
背中が「自ずから」長く広くなってくれる

こういう意味なんじゃないかなーって。

で、そうなるようになることを
自ら邪魔をしていることに気づいて、
その邪魔をやめていく。

こういうことなんじゃないかなーって。



そこに至る道のりはいろいろあります。
最近「弓と禅」という本を読んだ影響もあるんですが、
本質を学ぶためには
技術的なことをきっちりと学び習得する必要がある。

そりゃそうですよね。
書道の師範がひらがな書くの下手とかないはず。
筆の扱いには長けているはず。

アレクサンダーテクニークもそのあたりは同じで、
「なにもしない」というのもそういうものです。

「なにもしない」だったら、レッスン行く必要ないじゃない、
とはならないのはこういうことです。
「なにもしない」ができるまでには
きっちりとしたものを学ぶ必要があります。

どこかの誰かが文字なんて
自分が書きたいように書けばいいんだよ、
なにも考える必要ないんだよ、という時の
なにも考えないと、
書道の師範がいう時の
なにも考えないが同じだとは思いません。

野球だってゴルフだって将棋だって料理だって
なんだって同じなんじゃないかな。

味付けなんて自分が好きなようにすればいいんだよ、で
美味しくできる人はすごく料理ができる人。

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