[佛教大学通信課程] やってよかったし、noteを始めるきっかけになった
[#4 最終章]
とういう訳で、約2年間の佛教大学の通信課程の終わりが見えてきた訳だが、いろいろあったけど、やってよかったと思う。
まず、何がよかったかといえば、心のどこかに引っ掛かってた、『大卒』へのコンプレックスの解消。
手に職がない限り、募集広告や就職斡旋サイトで、大卒か否かで、ふるいにかけられるのは、日本もカナダも一緒。
何度、がっかりさせられたことか。
でも、今回、卒業できたら、履歴書だろうと、アンケートだろうと、胸を張って、最終学歴『大卒』に丸つけちゃうもんね。
次に、今まで、仕事と子育てに追われて、勉強とか一切してこなかったから、最初はテキスト読んでも、なんか同じとこ、行ったり来たりしてるだけで、さっぱり頭に入ってこなかった。
それでも続けていくうちに、なんだか今まで使ったことがない脳の一部が目を覚ましたみたいで、言葉をひねり出し、考察だの、分析だのが、まがりなりにもできるようになっていった気がする。
それに伴って、
「3200字って!?」
と、思っていたレポートも、何となく様になってきた。
ほんと最初の頃のレポートを読み返してみたら、ひどいのなんの。
『レポート風の、何か』みたいな文章だった。
で、佛教大学通信課程の英米文学科だと、ぜんぶが3200字ではないけど、卒業までに何十本もレポート書かなくちゃいけない。
なにせ『大卒』の看板が欲しいだけの理由で入学した私は、そもそも、たいして英米文学に興味があるわけではない。
それなのに、教科書を読み、授業を受け、結論に辿り着く根拠や、分析がきちんと伝わるように、構成を考え、言葉を選んでいく作業を、何度も、何度も、何度も、何度も繰り返さなければならない。
そんなことしてると、思うわけだ。
「自分の好きなこと、好きなように書きて〜」
と。
そして、ずっと、うなされるようにレポート、レポート、試験受けて、終わって、またレポート......の無限地獄から、今年に入って卒業に必要な全部のレポートがすべて受理され、6月までスクーリングすらないという数ヶ月がやってきた。
毎日毎日、欠かさず投球練習してたのに、急にぽっかり誰もいない、みたいな。
そして、引くに引けない気持ちの持ちようは、めでたくnoteに手を出すことになって解決した。
それから、もうひとつnoteを始めるきっかけになることがあった。
スクーリングでグループ分けした時、
「カナダに住んでるんです」
っていうと、たくさんの人が、
「私も行きたいんです。どんな生活してるんですか?」
とか、
「英語話せるようになりたい」
とか、
「海外で仕事してみたいんです」
とか、思いの外、カナダで生活してるってことに興味津々だった。
時間の許す限りお話ししたりしたけど、本来は授業の話をしなくちゃいけない時間だし、かといって、生徒間で連絡先の交換とかは確か禁じられてたと思う。
だから、おばちゃんとしては、いろいろ相談に乗ってあげたかったし、興味深い人もたくさんいたから、単純にもっと話を聞きたいとも思っていた。
でも、話が脱線して盛り上がってる時に、先生が入ってきて、慌てて話を止める、という状況では、なかなか難しかった。
なんというか、素敵な外国人の旦那様と、可愛い子供に囲まれて、手作りクッキーとお紅茶で、みたいなキラキラした感じではない、雑草系の生活ぶりを知ってもらえるのもいいかも、と思ったりして。
で、こうやって今、noteで駄文を書き続けている。
佛教大学の通信課程を受けてなかったら、ここに私はいなかった。
そう思うと、今まで続けてきた生活から一歩抜け出して、新しいことを始めると、わらしべ長者じゃないけれど、それがきっかけで、また新しい世界に導かれるのかもしれない、と思ったりしてる。
楽(らく)そうだから、という理由で、英文科を選んだ私が、
「卒業したら、大学院か、もしくは別の学科で勉強してもいいかな」
なーんて思ってるんだから、人生、何が起こるかわからない。
〜終わり