ハンバーグの歴史その7 1962年に国民的洋食となったハンバーグ・ステーキ(東洋経済オンライン記事補足)
東洋経済オンラインにおいて、ハンバーグの歴史記事(前編、後編)を公開しました。
例によって字数の関係で情報量を圧縮した記事となっているので、説明が足りない部分をnoteで補足していきます。
アメリカ料理ハンバーグ・ステーキは、1950年代にメンチボール(イギリス由来)にとってかわり、日本の洋食における挽肉料理の代表になります。
1918(大正7)年生まれの紙芝居作家/風俗研究家・加太こうじの証言です。加太によると、進駐軍のアメリカ兵がハンバーグ・ステーキを好んだため、日本でもハンバーグが人気となったそうです。
たしかに、戦前のアメリカ海軍やアメリカ陸軍料理学校の料理書にはハンバーグ・ステーキのレシピが掲載されており、兵食として提供されていたと思われます。
進駐軍だけではありません。1930-60年代にはアメリカの国民全体が実によくハンバーグ・ステーキを食べていました。ハンバーグ・ステーキは、当時のアメリカの国民食だったのです。
いかにアメリカ人が盛んにハンバーグ・ステーキを食べていたか、ここでは児玉定子の『日本の食事様式』(1980年刊)を引用してみましょう。
驚くことに、子供のいる家庭では、毎日ハンバーグ・ステーキを食べていたそうです。
ひょっとしたら児玉は極端な事例に出会ったのかもしれませんが、東洋経済オンライン記事に引用したとおり、他にも複数の資料が、ハンバーグ・ステーキがかつてアメリカを代表する国民食であったことを物語っています。
1934年生まれの農業統計学者・吉田忠も、戦後のハンバーグ・ステーキの普及はアメリカの影響によるものだとしています。
こうして進駐軍占領下の日本でアメリカ料理ハンバーグ・ステーキは人気となり、戦前のメンチボールに変わる挽肉洋食の代表となりました。
サンフランシスコ講和条約が発効し、進駐軍が去った1952年の『主婦の友』11月号において、作家・獅子文六がドイツ料理店のドイツ人店主を訪問する記事が載ります。
このころには、ハンバーグ・ステーキが日本人の好物となっていたことがわかります。
さて、1960年代になると、ハンバーグ・ステーキの人気はさらに高まります。挽肉料理の代表から、洋食を代表するメニューへと出世するのです。
現在のようにハンバーグが日本の国民的洋食となったのは、1960年代初頭のことなのです。
外食店の業界誌『月刊食堂』1961年11月号では、当時ファミレス的な洋食チェーンを展開していた森永(担当者名・栗田)と不二家(担当者名・高山)が、売れ筋商品としてハンバーグの名前をあげています。
同じく『月刊食堂』の1963年1月号には、森永や不二家だけでなく、洋食を出す店では全ての店でハンバーグが人気になっているとあります。
風俗研究家の植原路郎は、雑誌『中国菜』に食物史年表を連載していましたが、その1962(昭和37)年の出来事に“洋風食堂で、ハンバーグ・ステーキを看板にしている店激増”とあります。
このように1962年までには、ハンバーグ・ステーキは現在のような国民的人気をもつ洋食の代表的メニューとなっていたのです。
そして同年、マルシンハンバーグが発売されます。1962年はハンバーグが国民的洋食となった、ハンバーグ元年と言えるでしょう。
さて、この時期ハンバーグが国民的洋食に出世した理由は、アメリカの影響だけではありません。他にも理由があったのです。
その理由は、家庭向けの料理書に現れます。
戦前の料理書におけるハンバーグ・ステーキの肉は、牛肉100%というのが基本でした。
ところが戦後1950年代の料理書においては、魚介類やクジラを使用したレシピが頻出するようになるのです。
この、様々な原材料を融通無碍に利用できるというハンバーグの特質が、国民的洋食へと出世する大きな理由となります。
ハンバーグの歴史その8 団塊の世代の誕生と食生活改善運動に続きます。