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おかげまいり

伊勢神宮は、全国のたくさんある神社、仏閣のなかでも、特に全国規模で参拝者が多いことでよく知られています。2019年の内宮と外宮の年間総参拝者数は、それぞれ約640万人、約340万人でした。伊勢市の統計によれば、2013年に記録的な数に達しています。「自分も行った!」という方、大勢おられるのではないでしょうか。そう、第62回式年遷宮の正遷宮の年でした。内宮と外宮、それぞれ約880万人、約540万人でした。両方に参拝される方も大勢おられますから、合計の数字に意味があるかどうかわかりませんが、合計すると、この年、実に1400万人を超えました。合計で1000万人を超えたのは、2013年と2014年のみですが、最近も1000万人にかなり近い数字で推移しています。

https://www.city.ise.mie.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/002/851/r1shiryouhen_shin.pdf

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伊勢神宮に大勢の方が参拝するのは、いまに始まったことではありません。江戸時代には「おかげまいり」の名前で知られる、全国的な伊勢神宮参拝の社会現象がありました。当時は、もちろん新幹線も近鉄特急もありませんから、徒歩での旅です。尾張名古屋からでさえ片道3日、大坂から海路を経て片道5日、江戸からでは片道15日かかったという時代ですので、そう簡単ではありません。★1650年(慶安3年), 1661年(寛文元年), 1701年(元禄14年), ★1705年(宝永2年), 1718年(享保3年), 1723年(享保8年), 1730年(享保15年), 1748年(寛延元年), 1755年(宝暦5年), ★1771年(明和8年), 1803年(享和3年), ★1830年(文政13年 ), 1855年(安政2年), ★1867年(慶応3年)と、かなりの回数にわたり、ある程度の周期をもって、民衆が伊勢におしかける、おかげまいりの現象が起きました。★マークの年は、特に規模が大きく、文政のおかげまいり(1830年)は400万人を超えたということです。当時の日本の人口は、現在の約3分の1ですから、最近で最大規模の神宮参拝になった2013年と較べても、多いと言えそうです。2013年の内宮と外宮の参拝数、約880万人、約540万人の数字で、内宮だけの方はそれなりにおられても、外宮のみという方はあまり多くないと思いますので、実質の数は900万人を超えたとしても1000万人には行っていないでしょう。人口が3倍違うので3で割ると、330万人ほどです。ということで、文政のほうが全人口に占めるおかげまいりの数は多そうです。交通不便・困難の時代であるにもかかわらずです。それも、江戸、大坂など、大都市圏だけでなく、全国規模だったというので、驚きです。

https://www.youtube.com/watch?v=EB87XeRNT4I

https://www.youtube.com/watch?v=WEZPMGjMVZc

式年遷宮との関係は、どうでしょうか。式年遷宮は20年に1度とよく言われますが、実は、第58回(1929年(昭和4年))と第59回(1953年(昭和28年))の間は24年です。第2次世界大戦の影響と言ってよいでしょうか。江戸時代の期間は、正確に20年ごとの刻みになっていました。第42回が1609年(慶長14年)、第43回が1629年(寛永6年)、第44回が1649年(慶安2年)、第45回が1669年(寛文9年)、第46回が1689年(元禄2年)、第47回が1709年(宝永6年)、第48回が1729年(享保14年)、第49回が1749年(寛延2年)、第50回が1769年(明和6年)、第51回が1789年(寛政元年)、第52回が1809年(文化6年)、第53回が1829年(文政12年)、第54回が1849年(嘉永2年)です。大きなおかげまいりの年(5回)に注目すると、慶安のおかげまいり(1650年)は、第44回式年遷宮の翌年です。明和のおかげまいり(1771年)は、第50回式年遷宮の翌々年です。 文政のおかげまいり(1830年 )は、第53回式年遷宮の翌年です。5回のうち3回は、ちょうど平成25年に私たちが伊勢に押し掛けたのと同じように、式年遷宮を意識したものだったかもしれません。しかし、それだけでなく、社会全体を覆う空気のようなものもあったでしょうか。火山噴火や地震、あるいは農作物不作、疫病のような社会的に大きな困難がおさまった頃、こうした開放的なムーブメントは起きやすいかもしれません。

私は伊勢で生まれました。伊勢神宮のすぐ近くです。ほぼ毎日のように父が散歩で外宮に連れて行ってくれたということです。住んでいたのはごく幼少の頃だけです。転居して、訪れることも少なかったのですが、父だけはずっと伊勢との接点を維持し続けていました。私は父の習慣を引き継ぐことにして、このところは毎年伊勢を訪問し、神宮への参拝はもちろんのこと、かつて暮らした街、かつて歩いた道をなぞるようによく歩いています。研究の仕事で外国に出かけ、滞在中、プライベートに食事に誘われたりした折には、たいてい、郷里はどこだ、どこで生まれたのだと聞かれます。伊勢だと言ってわかる人はめったにいません。それ、どこにあるのか? なにかあるのか? と聞かれます。伊勢神宮の話は、何も知らない人たちには???と思うようです。神社仏閣は、京都、奈良に十分あるので(確かにありますが)、なんで伊勢に?とか思うみたいです。おそらく、おかげまいりは、もっともっと不可思議です。そんなに大勢の人が、遠路はるばる、伊勢を目指して、あまり明確な宗教上の意図や目的がないのに、神宮に参拝するという社会現象はミステリアスでしょう。

※ この記事は、まったく存じ上げない不特定多数の方々にお伝えすることを意図していません。そのため、少し敷居を高くし、将来は有料とさせて頂くことを検討しています。まだ、note は始めたばかりなので、当面は、何も設定いたしておりません。

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現代は科学が進歩した時代だとよく言われますが、実のところ知識を獲得するほど新たな謎が深まり、広大な未知の世界が広がります。私たちの知識はほんの一部であり、ほとんどわかっていなません。未知を探索することが科学者の任務ではないでしょうか。その活動は、必ずしも簡単なものではなく、後世からみれば群盲評象と映ることでしょう。このマガジンには2019年12月29日から2021年7月31日までの合計582本のエッセイを収録します。科学技術の基礎研究と大学院教育に携わった経験をもとに語っています。

本マガジンは、2019年12月29日から2021年7月31日までのおよそ580日分、元国立機関の研究者、元国立大学大学院教授の桜井健次が毎…

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