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俺には作り上げたいカルチャーがある[前編]

俺はフットボールを通して、作り上げたいカルチャーがある。

フットボールカルチャー


音が鳴り響くスタジアム。そこでプレーをするプロサッカー選手。拍手と歓声、チャント、落胆の声で自らを表現するサポーター。勝ったチームには笑顔が許され、拍手と喝采。負けたチームは、熱狂的なファンにより怒号を浴びせられる。町では少年少女がボールを追っている。そんな少年少女をビールを片手に応援する近所のおっさん。アスファルトの上でフットボールを楽しむ青年たち。仕事帰りは、決まってフットサル場で死闘を繰り広げる社会人たち。土日は、決まってフルピッチで試合をする。あれ、あんなところでは女性チーム同士で試合をしている。
一歩外に出てみると、ボールがなくても、俺たちはフットボーラーだと言わんばかりのファッション。フットボーラーは決まって、いつもセンスが良い。週末の休みは、みんなでハンバーガーでも食べに行こう。そのあとはビーチでフットボールでもしよう。もちろん、イケてる音楽と共に。

「みんな、フットボールで遊ぼうぜ」


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なぜ、カルチャーを作りたいのか


フットボールは、まだまだ発展途上であると感じる。
それは、海外サッカーと比較をすれば明らかである。Jリーグと海外リーグを比較して発言をしているわけではない。もっと深いカルチャーの話だ。

海外では、フットボールが日常に溶け込んでいる

それは、単純に観客数が多いとか、プレー人口が多いとか、そういう次元の話ではない。

まさしく、フットボールが「国民の生活に溶け込んでいる」のである。この溶け込みこそカルチャーだと定義している。

国民の生活に溶け込んでいる=自然とフットボールが生活の中にあること
=フットボールカルチャー

このフットボールカルチャーとは、
街に出た時に当たり前かのようにフットボールが繰り広げられたり、リーグのレベルに関係なく応援するチームの旗が立っていたり(ホームシティー以外にも)、フットボール専門店が普通にあったり(それで経営が成り立っているという意味での普通)、街中にフットボールウェアを着ている人がいたり(フットボールをしない時でも、私服として着ている)、ストリートサッカーやビーチサッカーももっと娯楽として認知されている。

そして、何より、そのフットボールを取り巻く人が楽しんでいる

体育としてのフットボールではなく、カルチャーとしてフットボールを楽しんでいる。


かつ、イケてると堂々と主張する。←これが超重要[後編]

もちろん、Jリーグをはじめとした各リーグが盛り上がることや、競技人口が増えることも大事だが、それは、フットボールカルチャーを創り上げることで、ほぼ確実に起きる副産物程度である。

フットボールカルチャーを創り上げることは、新たな角度から日本サッカー界に影響を与えることの他ならない。

一度きりの人生、どうせなら、どでかい影響を後世に残したい。

だから、俺はカルチャーを作りたい。


このカルチャーが創造できる世界とは


フットボールは生活に溶け込むポテンシャルがある。
既に諸外国ではフットボールカルチャーがあるから、当然だ。
そのポテンシャルを、この日本で生かすことができた時、フットボールカルチャーはこの日本で誕生する。

そして、このカルチャーが誕生したら、この日本に何が起きるのだろうか。
少し考えてみよう。

1・未来の子供達に最高のフットボールを残せる

果たして、今日の日本におけるフットボールを取り巻く環境は健全であると言えるだろうか?

某高校での体罰問題をはじめとして、パワハラ、行き過ぎた勝利主義、地位を利用する権力者。

これは、どう転んでも健全ではない。

では、どうすれば良いのか。

そもそも、スポーツを体育として捉えている内は、スポーツの未来は明るくない。

スポーツは英語の名詞[sport]。そして、スポーツはPLAY[遊ぶ]で文章を成立させる。つまり、「楽しむ」ことが目的であり、絶対に忘れてはいけないということ。

しかし、日本ではスポーツを教育の一環としすぎて、「体育」や「修行」「根性」といったような言葉に着地させがちだ。

根底にあるべき「楽しむこと」が失われているのならば、スポーツではない。

競泳で4つのメダルを獲得した松田丈史さんの記事に興味深いお話があった。

水泳が日本で毛嫌いされる理由のお話の際に、

皆川さん(インタビュアー):プールの授業で最初にバタ足ばっかりやらされた「嫌な経験」が背景にあった・・・

[中略]
まずは壁に手をついてバタバタ、次はビート板を使って顔を水につけてバタバタ……と必死にバタバタしても全然前に進んでくれないし、何より苦しくて苦しくて……と、その時の「嫌な記憶」が鮮明によみがえります.

松田さん
:アメリカでは何から教えるか知っていますか?

皆川さんは「顔をつけないで平泳ぎ!」と答え、僕(執筆者)は「豪快に前に進むクロール!」と答えました。すると松田さんは勝ち誇った顔で、「正解は、背泳ぎなんですよ」と答えました。とても意外な答えに2人とも「えーっ!」となりました。

「まずは顔を水につけないで、水に慣れさせること。それから浮く感覚を身につけて楽しく泳がせるんですよ!」と松田さんの説明は続きました。僕(執筆者)は「それじゃ僕を含めて日本の子どもたちがなんか損をしているみたいじゃん!」・・[後略]


子供達にスポーツ本来の楽しさを知ってもらうこと、「カルチャーとしてプレーをすること」が未来のスポーツのためにもマストなのだ。

「楽しさ」を知っているからこそ、もっと上手くなりたい、強くなりたいという欲求が湧き上がる。結果的に、日本のフットボールをはじめとするスポーツが世界を獲ることが可能になるだろう。

それは、カルチャーとしてプレーをすることが当たり前になっているスケボーやスノボーの結果が答えを示してくれている。

大事なことは、フットボールは楽しむものであることを大人が示していくこと。そうすることで、未来の子供に最高のフットボールを残すことができる。


2・日本サッカーが盛り上がる

このカルチャーを作り上げる最大の目的は、先に書いた
未来の子供達に最高のフットボールを残せる」ことだ。

日本サッカーが盛り上がることは、その副産物。

フットボールカルチャーが誕生することで、フットボールを愛する者が、よりフットボールを愛することができる。フットボールを愛する者が増える。

単純に日本サッカーはもっと盛り上がるだろう。

それは、
Jリーグの観客数が増えたり、日本代表がW杯を獲ったり、地域サッカーにも応援団ができたり、「街にフットボールが自然とある」そんな世界になるということだ。


そんな、世界で育った子供たちはきっと大きく羽ばたくフットボーラーになるだろう。羽ばたく場所はどこでも良い。プロになろうが、会社員になろうが、フットボーラーである誇りを持って羽ばたいていき、日本の未来を明るく輝かせてくれるだろう。


だからこそ、俺たちがカルチャーを作り上げる必要がある。

*フットボーラーとは
プレーをしている、していないに関わらず、フットボールを愛する人々のこと

[後編へ続く]

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