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[佛教大学通信課程] 英米文学科は『英語科ではない』と、入学してから気づいた

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「カナダで暮らして十年以上たつ私。『英語』を学ぶ学部なんぞ、余裕」

そう思って、意気揚々と入学申請した。

でも私は勘違いしていた。
私が受ける学部は『英米文学科』であり、『外国語学部 英語科』ではない。

入学手続きの難関を超え、ようやくテキストが手元に届いたので、さっそくパラパラとめくってみる。

あれ? 英語、ないやん。
日本語ばっかりやん。

ほとんどが日本語で解説されたイギリスやアメリカの文学史や、日本語訳ものの小説だった。

なんだか、英語に関する歴史と、作家と作品が、手を変え品を変え、教科書の形になって目の前にある、という印象だった。

『英米文学科って、こういうことか!』と、気づいた時には時すでに遅し。

私がイメージしてたのは、英語を話すことを学ぶ学部だったのだから、これでは英語を使って生活しているメリットがゼロだ。いや、なんならマイナス。なぜなら、カナダ在住の私には、図書館に行って参考資料を探してレポートを書く、ちょっくら本屋に行って推薦された書籍を買ってみる、なんてことができないのだから。

レポートを書くにあたって、頼みの綱はテキストだけ。ネットで調べたら、
「佛教大学のレポートは3200文字なので、参考資料なしではかなり厳しい」
などと、背中に嫌な汗も流れる情報まで目に入る。

焦る私は、さっそくテキストを読み始めた。

この時点で、私はすでにまた大きな間違いを犯していた。

目の前にあるテキストに気を取られ、『スクーリングに申し込む』ということをすっかり忘れていたのだ。

佛教大学の通信課程では、大きく分けて、『テキスト&レポート』のクラスと、『オンラインでのスクーリング』の二つがある。

『テキスト&レポート』は、テキストを読んで、シラバスにある題材に沿ってレポートを提出、合格すれば、月初にあるテスト期間にテストを受けて、それにも合格すれば単位認定。

『スクーリング』は、学校が提供している年間スケジュールにのっとって、自分の必要なクラスを申し込み、受理されれば、該当するテキストが送られてくるので、それを使って予習して、当日は講義を受け、終了するとテストなりレポートが課せられて、合格すれば認定、という流れ。

つまり、テキストベースの方は、自分のさじ加減で進めていけるけれど、スクーリングは、年間の日程が決まっているので、自分の目標とする卒業の日までにきちんと終了するように、スケジュールを組まなくてはいけない。

つまり、スクーリングを先に決めちゃうべきだったのだ。

だから、うかうかしているうちに最初のスクーリングの申し込み期間が終わってしまっていた。

気がついてからは、スクーリングをぎゅうぎゅうに詰めて申し込んで、しかも、スクーリングは大抵週末にかかるので、他の自分の予定の調整がかなり厳しいことになってしまった。

教訓としては、『履修の手引き』なんかは、よく読んだ方がいい、ということだ。

……当たり前か。

さてテキストベースのクラスにさっそく取り掛かったわけだが、だいたい
『テキストを読んで内容を自分で分析した上で、考えを3200字で述べよ』
みたいなのが多い。

もう、まともな日本語を10年以上書いていないのに、きちっとした真面目な文章を3200字も書かなくてはいけないらしい。

英語、英語はどこにいった!

とりあえず本を読むのは好きだったので、英訳ものの本はいいとして、英文学史とか、米文学史とかは、イギリス、アメリカの歴史とか、キリスト教もめっちゃ絡んできて、自分の考えを述べよと言われても、実家は神道だし、知識の土台がないから、「へー、そうだったんだー」くらいしか、感想が出てこない。

そこを無理くり、興味がうっすらなくも無いポイントを見つけては、無理やり3200字に膨らます作業を延々と繰り返す。

っていうか、佛教大学に入ったのに、なぜかキリスト教の知識が増えていく不思議。

あと、言論学みたいなのもあって、これは日本文学とかも絡めて、学問としての日本語についてレポートを書かされる。

めっちゃ日本語の読解力と、文章力が試される。
ぜんぜん英語力、試されない。

なんか、思ってたんと違う。

そうこうしているうちに、遅ればせながら、ようやくオンライン・スクーリングの授業が始まるのだった。

〜続く