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Netflix「三体」への違和感(中編)

今日から3日間ほど続けて、毎週恒例ではない記事を書こうと思います。水曜日は画像生成、木曜日は配信済みのVoicyラジオ放送のコンテンツをもとにした記事、金曜日はシロクマ文芸部参加記事になるところ、今回は、Netflix「三体」への違和感について語ることにします。

今日は、昨日の続きです。

Netflix「三体」が描く暖かな友情の物語

Netflixの映画ThreeBodyProblem「三体」Season1は、単にサイエンスフィクションである小説「三体」三部作を下敷きに映像化したにとどまらない魅力があります。

その第1は、人のつながり、家族もしくは家族のような親しい人と人の暖かな友情の描写です。

原作の小説にも人のつながりのテーマはありますが、それは第1作「三体」の主人公である葉文潔(イエ・ウェンジェ)博士の数奇な運命の物語のなかに登場するくらいです。大学教授で理論物理学者だったお父さんが、文化大革命のなかで殺されてしまいました。その時、お母さんや妹はお父さんを追い込む側にまわりました。後に、自分が北京に帰ってきた時、娘の楊冬(ヤンドン)を連れてお母さんに会いに行ったら、お母さんはちゃっかり再婚していました。お父さんが亡くなった件については、もう何も言うなと言われたといった物語があります。これは、明らかにネガティブな意識です。

Netflixの映画ThreeBodyProblem「三体」Season1では、視聴者に向けて、その正反対のもっとポジティブな意識を打ち出したかったのではないでしょうか。

第1作「三体」のもう一人の主人公である汪森(ワンミャオ)博士は、Netflixの映画には登場しません。その代わり、オックスフォードファイブと呼ばれる5人の若者、女性2人、男性3人が登場します。彼らはとても仲が良くて、その友情の描写が1つの持ち味になっています。

オックスフォードファイブとは、その5人全員がオックスフォード大学物理学科のVera Ye教授ゆかりの若者です。Vera Ye教授とは、誰かと言えば、葉文潔(イエ・ウェンジェ)博士の娘です。原作の小説では、楊冬(ヤンドン)博士に相当する方が、Netflixの映画では中国ではなく、イギリスのオックスフォードにいるという設定です。原作では、楊冬(ヤンドン)博士の婚約者、丁儀(ディン・イー)博士がおられますが、Netflixの映画には登場しません。

Netflix映画のVera Ye教授も原作の楊冬(ヤンドン)博士も、自殺する物理学者である点は共通です。そして、Netflixの映画では、その葬儀のためにオックスフォードファイブが集まることになりました。

オックスフォードファイブのメンバーを詳しく見てみましょう。内訳は、女性2人、男性3人ですが、女性のほうからいきます。まず、ジン・チェン博士、理論物理学者です。原作の小説の3作目「死神永生」の主人公、程心(チェンシン)博士に相当する方です。そしてもう1人は、オギー・サラザール博士です。ナノマテリアル開発のベンチャー企業のCSOです。男性のほうは、まず、起業家のジャック・ルーニーさん、そして、物理学研究者のソウル・デュラン博士です。ソウル・デュラン博士は、原作の小説の2作目「黒暗森林」の主人公、羅輯(ルオ・ジー)博士に相当する方です。3人目のウィル・ダウニングさんは、原作の小説の3作目「死神永生」にでてくる
雲天明(ユン・ティエミン)さんに相当する方です。

映画のなかで、この5人のうちの2人は亡くなってしまいました。正確には、ウィル・ダウニングさんは亡くなったのではなくて、原作の小説の3作目「死神永生」のストーリーと同じく、脳だけ取り出して、宇宙に送られてしまいました。

迫りくる三体危機と、そのなかで仲間を失うといった状況下で、かけがえのない友情、人と人のつながりをよく描いています。

Netflix「三体」における科学者のリアリズム

Netflixの映画ThreeBodyProblem「三体」Season1が、単にサイエンスフィクションである小説「三体」三部作を下敷きに映像化したにとどまらない特徴の第2は、科学や科学者に対する現代的なリアリズムです。

一昔前であれば、科学はとても特別なものでした。科学者は多くの人たちとはあまり関わりのない人たちでした。優れた頭脳の持ち主で、科学の進歩に貢献していることには、漠然とした敬意を払うとしても、それ以前に、そもそもあまり関係がない存在でした。特に基礎分野についてはそうでした。例えば、日本国内であれば、学問的な興味・関心よりも、「それ、何の役に立つの?」とか、「それ、儲かるの?」という問いかけが先行するようにします。私などでも、新聞記者などに質問されるとき、だいたいにおいて、そういう受け答えがかなり多いです。ところが、小説「三体」の原作は、このような現状がまるで全くないかのように、科学と科学者への無償の愛と敬意に満ちています。サイエンス、とりわけ基礎科学、そのなかでも理論物理学のような学問が非常に重要なものだ、人類と地球の運命を決するほどに重要だ、ということが、さも当然のこととのように語られています。私は、個人的には、それを嬉しく思うし、もろ手を挙げて賛同しますけれど、それは、私自身が、生涯、学術と科学技術の世界で、ずっと研究者として生きてきた当事者だからにすぎません。そんな風に思う人は圧倒的に少ないはずです。

Netflixの映画では、サイエンス、とりわけ基礎科学に対する位置づけ、さらには社会における科学者の位置が、21世紀の社会に住む多くの人々のリアルな感覚や意識に沿ったものになっています。いい、悪いは別としまして、あまた、語弊をおそれずに言えば、基礎科学や科学者への愛とか尊敬が薄いです。しかし、それが現実です。

社会において、決定的に重要な惑割を果たしているのは、有力な投資家、企業の経営者、さらには。有力な政治家や、軍の司令官などです。一介の研究者が出てくる場面は、ほとんどないはずです。

Netflixの映画において、ナノマテリアルの研究や、製造の可否を決めるのは、作品中に登場する投資家です。原作の小説では、中国の国家プロジェクトのナノマテリアル研究者、汪森(ワンミャオ)博士がすべてを仕切ったのとは大違いです。Netflixの映画には、その汪森(ワンミャオ)博士がそもそも登場しないばかりか、オックスフォードファイブの1人で、女性のナノマテリアル研究者オギー・サラザールさんは、投資家のプレッシャを受けて解雇されたり、裁判に訴えられたりもするほどです。原作小説では絶対ありえない設定ですが、こっちのほうが現実にははるかに近いと言えるでしょう。

パナマ運河を通過する、地球三体協会降臨派のマイク・エヴァンス氏のタンカーをカーボンナノチューブで切断して、乗員を全滅させつつ、三体文明側との通信の全記録を回収するミッションでは、原作小説では汪森(ワンミャオ)博士が中心的な貢献をしました。作戦センターの常偉思(チャン・ウエイスー)将軍や、その部下でありながら、型破りの警察官の史強(シー・チアン)さんは、汪森(ワンミャオ)博士も含めた世界中の科学者に対し、とても敬意を払い、尊重していることがあらゆる言動を通じて伝わってきます。それに対して、Netflixの映画では、ナノマテリアル研究者のオギー・サラザールさんは完全にカヤの外にされていました。しかし、軍事作戦がどういうものであるかを考えれば、アマチュアがどうこうするのはおかしいことですから、Netflixの映画のほうが、はるかに現実に近いです。

基礎科学、数学や理論物理学、抽象思考の持つ特別な重要性に加え、そこに関わっている研究者たちのそのような研究への愛とでもいうべき、超越した熱心なこだわり、言って見ればオタクのような世間離れした、外から見ていてほほえましいような学問好きの姿は、Netflixの映画にはほぼ出てきません。はるかに、ビジネスライクにとらえています。その好き好きは別としまして、これは、実際に多くの人々が感じる感じ方なんだろうと思われます。

そのように大勢の人が感じるように作品を作った方がヒットする可能性が高いのですから、これはよく理解できます。

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