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パリ近郊行楽地の誕生と印象派(前編)

19世紀後半、フランスでは、モネ、マネ、ルノワールらに代表される印象派の画家たちが大輪の花を咲かせました。ところで、印象派の活躍には、当時のフランスの社会事情が大きく影響していました。この投稿では、その間の関係について触れたいと思います。

1.アルジャントゥイユ


ここに2点の絵画があります。どちらも、空にあふれる光、水面に踊る光を素早く軽やかな筆致で捉えているところに、印象派の特徴がよく現れています。

モネ/アルジャントゥイユの橋

220704夜/カイユボット/アルジャントイユのヨット

この2作品は、同じパリ近郊の街で描かれました。陽光をきらきら反射させている川は、どちらもセーヌ川です。

上はクロード・モネ「アルジャントゥイユの橋」(1874年)
下はギュスターブ・カイユボット「アルジャントゥイユのヨット」(1888年)です。

いずれも、画像は「西洋絵画美術館」からお借りしました。

アルジャントゥイユは、当時の雑誌に「セーヌ川右岸ぎりぎりのところまでぶどうの木が植えられている小さな丘の上につくられた心地よい環境の美しい町」と紹介され、日曜ともなれば、ボート遊びなどを目当てにパリからの行楽客が集まる、典型的なパリの近郊都市でした。

アルジャントゥイユを訪れるパリ市民たちが打ち興じるヨットレースなどの娯楽、陽光を受け波に揺れるボート、そして自然のままが残り、ひなげしが群生する草原――これらは画家たちに無数の題材を提供しました。1870年代前半、アルジャントゥイユは、印象派の画家たちの理想郷となりました。

アルジャントゥイユを舞台にした絵画を、もう3点、紹介します。

モネ/アルジャントゥイユの野原

アルジャントゥイユに残っていた豊かな自然を描いた
クロード・モネ「アルジャントゥイユの野原」(1875年)
画像は「西洋絵画美術館」からお借りしました。

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クロード・モネ「アルジャントゥイユの鉄道」(1873年)

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ピエール・オーギュスト・ルノワール「アルジャントゥイユの鉄道」(1873年)

上掲2点の画像は、「アート名画館公式ブログ」からお借りしました。

モネとルノワールは、二人が画家として世に認められる前からの親友でした。上記2点は、アルジャントゥイユの鉄橋をほとんど同じ位置から同じ角度で描いています。もしかしたら、二人はセーヌ川の岸に並んでイーゼルを立て、この2点を描いたのかもしれません。

実は、18世紀の後半、パリ近郊には、アルジャントゥイユだけでなく、ブージヴァル、アニエールなど、パリ市民が行楽を楽しむ近郊都市が次々と現れ、これらが印象派の画家たちが筆をふるう格好の舞台を提供していたのです。この背景には、当時フランスで進行していた社会の一大変革がありました。

次回は、この変革について触れたいと思います。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

『パリ近郊行楽地の誕生と印象派(前編)』おわり

後編はこちらです:



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