人はいつ死ぬか分からない

目標を立てる時はどうしていますか?大別すると

①長期目標 ②短期目標

とあると思います。僕は個人的には短期目標を実施しているし、長期目標は基本的に設定しません。

長期目標を設定するときは例えば「国家試験」のように絶対的な日が決まっている場合はそれに向けて逆算します。実際僕も国家試験の際には逆算して、毎日どこまで実施するかを計算しました。長期目標を計画したのは、その時くらいでしたね。

短期目標を設定する大きな理由なんですけど

「メメント・モリ」ってご存知でしょうか?ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句です。

昨日のニュースで、タクシーの運転手が急にくも膜下出血になり6人死傷させましたね。そうなんすよ、みなさん。改めて思い出してください。僕達って明日生きているかどうかを誰にも確約されていません

巻き添えを食らった6人の死者は、突然理不尽に命を奪われる事を想定していたと思いますか?きっと、ニュースでみるようなどこか「他人事」だったはずです。普通に明日も生きていられると疑いもしていなかったかもです。でも現実には、誰にでも起こりえる。その事が理解できていると、

今という時間を一生懸命に使おうと思うんですよね。

僕にとっては「過去」にも「未来」にも全く興味ありません。大事なのは今。です。もう長い間、ずっと今日が人生最後と思って生きています。これでなぜ僕が長期目標をたてないか理解していただいたかと思います。

人間は過去から「今」ができていて、その「今」の積み重ねが未来です。

ちなみに僕はこのnoteを書いたら「coffee」を飲みます。それが楽しみ。そのあとには「ダンスと脳内物質」という後輩が書いた論文を査読します。そこで、後輩にとって価値のあるフィードバックは何かに全力でエネルギーを注ぎます。今まで僕が培った知識も経験という知恵を総動員して査読に集中します。これからの後輩とか、今までの後輩なんてどうでもよくて「今日の査読」で同じ時間を共有するという事がすべてなんですよね。

査読終わった後に、誰かに刺されて死ぬかもしれないし。地震でがれきの下敷きになって死ぬかも。いきなり脳出血になるかもだし、高齢者の誤運転にひき殺されるかもしれません。そんなことありえないって誰か保証できますか? 

タクシーに巻き込まれて亡くなった方。本当に無念だったと思います。ですが、我々も他人事ではない。僕らにも、この1秒後に起こる可能性は常にあるんですよね。

僕は、どの瞬間死ぬ事になっても大丈夫なように生きてたいですね。おばあちゃんには感謝を伝えたいから、いつも「感謝してるでー!」と言葉をかけています。後悔しますからね。ばあちゃんに何も言えてなかったなら。やから僕はまあ、いつ死んでもいいかな?と思います。

みなさん、もしも今日死ぬと分かったなら、一体何をしますか?


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