すべては自分の責任

この世に起こるすべての事は「自分の責任」です。その根拠ですが、

という図になるのですが、このルリア認知過程を詳しく説明すると90分講義3回分くらいあります。

ざっくりと理解するために、何よりも具体例が分かりやすいと思うので、前に入院していた女性患者さんの例をだします。

彼女はある日電車で「気持ち悪い・・」という言葉が聞こえてきたのです。その言葉に反応して、「誰が気持ち悪いのよ!!」と暴れて警察にとめられる騒動に発展します。

その気持ち悪いと発言した人と彼女は面識はなく、その「気持ち悪い」という発言も今日のお腹の調子が悪いという事を友人と会話していただけの女性でした。という事で、簡易な言葉で言うと彼女の「被害妄想」と「パニック障害」という話なんです。なんとなく納得してしまうような診断ですが、この女性をこんな簡単で無機質な診断で終わらす事は危険です。

これを少し分析をかけてみましょう。

彼女はまず「き・も・ち・わ・る・い」という単語6文字を「気持ち悪い」という言葉として知覚します。当然ですが、<気持ち悪い>という言葉を知らないと知覚ができません。

彼女は、関係のない人の会話でも<気持ち悪い>という言葉に「*選択的注意機能」を発動させて、その言葉を聞き取りました。ほかの前後の言葉は注意しておらずにです。

*選択的注意 → 生きていると、毎秒にものすごい量の音が鳴っていますが我々は必要な音にのみ注意機能を働かせて情報をキャッチして生きています。

そして注意のあとは、記憶を引き出します。問診とカルテで分かった事ですが、彼女は中学生の時に「顔」に関してのイジメを経験した歴史がありました。「ブサイク」「化け物」のほかに「気持ち悪い」という言葉は毎日のように浴びてきたとの事で、彼女にとっての「気持ち悪い」という言葉の<記憶>は過去の非情な経験を引き出す事になります。

さて、ここまでは誰でも考えられる範囲です。僕も、ぬいぐるみをもっている子供に出会うと、つい注意をひかれ「祖母に買ってもらった」記憶をひきだされます。 本屋を見ると、注意がひかれ「自分を変えてくれた運命の本」を思い出すモノです。

ただ、今日言いたい事は「すべては自分の責任」という話なのです。

知覚する→注意する→記憶がひきだされる。というプロセスは、下位機能と呼ばれており、ほぼほぼ反射的に毎秒何万と発生しているので自身ではどうする事もできないところです。(感覚的な部分です)

改めて見ていきます

ここからが、その人の<責任>と言われる過程です。

次に待つのが「判断」ですね。話は戻り、

彼女は「気持ち悪い」という言葉を、<自分に向けて言われた>と判断してしまったのです。

みなさん、例えば「気持ち悪い」という言葉が聞こえてきたら即効「自分に向けて言われた」と判断しますか? 

僕なら、まずその人が知っている人かを見たり、目線などを見て自分に向いているか考えますし、その前後の会話の文脈を聞いてみたりします。そうすれば、その人がお腹の調子が気持ち悪いという話をしている人だというのは判断できるわけなのです。が、彼女は考えずに「自分に向けて言っている」と判断してしまい、最終「誰が気持ち悪いのよ!」と暴れるという行動に発展させました。この行動は上記の図では「言語」の部分です。

僕なら、たとえ僕に向かって「気持ち悪い」と言っていたにせよ、「怖い言葉を使うな」と思って聞き流すという判断をします。それか、すぐにその場から離れるという判断をします。ほかにも、イヤホンで曲を聞いて聴覚を遮断させたり、寝たふりで目を閉じてみたりといろいろな戦略を練ります。そのように判断しているからこそ→キレるとか、暴れるとか、そういった行動にはでないという事です。

という事で、我々は上図のようなプロセスをたどる生き物なのです。

どのような言葉を言われたとしても、いきなりとんでもないモノを見せられても、その情報を判断しているのは「我々」である事は間違いのない事実です。

先ほども書いていますが、下位機能である<知覚・注意・記憶>は我々ではどうしようもない部分です

彼女も「いじめられた」という記憶を消す事は不可能です。

ですから、我々が変わるためには「判断」を変えていくしかありません。

つまり、どのように考えるのか?とかストレスに対しての戦い方。を学んでいくしかないんです。

親に虐待を受けた子も、いじめも、ネグレクトも、差別を受けた人も、僕はたくさんの患者さんと出会ってきました。

でも、大事なのは<戦い方>を覚えてもらう事です。

自分を守る「判断」ができるようにならないと、何も変わらない。

もちろん環境設定などは大切です。が、場所・人・音・・それらをどのように判断するかはあなたである事実は変わりません。

キレてしまうのも、暴れるのも、愚痴ってしまうのも、人生が楽しくならないのも、自分が幸せやと思えないのも、いつまでも苦しいのも

すべて、自分の責任です。

現代は、自分の身を守るための情報は溢れています。その情報をキャッチするかしないか判断しているのは、自分以外にありえません。

すべてが自分の責任である事が分かるからこそ、人は自分自身ともっと向き合う必要を理解すると思います。


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