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偶然のコレクション

僕は旅をするときは基本的にノープランでいく。
とりあえずその場所に行くこと自体が目的で、
あとの出来事は流れに任せる。
細かいことを決めるのがストレスなのと、
決めてしまうとそれ通りに動くことに気を取られてしまうので
そこでしか見られない街や空の表情を見落としてしまうからだ。

ノープランで行くのは旅だけではない。

例えばアートの展覧会はほとんどが前情報ほとんどなしで行く。
昨日は友達と東京オペラシティで開催中のRyan Gander展に行った。
僕が友達を誘ったのだが、友達から「今日は何の展覧会に行くの?」と聞かれた時、
「僕はわからない。」と答えた。
友達は不思議そうな顔をしつつも「その状態で会場に行くの、めっちゃ楽しそうだね!」
と言ってくれた。

展覧会を見るまで僕はRyan Ganderについて1mmも知らなかったし興味もなかった。
でもTwitterでオペラシティでなにやらやっているという情報だけ見つけて
とにかく足を運んでみたのだ。

今なにがやっていて、どんなアーティストで、なにを表現している人で、
どんな技法で、どれだけ称賛されていて、、、、などという前情報があると
気構えてしまって本来の自分のセンサーで感じることができなくなってしまう。

誰かが「このアーティストのココがすごい!」と言っているからソコに着目するのと、
自分から自発的にソコがすごいと発見するのとでは
僕の中では感動の度合いが違う。
感動の度合いとはつまり、
自分がそのアーティストを知ることになった運命についてしみじみ感じることや自分との関連性、結びつきをについて思いを巡らせることである。
たまたま行ったという偶然性と自分から気付いたという自発性が
きっとインスピレーションをもたらす鍵なのだと僕は感じている。

お目当てのバンドを見にイベントに行ったら、
偶然その日にライブしてた違うバンドを好きになったり。
とりあえず何かが観たいからと適当に行ってみた映画に強く心を打たれたり。

前情報がないから期待や買い被りと言ったハードルがないからスッと入ってきやすいのだろうか。

とにかく僕はこーいった「偶然性」を大事にしている。

よくシモンとあまり予定を決めすぎずに、
無理なくお互いの時間を過ごそうという意味で
「JAZZで。」という言葉を使う。
きっちり約束をしてしまうと、突然気が向かなくなったときや都合が悪くなった時に辛くなる。
その日その時行きたかったら一緒に行こう。
それくらいの余白があると束縛感がなくなり気構えずにスッと楽しむことができる。

そして「行けたら行く。」という曖昧な予定が実現した半偶然性のような波がその約束の実現を祝福してくれるので当日を楽しむことができる。

なんでも決めつけられていたら楽しめない。
物語は先がわかっていないからこそ楽しい。
人生もまた然りである。

僕は「偶然性」を大切にしたい。

たまたま出会った風景に胸を打たれたらそれを描きたい。
ふと湧き上がった感情が頭から離れないならそれを文章にしたい。
突然心にメロディが流れたらそれを歌にしたい
何気なく入った古着屋で見つけたなんでもない服を身につけたい。
なんでか知り合った友達の作品を眺めていたい。
奇跡的に出会えた相手を心から愛し大切にしたいのだ。

僕は「偶然性」追いながら、
見つけた全ての感情とアイデアをコレクションするように何かを生み出し続けて行きたいのだ。

今日もまだ見ぬ何かにワクワクしながら、
今あることの全ては未来をよくする為に起こっていると信じ抜いて行こうと思う。

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