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自然矛盾

梅雨、あけましておめでとう。
史上最速らしいね。
本当一瞬だったなぁ。最高。最高。
湿気が本当に苦手で、毎年この時期が来るごとに萎えてるんだけど、
まじで一瞬で終わってめちゃくちゃ喜んでいる。
いつも「味わえ」とか「面白がれ」とかほざいていてるくせに、
梅雨は全く味わえず面白がれず、ジメジメとした不快感にやられてる。
まぁ嫌いなもんは嫌いっすよ。
不快っすもん。
無理なもんは無理、って割り切って悩まないことにしてるんすよね。
だから梅雨は無理でした。ということですね。
ネチネチ引きずらなければOK。
パッと切り替えて違うことに集中。

要はバランスですよバランス。
何でもかんでも1つのルールでまとめるのは無理がありますよね。
愛とか誠意とか、真理というか、そーゆー軸は必要だけど、
ルールは部門ごとに変えていい。
頭が硬い人はそこで頑なにルール統一を図ろうとするから
煮詰まって動けなくなる。
柔軟に〜柔軟に〜。柔らか〜く、しなやかに〜。(しなやかって漢字ないんだね。)
波を捉えて〜、グルーヴしてこ〜。
緩く、熱く。
自分で自分を潰したらあかんからね。
まず自分を保って、それから人に優しくしようね。

なんの話してたんだっけ?笑
梅雨か。
そこから広がって「ルール1つに決めるな」か。
そうだったね。

スポーツもそうじゃんね。
競技ごとに全くルール違うじゃんね。
でもスポーツマンシップみたいなことに関しては、
みんな共通のマインドが根底にあるよね。
そんなイメージだよね。
一個一個自分のやってることに関して、
それにフィットしたルール作って、うまいこと乗り越えて行こうよ。
そういった意味では梅雨に関して「嫌いだー。」とか「無理だ。」って
割りきてることはむしろそうやって「向き合ってる。」ってことだと思うんよね。
現に「僕は梅雨が嫌いだ。」ってことに関してこうやって記事を書いてるし、
僕はこのnoteも自分の1つの作品だと思ってるから、
いい感じに負の気持ちを楽しんで昇華できてると思うんよね。
それでいいよね。

全て愛せ!でも嫌いなもんは嫌いだ!

矛盾しているように感じるかな?
でもこれでいいと思ってる。
矛盾はいけないことではない。
むしろノー矛盾はちょっと硬くて有機的な感じがしない。
無機質な冷たさすら感じる。
僕ら人間の不完全な脳ではある程度の矛盾は十分に起こり得る。
ある程度矛盾があることはむしろ自然なこと。
僕は今までだらしない友達や会社員時代で関わった取引先の相手の
矛盾を責めたりしていた時もあった。
でも理解が足りなかったと今は思っている。
思考のアート性が欠如していた。
目に見える世界や、きちんとわかりやすい事だけが正解ではない。
矛盾は矛盾であり、辻褄はあっていないが、
それはそれで当然なのだ。
今になって僕は矛盾に関してそう思うようになった。
矛盾こそが人間であり、
それを理解してこそ次の一歩が歩めると思うのである。
平和の為に戦争をしたり、
好きなのに意地悪をしたり、
どれも人間らしさなのである。
もちろん人間らしいからOK!ではなく、
直すべきことは直さなくてはならないが、
そうやって矛盾のうちに失敗し改善していくのもまた人間なのである。
だから矛盾を矛盾だ!と責めるのは
人間になんで人間なんだ!と言ってるようなものだと僕は思うのである。

矛盾は矛盾であって、ごく自然なこと。
それだけ知っておいて、好きになれなかったら適当に流しておく。
時間が経ってなんとなく受け止められるようになったら
理解しようとする。
そんな感じでいいのだと思う。
難しく考えず、適当に流しておくこともとても大切な愛なのである。

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