【ワーホリ前夜②】シャンパンのセールスをしていた話
これまでのあらすじ
ワーホリを夢見ながらコロナ禍の2020年に大学に入学した大学生、しずく。でも現実は、ひょんなことから冷蔵庫が壊れたり、ムチャな引っ越しで家財道具を失ったりもう大変!
コロナもあり、ワーホリなんて夢のまた夢で・・・!?
前回の記事→「ワーホリプロローグ①腐りかけの牛乳を飲んで貯金してた話」
◇◇◇
20歳の誕生日:記念すべき飲酒
少し話は戻るが、「留学失敗に気づいた日」で書いたように、私は浪人の春に20歳の誕生日を迎えた。
当時は受験対策に空回りし悶々とする日々だったが、この日だけは少し特別なものにしたくて、お酒を飲んでみることにした。
家で一人、コンビニで買ったほろ酔いを飲み干し、20歳になった実感に浸っていた。
だが、しばらくすると強烈な吐き気が襲ってきた。とんでもなく気持ち悪い。
トイレに駆け込もうとしたが間に合わず、そのまま床に3回も吐いた。
ああ・・・私飲めないんだ・・・と気づくと同時に、涙がポロポロと溢れてきた。
当時同級生たちは大学2年生で、楽しそうな大学生活を送っている様子がSNSに溢れている一方で、20歳の誕生日に一人で床掃除をしている自分が、なんとも惨めに感じた。
「私ってばシンデレラみたい。パーティー、行きたかったなあ・・・」
まあ今思えば、当時の状況はシンデレラでもなんでもないのだが。
親の反対を押し切って浪人を決めたのは自分自身であり、誰に強制されたわけでもなかったし、床掃除をする羽目になったのも、自分のゲロを片付けているだけだ。
自分の尻を自分で拭いているだけのことである。
ある意味、一生忘れない「少し特別な20歳の誕生日」となった。
大学3年生春、スナックでバイトを始める
そして大学3年生になった22歳の春・・・もっと正確に言うと冷蔵庫が壊れたころ、私は友達の紹介で、スナックでバイトを始めた。
水商売というと毎日が煌びやかながらお金に狂ったり、裏切ったり裏切られたりという汚い世界のイメージがある。
対して日々の娯楽といえば手芸で、若干刺激に飢えていた私は、そんなドロドロが体験したくてワクワクしながら「夜の世界」に足を踏み入れた。
だがそこは、ママとうちの大学の学生バイトによるこじんまりとしたスナックだった。
男の子も女の子も働いており、簡単に言えば割と普通のバーのようなところだった。そのため、水商売の負の面はあまり感じられない場所だったのだ。
そして、10年近く大学生を雇っているというスナックのママは、うちの大学のことをよく知っていた。
一方で、コロナ禍で入学した私は、3年生になっても自分の大学について何も知らなかったため、ママから、コロナ前の大学や過去の先輩たちの進路などをたくさん教えてもらった。
スナックでバイトすることで自分の大学のことを知るなんておかしな話だが、それだけでもとても新鮮で面白かった。
そのように働いて少し経ったころ、「シャンパン」を売るとお店の利益にもなり、私にもバックが入るということを知った。
またちょうどその頃、私の23歳の誕生日が近かった。
「誕生日はシャンパン、お願いしやすいよ」と誰かが教えてくれた。
◇◇◇
誕生日当日。
私は気軽な気持ちで、初めて会ったお客さんに対して「私今日誕生日なんですよ~シャンパンでお祝いしてくれませんか?」と言ってみた。
なんていうか・・・バカなふりして。なるべく、可愛らしく。
だがそのお客さんに、私のぶりっ子は全く通用しなかった。
「舐めてるのかこの店は!誰が会って10分も経たんヤツの誕生日にシャンパンを開けるんだ!」と烈火のごとく怒られた。
予想外の反応に、頭を鈍器で殴られたくらいのショックだった。
一方で、別の席では何度もお願いした結果、シャンパンのハーフボトルをしぶしぶ開けてもらえた。
しかし当の私は口をつけるばかりで全く飲んでいなかったので、すぐに飲めないことが「バレて」しまった。
「あんなに飲みたがってたのに、本当は飲めないんだね」
この時は、目先のバック1000円に目が眩んだことがあまりにも見透かされすぎて、恥ずかしかった。
顔から火が出るかと思った。
おかしいな。
「夜の世界で女子大生は大人気!愛想笑いすれば楽に稼げる!」って、ネットには書いてあったのに。
◇◇◇
そしてしばらくの間、「私このバイト向いてないかも」と思う日々が続いた。
しかし一方で、「牛乳が飲めるかどうかの見極め方法の伝授」などは好評で、少しずつお客さんを楽しませることに手応えを感じるようになっていた。
ではどうやったらシャンパンを売れるようになるのか。
なんであのお客さんは怒ったんだっけ?
私が失礼なやつだったからだ。初対面で、信頼関係など全くない状態で、無遠慮にシャンパンを売ろうとしたからだ。
私は飲めないし、色気で訴えることもできない。
だからこそ、お客さんと信頼関係を築き、信用を得ることが大切なのではないかと気づいた。
まずは、お客さんの話に耳を傾け、共感することからスタートした。
お客さんと信頼関係を築く
そこからは、相手の期待する距離感や礼節を意識し、温度やトーンを相手に合わせる方法を模索した。
相手が何を考えているか、どんなことに関心があるのかを察し、コミュニケーションの軸をお客さんに合わせるように心がけた。
また会話のバランスにも注意しつつ、お客さんに焦点を合わせた会話方法を研究した。
そのうえで、徐々に自分自身を売り込むようにした。
大学で美術を学んでいること、将来は海外で仕事がしたいこと、大学生のうちにワーホリで英語を学び、海外での就労を体験したいと考えていること等・・・ユーモアを交えながら伝えた。
そして、ある程度盛り上がったタイミングで「シャンパンで乾杯しませんか?」と自分からアプローチする。
成功率はかなり上がっていた。
もちろん断られることもあったけれど、無理には強請らない。
それよりも「楽しかった、また飲みに来よう」と思ってもらい、リピートにつなげるほうが良いと思ったからである。
そうしてスナックでのバイトが楽しくなってきた2022年の暮れ、一度はコロナで諦めつつあった大学在学中のワーホリをついに決意し、留学エージェントに申し込んだ。
4年生後期を休学して、2023年10月から行くことにした。
そこからはカナダについて調べたり、渡航前になるべく英語力を上げようとIELTSを勉強したりして、ワーホリに向けて準備をしていた。
ワーホリ応援募金
渡航まで約2ヶ月となったある日のことである。
「ワーホリに行くための募金箱作ったら?」とお店のママが提案してくれた。
とてもありがたい提案だけどまたシャンパンみたいに怒るお客さんがいたらどうしよう…と恐れつつ、せっかくなので手作りした募金箱をお店に置かせてもらうことにした。
最初は、1000円を50人のお客さんに入れてもらって5万円くらい集まったら嬉しいと思っていたのだが、想像以上に、募金に対するお客さんの反応は好意的だった。
「頑張ってね」と気前良く、5000円や10000円を入れてくれるお客さんもいた。
応援してくれる多くの人々に感謝する一方で、その期待に対してプレッシャーも感じていた。
こんなにたくさんの人が応援してくれているのだから、何としてでも1年で結果を出さなければならないのではないか。
果たして期待に応えられる1年にすることができるだろうか。
私は、すごく焦っていた。
だがある日、お客さんがこんな言葉をかけてくれた。
この時、肩の荷がすっと軽くなったように感じた。
そしてなにより、お客さんとの信頼関係構築を目指して働いた1年半が決して無駄ではなかったように思えた。
最終的には、当初の目標5万円を遥かに上回る、35万円もの募金が集まっていた。
そして多くの人々の温かい支援のおかげで、自信を持つことができた。
こうして私は、満を持してトロントに旅立つことになったのである。
※この記事はスナックでの大学生のアルバイトを推奨するものではないことをご了承ください
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?