【ワーホリ前夜①】腐りかけの牛乳を飲んで貯金してた話
コーヒーが好きだ。
朝、目を覚ますには、すぐに作れるインスタントコーヒーがちょうどいい。
牛乳たっぷり入れたカフェオレコーヒーが飲みたい。
そのため、わたしの朝は、室内においてある牛乳が腐っていないかどうかを確認するところから始まる。
冷蔵庫を持ってなかったからである。
◇◇◇
前回、はじめてのnoteで、高校時代の私がいかに愚か者だったかということと、それにどう気づいたかを書いた。
前回の記事→「留学失敗に気づいた話」
そして最後に「大学入学後はワーキングホリデーに行くという新しい目標を立てた」と書いたのだが、これは2019年の年末のことだった。
つまり2020年に入学した私の大学生活は、未曾有のパンデミックと共に始まっており、入学後もしばらくは実家で過ごしていた。
そして、当時の混沌とした状況を省略して書けば、大学のある石川県金沢市に正式に引っ越したのは入学から半年後、2020年10月のことだった。
この頃は、ようやく大学のスタートラインに立った気分で、そこから海外に行くなんて、夢のまた夢のことであった。
初めての一人暮らし
ありがたいことに私は両親から家賃と食費分の仕送りを受けていた。
だが、それまでお小遣いなどがなく欲しいものを申告して買ってもらうタイプの家庭で育った私は、「決められた予算内でやりくりする」と生活に戸惑っていた。
もっと簡単に言うと、お金をどう使ったらいいか分からなかったのである。
また、とにもかくにもコロナ真っ只中で、クラスメイトと遊ぶことは憚られたし、車のない暮らしだったので、どこかに出かけるということもなかった。
当時私がハマっていたことといえばネトフリ配信のゴシップガールを見ることと、100均糸を使った編み物で、月の娯楽費は3000円もかからなかった。
「お金を使うって、結構難しいんだな」というのが、一人暮らしに対する率直な感想であった。
結局そのまま、月8万の生活が半年ほど続いた。
また大学は対面授業はありつつ、まだ授業のほとんどがオンラインで、暇を持て余していた私は、居酒屋のアルバイトを始めた。
懐かしい言葉だが、GO TO需要によって金沢の飲食店はこの時期、観光客でいつもいっぱいだった。
そのまま3ヶ月ほど働いたら30万ほど貯まったのが2020年の年末で、年明けからは再び「緊急時代宣言」や「まん防」によって、居酒屋では半年ほどほぼシフトがない状態になってしまった。
それによりまた暇になった私は、相変わらずゴシップガールを見て、編み物をし、春休みに確定申告のバイトをするなどして過ごしていた。
また、その半年間、居酒屋のオーナーが、私たちバイトも「石川県新型コロナウイルス感染拡大防止協力金」を受け取れる可能性があると提案してくれて、その手続きを手伝ってくれた。
これは、緊急事態宣言直前3ヶ月分の給料の8~5割を給付するというもので、それが6ヶ月分ほどもらえたのだ。
つまり私は3ヶ月の労働で、6ヶ月分の給付金をもらえることになった。
私は当初、自分が協力金制度の対象者であるとは全く思っておらず、宝くじにでも当たったかのような気分で戸惑っていた。
申請時、オーナーからは「通るかは分からないが、一応」と伝えられていたため、もらえないものだと思っていたのだ。
さすがに全額ポケットマネーにするのは気が引けたので、いくつかの児童養護施設にamazonリンク「ほしいものリスト」から選んだクリスマスプレゼントを送り、その残りを受け取ることにした。
またこの頃、美術館の学生スタッフとしても働き始めており、自分がフリーターなのか学生なのかよく分からなくなっていた。
だがこの時の働き方は、正直に言えば「頑張って貯金していた」というよりは「暇だから働いていた」という感覚が近い。
そうして一人暮らしを初めて約1年半、大学3年生になるころには、ワーホリに行こうと思えば行けるくらいにはなっていたと思う。
2ヶ月前から冷蔵庫が壊れたことに気づいた日
ところでこのころ、家の中で奇妙なことが起きていた。
冷蔵庫に入れている牛乳が、なぜか必ず3日で腐るようになったのである。賞味期限は切れていない。今まではこんなことなかった。
おかしいな?と思いつつ、2~3本ダメにしたところで、冷蔵庫の冷蔵機能そのものが壊れていることに気づいた。
いつからだろう。
思い返してみれば、冷蔵庫とキッチンが同じ温度だと感じるようになったのは2ヶ月くらい前からだった。冬だからキッチンが冷蔵庫と同じくらい冷えてるだけだと思ってたのだが、よく考えれば、多分、この頃からすでに壊れていたのだ。
食事は基本乾麺かコンビニおにぎりで事足りており、冷蔵庫は牛乳以外に使っていなかったため、2ヶ月もの間冷蔵庫が壊れていることに気づかなかった。
まあできれば新しい冷蔵庫は欲しかったが、急を要していたわけじゃないし面倒だったので、しばらくそのままにしていた。
牛乳が腐る前に飲みきることに留意すれば、大して不便な生活ではなかったからである。
大学3年10月、アパートを引っ越す
そうして、毎朝牛乳が腐っているかどうかを確認する日々が始まってから気づけば半年が経ち、私は「いけるか、いけないか」の微妙なラインのかぎ分けが絶妙上手くなっていた。
幸運にもその常温の牛乳によって腹を壊すこともなく、冷蔵庫がライト付きの収納棚と化した日常にすっかり慣れきっていた。
そんなことよりも、日常生活において別のことにイライラするようになっていた。
というのも、ちょうどその頃近所に新しく素敵な県立図書館が開館したのだが、歩いていくには少し遠く、バスで行くには近すぎるその距離感が、妙に通いにくいのだ。
また、元々スーパーが遠く生活が少し不便だった上に、ロフトベッドの階段の上り下りに嫌気が差して、カーペットで寝起きする生活をしていた私は、なんとなく引っ越したくなり、いつも物件サイトを見ていた。
ちょうど、図書館の近くにいい物件があった。
家賃が今の家より3千円ほど安く、残りの学生生活が約1年半であることを考慮すれば、初期費用を払っても、今の家に住み続けるのとトントンだった。
引っ越せば、嫌が応にも冷蔵庫も変えるきっかけになるし、いい機会だと思い、夏休みの最後の日にその部屋へ引っ越すことにした。
◇◇◇
だが、私はどうしてこうも冷蔵庫運が悪いのだろうか。
引越しと同時に買った中古の冷蔵庫は、なぜか最初から壊れていた。
何をどうやっても冷たくならない。
業者の方にも一度見てもらったが、やはり壊れていたのでそのまま引き取ってもらった。
また引っ越しの際、引越し屋さんをお願いするほどの大きな荷物はなかったため自分でレンタカーを借りて引っ越したのだが、その時ベッドやテーブル、棚など、レンタカーには入らなさそうな家具は運搬が面倒だったため粗大ゴミとして処分した。カーテンは、サイズが合わなかったため可燃ゴミとして捨てた。
心機一転して、お気に入りの家具を買いたいという気持ちもあった。
そうして、大学3年生の9月、冷蔵庫もカーテンもベッドもテーブルもない部屋で新しい生活がスタートしたのである。
・・・もちろん最初は、時期を見て気に入ったものを買い揃えるつもりだった。
だが、ここまで読んでくださった方はお気付きだろうが、おそらく私はナチュラルボーン・ドケチで、また極度のめんどくさがりであるため、1週間くらいで新しい生活に慣れてしまい、すっかり家具を買う気が失せてしまっていた。
カーテン、冷蔵庫、ベッド、、、
これらの家財道具は私にとって、あれば便利だがなくても困らないものなのだと気づいてしまったのである。
(テーブルだけは流石に不便だったので買った)
こうして、無計画な引っ越しによって冷蔵庫とカーテンとベッドがなくなってしまったのだが、当の私はというと、新しい部屋を愛していた。
図書館から徒歩3分の部屋は、それだけで、前の部屋よりもずっとずっと快適で、居心地の良い場所だったからである。
長くなってしまったので、続きは次回。
「ワーホリプロローグ②シャンパンのセールスをしていた話」へ続く。
※この記事は牛乳の常温保存を推奨するものではないことをご了承ください
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