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めんどくささのその先に

台風真っ只中。
激しく雨が降ったり止んだりしておかしな天気が続く。
膨らんだポテチの袋を見て低気圧を実感する。
昔より低気圧が体にくるようになった。
いつもは頭痛がしたりするけど今回はそれがない。
でもその代わりに体がちょっと重い。
そーゆーときは逆に運動する。
体を動かすと調子がいい。
ジムやプールに行く前はいつもめんどくさいけど、
行って後悔したことは一度もない。
軽い興奮と爽快感が必ず訪れてくれる。必ず。
だから僕は運動が好きだ。
運動は裏切らない。

文章と絵と音楽もそれと全く一緒だ。
創ったあと必ず興奮と爽快感と感動がある。
でも基本的にはめんどくさい。
めちゃめちゃ好きなことだし、生きがいだけど、
やっぱりめんどくさく感じるときはある。
続かなくなる時もある。
人間は怠けたい生き物だ。

でもそれを一つ一つ乗り越えていく。
人生はそういうものだ。

めんどくさく感じる自分はもう良い加減理解してあげよう。
いちいちケチをつけるのはよそう。

「めんどくさく感じるよね、でもやっとこう。後できっといいことある。」

僕はめんどくさく感じたらいつもそう唱える。
全然余裕ないくせに、すぐに金にならないようなことをしている。
でもやりたいことだから腹を括るほかない。
金や地位や名声なんかに自分のスピリッツを侵略されてたまるものか。
僕は僕として生きる人生にこそ魅力を感じる。

直感でビビッときてるものに情熱を注ぎたい。
そしたらどうなるのかに興味がある。
僕は生きながら実験している。
自分の人生を捧げて試している。
だからかなりの凸凹道だけど楽しいのかもしれない。

簡単なゲームはつまらない。
マリカーでは当然最難関コースで走りたい。
馬鹿なりに、下手なりに、不器用なりに、
試行錯誤という芸術を人生を通して楽しんでいきたい。

久々に文章を書いている。
5日ぶりだ。
ここまで書き進めてだんだんまた気持ち良くなってきている。
やはりやってよかったと思える。
改めて手を動かすことは裏切らないなと感じる。

止まりそうになったらまず手を動かす。
止まると時が必要以上の意味を持とうとして重くのしかかってくる。
めんどくさいを放置するとそうなる。
時は時でしかない。
瞬間の連続である。
必要以上の意味は脳のシステムに負担をかける。
正常に処理できなくなってしまう。

「手を動かす」という行為はその負担を軽減させてくれる。
一瞬一瞬に対して脳が意味を付加しようとする動きを最小限に減らし、
作業を遂行することに集中させてくれる。
そこで時の流れ方は変わる。

手を動かす以前は時が細かい点の状態で一つ二つと連続で流れてくるのに対して、
手を動かしている最中は時が大きな一つのプールのような状態となってその中で泳がせてくれる。
連続的な時間の流れは消え、一つの空間で浮いているイメージ。
世間一般に「ゾーンに入る」とは極限の集中状態のことを指している印象だが、
僕はちょっとだけ作業して集中した時にも使う。

手を動かすことは時間の束縛から解放してくれる。
時間を飛び越え、空間、感情、様々な次元の中で泳がせてくれる。
手を動かす、たったそれだけである。
なんとワクワクすることだろう。
開放への扉はすぐそこにある。
ただやればいいだけなのだ。

めんどくさいのは当然だ。
でも出口はすぐそこにある。
机に向かってやるだけである。
外に出てやるだけである。
自分の方法でやるだけである。

たったそれだけで見たかった景色の一部に触れることができる。
あとはそれをどんどん積み重ねてたくさんに触れられるようにする。
簡単なことである。

いきなり大きなことをかまそうとせず、
小さなことを大きな愛を持ってコツコツ重ねていくのだ。

とまぁこんな感じで久々のnoteを終わりにする。
肌寒い気温と薄暗い空で始まる一日を、
マグカップのホットコーヒーがほんの僅かになだめてくれているようだった。

自画像 / Keisuke Saito©︎
2022.9.17


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