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ポピュリズム

Populisme(ポピュリスム)は「大辞林」(三省堂)によれば「1930年頃のフランスの文学運動。民衆の素朴な考え方や生活を客観的・全体的に描こうとしたもの。ダビが代表的作家。民衆主義。」です。アメリカでは、Populism = People's Party(アメリカ人民党, 1892年~1909年)の政治思想 でした。帝政時代のロシアでは、Narodniks(ナロードニキ)が類似したキーワードの社会運動を行っていました。

現代日本でも、ポピュリズムはしばしば取り沙汰されます。文学・社会運動や政治思想というよりも、”大衆迎合的な無責任な人気とりのスタイル”を指しているようです。たいていは相手を非難、攻撃する、ネガティブな文脈で語られています。

日本化学会では、昨年2019年の夏から、今年にかけて、3回も会誌「科学と工業」にポピュリズムへの警鐘の話題が登場しました。科学技術予算の配分の仕組みのなかに長期にわたる地道な基礎研究が必要であることを軽んじる風潮が高まっており、それへの危機感が表明されています。学問分野のそれぞれの性格や社会的な位置、発展段階によって、一般市民(あるいはその代表者である政党や政治家)にとっての「親しみやすさ」「わかりやすさ」、あるいは「役に立つ」という観点でのアピールには濃淡が常にあります。その濃淡をそのままストレートに予算配分に反映させることは正しくない、あるいはむしろ危険であるという指摘のようです。

原文がインターネットでも無料で読めるようですので、以下に3つの記事のリンクをはっておきます。科学技術が社会制度の内部に深く組み込まれた時代における研究のあり方、とりわけ基礎研究の位置づけは流動化しています。そこに懸念が生まれています。詳しく見れば、3名の先生方、ポピュリズムの定義がそれぞれ同じではないようですし、警鐘を鳴らす問題意識も少しづつ違うようにも見えます。そうではあるのですが、予算配分や各種の制度、研究機関の運営などの点で、将来に不安を感じる要素が増大しているという認識では一致しています。

その学問の重要性、その研究の意義を伝えることは、背景となる知識や問題意識を前提とすることが多く、もともと簡単ではありません。それでもそれを伝える試みを続けることは重要です。他方、わかりやすさをゴールとして、乱暴で極端な単純化、もしくは一部分を無責任にとりだしてミスリードを辞さない誇大説明を行うケースが後を絶ちません。現実には政治力があれば、それも通ってしまいます。また、研究費については、研究内容にかかわらない種々の複雑な問題を内包しています。例えば、一度でもプロジェクト研究を一定の期間実施した場合、その研究グループは、そのプロジェクトによって得た規模を維持するために、プロジェクト終了後も同等以上の資金を継続的に求める回路にはまります。少ない資金で長く自走を続けようとする仕組みは早い段階で失われてしまいます。

難しい課題です。経済的に自立・独立して研究を行えるかどうかは、国際競争上も重要な観点なのですが、多くの研究者には何ともしようがないように見える部分も多いでしょう。

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http://www.chemistry.or.jp/opinion/ronsetsu1908.pdf

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http://www.chemistry.or.jp/opinion/ronsetsu1911.pdf

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http://www.chemistry.or.jp/opinion/ronsetsu2005.pdf


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現代は科学が進歩した時代だとよく言われますが、実のところ知識を獲得するほど新たな謎が深まり、広大な未知の世界が広がります。私たちの知識はほんの一部であり、ほとんどわかっていなません。未知を探索することが科学者の任務ではないでしょうか。その活動は、必ずしも簡単なものではなく、後世からみれば群盲評象と映ることでしょう。このマガジンには2019年12月29日から2021年7月31日までの合計582本のエッセイを収録します。科学技術の基礎研究と大学院教育に携わった経験をもとに語っています。

本マガジンは、2019年12月29日から2021年7月31日までのおよそ580日分、元国立機関の研究者、元国立大学大学院教授の桜井健次が毎…

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