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司馬遼太郎「坂の上の雲 七」より

日露戦争における203高地での戦いに関する描写が違う意味を持って響いて来たので書き留めておきたい。

…ただそれだけのことであるのにこれが203高地に似ているとして兵士が口々にささやきあったのは、日本軍が陣地攻撃をするにあたってあいかわらず銃剣攻撃をもってする型をくりかえし、そのためにかつて203高地において払ったような犠牲をはらってしまったからである。むろん撃退された。
 この銃剣攻撃は、おどろくべきことに後備第一師団と第十一師団の全力をあげておこなわれた。
(またあれをやるのだ)
という兵士たちの絶望的な思いが、眼前のロシア軍陣地をもって「小旅順」ととなえしめたのであろう。日本軍の師団参謀たちの頭は開戦一年余ですでに老化し、作戦の「型」ができ、その戦闘形式はつねに「型」をくりかえすだけという運動律がうまれてしまっていた。「型」の犠牲はむろん兵士たちであった。

203高地=欧米での傾向
兵士=国民
日本軍=政府
陣地攻撃=コロナ対策
銃剣攻撃=まん延防止やマスク着用
後備第一師団と第十一師団=分科会と知事会
ロシア軍陣地=出口戦略
小旅順=後手対策
師団参謀=閣僚
開戦=感染
作戦=対策
戦闘形式=基本対応

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