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ハンバーグの歴史その6 戦前の日本の料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピ分析(東洋経済オンライン記事補足)

東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。

例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。

「ハンバーグの歴史その4~5」では、戦前のアメリカの料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピの特徴を抽出しました。

今回は戦前の日本の料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピと、アメリカのそれとを比較してみます。

戦前の日本の料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピを30ほどスプレッドシートにまとめました。

これをアメリカの料理書におけるハンバーグ・ステーキレシピと比較すると、2つの相違点が浮かび上がります

相違点1.トマトソースの使用


アメリカおよび戦後日本のハンバーグ・ステーキは、調味料としてトマトケチャップを使用していました(前回参照)。

しかしながら日本でトマトケチャップが普及し始めるのは大正時代以降のこと。戦前はトマトケチャップよりも、「トマトソース」という瓶入りの調味料のほうが普及していました。

トマトケチャップで有名なカゴメも、瓶詰めのトマトソース製造販売から事業を開始しています。トマトケチャップは後から追加した商品です。

昭和時代始めのころのカゴメ広告 一番右の瓶がトマトソース

戦前のハンバーグ・ステーキレシピでは、トマトケチャップの代用品として、このトマトソースを使用していたのです。

相違点2.大正時代以降、鶏卵、パン粉/パンを使用するレシピが増える

アメリカのハンバーグ・ステーキレシピにおいても、生地に鶏卵、パン粉/パンを混ぜ込むことがありますが、必須とはいえません。あくまで一部のレシピのみです。

ところが大正時代以降、日本のレシピでは生地に鶏卵、パン粉/パンを混ぜ込むことが慣例となり、現在まで受け継がれている日本のハンバーグの特徴となります。

なぜ大正時代以降、鶏卵、パン粉/パンを混ぜ込むことが必須となったのでしょうか。

大正時代といえば、アメリカ料理が流行し、東京の西洋料理店にハンバーグ・ステーキが登場し始めた時期になります。

とはいえ、挽肉料理の主役はあくまでイギリス料理から派生したメンチボールでした。

メンチボールにおいては、生地に鶏卵とパン粉を混ぜ込むことが通例となっていました。

ハンバーグ・ステーキに鶏卵、パン粉/パンを混ぜ込む習慣が大正時代以降に一般化したのは、当時メジャーだった似たような料理、メンチボールの影響を受けてのことではないかと思います。

1911(明治44)年生まれ、老舗洋食店「日本橋たいめいけん」創業者・茂出木心護は次のように語ります。

“メンチボールといっても、お若いかたにはおわかりにならないと思いますが、丸い形のハンバーグと考えてくださればいいんです。そのころ、メンチボールと中身は同じなのに、ハンバーグステーキそしてジャーマンビーフという料理があり、この三つの料理はいったいどこが違うのかと、仲間同士よく話したものです。”

茂出木心護『洋食やたいめいけんよもやま話』

茂出木やコック仲間たちは、メンチボールとハンバーグ・ステーキの“中身は同じ”と考えていました。つまりハンバーグ・ステーキは、形が違うだけのメンチボールと認識されていたのです。

日本人コックは、新しく流行し始めたアメリカ料理ハンバーグ・ステーキを、形状の変わった(平たくした)、メンチボールのバリエーションの一形態と解釈しました。なのでメンチボールと同じように、ハンバーグにも鶏卵とパン粉/パンを混ぜ込んだのです。

大正時代以降外食業で広がったこの習慣が、家庭向けの料理書にも反映され、日本のハンバーグの特徴として定着していったのではないかと思います。

さて、戦前の日本の料理書におけるハンバーグレシピと現在のハンバーグレシピはほとんど変わっていませんが、一点だけ大きな違いがあります。

戦後のハンバーグとの違い:合いびき肉の使用は少ない

ご覧の通り、アメリカのハンバーグと同じく、使用している肉はほとんどが牛肉100%。豚肉との合いびき肉を使ったレシピは少数派です。

現在のように牛肉と豚肉の合いびき肉を使うレシピが一般的になったのは、戦後のことなのです。

戦後直後の1950年代、日本におけるアメリカ文化の影響が強くなり、挽肉料理の代表はメンチボールからハンバーグ・ステーキへと交代します。

そして料理書においてもハンバーグ・ステーキレシピが増加するのですが、そこで奇妙な現象が起こります。

イワシなどの、獣肉以外の素材を使ったハンバーグレシピが頻出するのです。

戦後直後のハンバーグに何が起こったのか、ハンバーグの歴史その7に続きます。