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間違うな、正解を吹け!

まゆこさんと言う方の楽器を演奏する上での音ミスについてという記事について思ったことです。

間違うことを怖がって音楽を楽しめないのはもったいない!音楽を楽しもうよ!音楽って楽しいよね!みんなにそれが伝わって欲しいということが書かれてあるように読みました。
わたしもすごく思っているところだったので刺さったんですよね。


むかしむかし、わたしがいた環境では間違うと笑われたり、怒られたり。
なんならため息までつかれ。わたし自身がわたしを追い込んで行きました。

間違うな、おれ!

そうやってどんどん追い詰めていきました。そんなことしてるともっと間違うんですよね。そりゃそうだ。色々固まっていくし、視野も狭くなるし。一本橋を渡るように道を狭くしてそろそろと歩いていました。
(体操の選手とか普通の床歩いてるみたいだもんなー)
間違わないことを目的にして良かったことなんて一つもないんじゃないかな。
もちろんまゆこさんも言っているように、積極的に間違えようと言っているんじゃないですよ。練習しても間違える時は間違える。本番なんて特にそうで、いつも間違えない間違えかたをする。経験ないですか?わたしはこの間の本番でやらかしました。

まだまだこの自分自身で課した「間違えるな、おれ!」から抜け出せないでいます。たまに抜けられるんですけどね。抜けられる時と抜けられない時の違いってなんなんだろうか?個人練でできるところを増やしているかどうかかな?
多分そうだな。うん。根拠のない自信が出てくるもんな。

間違えることを心配するより、どれだけ曲の中にいるか。
こっちの方がわたし自身楽しいし、聞いてくれている方も楽しいんじゃないかな。そう思います。自分でかけてしまった間違えるな!の呪い解きたいです。


もう一つは、
そうじゃないんだよこれが正解!、というもの。

どこかに正解があってそれを見つけないとダメっていうつらい考え。

「自分にとっての正解」にも書きましたが、正解ってほんとにみんな一人一人全員違うんですよ。先生や誰かの教えてくれることって、その教えてくれた人にとっての正解でわたしにとっての正解かどうかは試してみないとわからないんですよね。(この記事だってそうです)こっちだよとあなたにとっての正解の方向を教えてくれるのでほんとにありがたいことですが、自分にあっているかどうかはわからない。
逆に考えると、正解なんてないんですよね。
自分にとってどうか、という話なだけ。

アンブシュアのこともそんな風に考えていました。
ちゃんとしたアンブシュアじゃないとダメで、そのためにどうすればいいのかずっとあーだこーだやっていた時期がありましたが、今ではほとんど気にしなくなりました。どうでもいいは言い過ぎかも知れませんが何をしたいのか改めて考えると、曲を吹きたいんですよね。
みんなで合わせて演奏することがしたいこと。

曲を吹きたい、
そのための演奏技術、
そのためのアンブシュア。

あーあこーだやったことが今につながっているのはそうかも知れませんが、
どこかに正解があるなんてことはない。

正解じゃないかもって縮こまっていなくてもいいんですよ!!!


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