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50代で、はじめて『大卒』を手にいれる(予定)

ここらで一発、きちんと『大卒』の看板を手にいれるべきかもしれない。
そう決意した私は、二年前の秋、晴れて50代で大学生となった。

カナダ移住以来はじめて、日本へ一時帰国でなく『永久帰国』をしようか、と考えてはじめていた。

いろいろと要因はあるのだけど、歳をとってからのカナダでの今後の生活に不安を覚えた、ということがまずある。

それから、私は両親を早くに亡くし、それ以降なにかと世話になった叔母たちがいて、彼女らが最近ホームに入所したのだ。これまでさんざん世話になったので、これからは身近に住んで、お返しをしたいという気持ちが大きくなった、というのがもうひとつの理由だ。

そこで当然ぶち当たる壁は、「どうやって日本での食い扶持を確保するか」ということ。

私が携わってきたIT関連の仕事は、私の田舎にはない。

ただ英語に関わって20年以上たったので、何かしら英語に関わる仕事にはつけるのではないか、との思惑がある。

ただ、それにしたって特に資格があるわけでもなく、「海外で英語使って生活してました」という、なんともふわっとしている状況で、どちらかといえば、むしろ怪しさの方が勝つかもしれない。

そこで、これは何かしらの『箔』をつけた方がいいかも、という思いに至った。

これまでの私の学歴は、遠い昔、日本のなんてことない短大の国文科を出たのと、アメリカのカレッジ(日本でいうとこの公立短大みたいなイメージ)で、コンピューターサイエンスを専攻したことしかない。

つまり、両方とも短大扱いなので『大卒』ではない。

これまでも就職活動で大卒の壁に憚られて、何度となく悔しい思いをしてきた。まあ、今となっては、それをカバーするだけの職歴もできて、さほど気にはならなくなっていたけど、心のどこかにいつも、少しの劣等感があったのは否めない。

そう言った負の感情を断ち切るのにもいい機会かもしれないと、早速、日本の通信制の大学を調べた。

そもそも通信制の大学はけっこうな数があるのだけど、年に数回の通学を課している大学が多い。しかし、私はカナダ在住なので、たとえ一日であったとしても通学は不可能。

オンラインで完結し、且つ、自分が興味が持てる学部を持つ大学、といったら、ほんの一握りになってしまった。

かなりの日数をかけて、ようやく、とある大学の通信課程の英米文学科の扉を叩くことに決めた。

曲がりなりにも十年以上、海外で英語使って生活してきたし、そもそも就学の目的が、「大卒の肩書きが欲しい」という薄っぺらさだから、一番手っ取り早そうな英米文学科に飛びついたのは、当然の成り行きだった。

しかも生徒の大半は若者だろうし、それくらいのハンデがないと太刀打ちできないかも、との打算もあった。

私は短大を卒業しているので、三年に編入することになる。卒業した短大から海を渡って卒業証明書と成績証明書を取り寄せ、次に規定の申込書を同封して、再び国際郵便で大学に送付し、ようやく編入の許可を得た。

入学手続きを終え、ようやく教科書が手元に届いたので、さっそくパラパラとめくってみる。

英語がない。
日本語ばかり。

そう、私は大きな勘違いをしていた。

私が受ける学部は『英米文学科』であり、『外国語学部 英語科』ではない。つまり、英語を学ぶ学科ではなく、英米文学を学ぶ学科だったのだ。

いや、ちゃんとそう学部名は書いてあったんだけど、勝手に、英語を学ぶ科と、脳内変換してしまっていた。

教科書は、ほとんどが日本語で解説されたイギリスやアメリカの文学史や、日本語に訳された小説だった。

私がイメージしてたのは、英語を話すことを学ぶ学部だったから、これでは英語を使って生活しているメリットがゼロ、いや、なんならマイナスになってしまう。

なぜなら、カナダ在住の私には、図書館に行って参考資料を探してレポートを書く、ちょっくら本屋に行って推薦された書籍を買ってみる、なんてことができない。つまりレポートを書くにあたって、頼みの綱は手元にあるテキストだけ、ということになる。

ネット上の口コミでは、「レポートは基本、3200文字なので、参考資料なしではかなり厳しい」などと、背中に嫌な汗も流れる情報まで目に入る。

焦る私は、さっそくテキストを読み始めた。

そして、この時点で、私は更に大きな間違いを犯していた。

目の前にあるテキストに気を取られ、『スクーリングに申し込む』ということをすっかり忘れていたのだ。

通信課程では、『テキスト履修』と『スクーリング』のふたつのパターンの授業がある。

テキスト履修は、自学自習でシラバスに沿ったレポートを提出、無事に受理されれば、テストの受験資格が与えられ、合格すれば単位が認定される。

スクーリングは、学校が提供している年間スケジュールにのっとって、卒業までに必要なクラスを適宜申し込み、受け付けされれば、該当するテキストが送られてくる。それを元に予習し、オンライン講義を受け、テストなりレポートなりが合格すれば単位認定、という流れだ。

つまり、テキスト履修の方は、どのクラスをいつ取るか、自分のさじ加減で進めていけるけど、スクーリングは年間のクラスごとの日程が決まっているので、あらかじめスケジュールを組まなくてはいけない。

つまり、スクーリングを先に決めちゃうべきだったのだ。

そんなことには気もつかず、私はテキスト履修の教材にさっそく取り掛かった。

とりあえず本を読むのは好きだったので、日本語訳の小説はいいとして、英文学史や米文学史は、イギリス、アメリカの歴史の他に、キリスト教もやたら絡んでくる。

「自分の考えを述べよ」と言われても、実家は神道だし、敬虔なクリスチャンの知り合いは一人もいないし、「へー、そうだったんだー」くらいしか感想が出てこない。

また、言論学の授業もあって、これは日本文学とかも絡めて、言語としての日本語についてレポートを書かなければならない。

こちとら海外生活十年以上で、日本語力そのものが目に見えて落ちてるってのに、めっちゃ日本語の読解力と、文章力が試される。
まったく英語力、試されない。

なんか、思ってたんと違う。

それでもなんとか時間をかけて、レポートをクリアしていった。

そうこうしているうちに、遅ればせながら申し込んだオンライン・スクーリングの授業がようやく始まった。

時間になり、インターネットで該当のクラスに接続する。
すると、まず、スクリーンに映し出されたリアルな自分の姿と、自分が思っている自分の姿との乖離におののく。

そして、次々とモニターに映し出される若者たちの中に、チラホラ自分と同じ歳くらいの顔を見つけて、ようやく心を落ち着かせた。

私はこう見えて、わりと当たり障りなく物事を終えたい人間なので、
「実は私、今カナダに住んでて、時差のせいで夜中の9時から、日をまたいで朝の2時までの時間帯で授業を受けてるんです」
などと、言わないですむなら、言わないでおこうと思っていた。

しかしオンライン授業の醍醐味は、先生や生徒同士のディスカッションなので、どうしても会話をしていると、流れで「実は今、カナダに住んでるんです」といわざるを得ない場面が出てくる。

そうすると、
「え? 今、何時なんですか?!」
「どうして通信、受けてるんですか?」
と、毎度、矢継ぎ早に質問が飛ぶことになり、本来ならば、教科書の設題について話さなければならないところが、なぜかカナダ生活の質疑応答のようになってしまうことも度々あった。

それから、このオンラインの授業では、人間観察の意味で、大学の先生の生態がかなり興味深かった。授業の内容よりも、むしろ、先生の方に気を取られてしまったと言っても過言ではない。

この歳になって、いろいろな大人を見てきているし、そういう意味では、自分が若かった時に見ていたのとは違う目線で、先生を見てしまうからかもしれない。先生と言っても、下手すりゃ先生より私の方がずっと年上の場合だって多々あるのだから。

テキストに採用される教材も、ほとんどがその先生が長年研究している分野や、作家だったりする。

「こういうとこが〇〇(作家)独特の表現になってるんですね」
「〇〇は、この時、私生活でこんなことがあって」

もやはストーカーの域ではないのか、というくらい作家と作品を熟知している。

生徒に取っては、ただの通りすがりの一作家でしかないのに、先生にとっては、それはもう情熱大陸ばりの熱の入れようなのだ。

私は一般の会社でしか働いたことがないけれど、教育の現場というのは、ちょっと一般社会と違う側面があるのだろうな、と感じた。

ある先生が、自身がイギリス旅行に行った時の写真で、イギリス文学ゆかりの場所や建物を紹介する授業があった。

そして、とある、おとぎ話に出てきそうなかわいい一軒家の写真を出して、「この写真を見て、なんの文学作品と関連があるかわかりますか?」と生徒に質問した。さっぱりわからない。フェンスの模様が特殊だったので、それに何か秘密が隠されているのだろうか、とか、いろいろ考えてみたが、結局、何も思い当たらない。

「わかりませんか? 誰もわからない?」

けっこうな時間をさいたけれど、誰も答えられなかった。

「正解は……ピーターラビットのこの挿絵の家のモデルではないかと言われているのです!」

急なピーターラビットの出現による生徒の微妙な反応に気づいているのか、いないのか、先生は満足げに、自分の撮った写真と挿絵を満足げにスクリーンに映し出していた。

オンラインの授業ではよく、3、4人のグループに分けられて、授業内容についてディスカッションをする。

しかし、そのグループ内に引っ張っていってくれる人がいない場合……即、お通夜になる。

そもそも初対面の人とモニター越しで文学について突然話せ、と言われても、って話だ。

若者は、まだ恥ずかしさと遠慮で話しかけられない。
おじいちゃん、おばあちゃんと言われるくらいの年齢の人は、気後れするのか、だいたい様子を伺っている。
そこで、私を含む、おじさん&おばさんの出番である。

私が思うに中年になってまだ、資格を取ろうだの、学位を取ろうだの思うおじさん、おばさんは、だいたい図々しいし、肝っ玉が座っている。

「はいはいはい。シーンとしてても埒あかないから、私から始めるね」
と、サクッとお通夜をぶち壊す。

若者の学生さんたちも、一旦始まってしまえば、案外サクサク意見を言ってくれるのがまた不思議だった。

まあ、そんなこんなで、通信課程の終わりが見えてきた訳だが、結果、いろいろあったけど、やってよかったと思う。

まず、何がよかったかといえば、心のどこかに引っ掛かってた、『大卒』へのコンプレックスの解消。

今回、卒業したら履歴書だろうと、アンケートだろうと、胸を張って最終学歴『大卒』に丸つけちゃう。

次に、今まで、仕事と子育てに追われて、勉強とか一切してこなかったから、最初はテキスト読んでも、なんだか同じとこ、行ったり来たりしてるだけで、さっぱり頭に入ってこなかった。

それでも続けていくうちに、なんだか今まで眠っていた脳の一部が目を覚ましたみたいに言葉をひねり出し、考察だの、分析だのが、まがりなりにもできるようになっていった気がする。

それに、今まで30年近く社会で経験を積んで、いろんな人と関わりあってきたおかげで、若い時には見えなかった着眼点でレポートが書けた気もする。

これまでいったい何本、レポートを書いただろう。

そもそも、たいして英米文学にさして興味があるわけではないのに、うなされるようにレポート、レポート、試験受けて、終わって、またレポート......の無限地獄から、今年に入って卒業に必要な全部のレポートがすべて受理された。

毎日毎日、欠かさず投球練習してたのに、急にぽっかり誰もいない、みたいな。

そして、その気持ちの持ちようは、めでたくnoteに手を出すことによって、通信大学で培った書くことへの執着心を継続している。

大学の通信課程を受けてなかったら、私はここにいなかった。

そう思うと、今まで続けてきた生活から一歩抜け出して、新しいことを始めると、わらしべ長者じゃないけれど、それがきっかけで、また新しい世界に導かれるのかもしれない。

楽そうだから、肩書きが欲しいから、という理由で、通信大学を選んだ私が、「卒業したら、大学院か、もしくは別の学科で勉強してもいいかな」なんて思ってるんだから、人生、何が起こるかわからない。

〜終わり

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