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こころはまるい方がいい〜レッテルを貼ること〜

心やそれによって形成される人格や性格は、もし目に見えるよう形に例えられるならば、きっと丸い方がいいなと思っている。

そんなことを思うようになったのはこの本を読んでからだ。

すごく簡単に言うと、人には唯一本当のその人(個人)なんてものはなくて、実際には色んな部分(分人)の集まりで出来ている、という考え方だ。

だから本当の自分とは?みたいなことに悩まなくても良くて、どの自分も自分で、それが良いと思えたり思えなかったりするよねということ。

すると例えば、誰かといる時の自分が心地良いと感じるのであれば、その人と会う時間を増やしたりして、その自分の割合を増やしていけばいいんじゃない?みたいに考えられる。

僕が具体的にイメージした心の様子はこんな感じだ。

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色んな部分(分人)は色で表していて、それらがシームレスにつながって1つの人であることを丸(球)で表している。

僕自身、この考え方にはとても救われていて、どこかで凹んだ時も「そういう自分もあるけど、それが全部じゃないよな」と思えるようになった。

そして自分に対してだけではなくて、他者もそんなあり様なのだと思うと、ある一面だけでその人を捉えてしまったときは反省もするし、そもそも多彩で奥行きのある人間っていう存在はとても魅力的な生き物だなと思えてくる。


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そんな考え方をしたときにものすごく恐ろしいのが「レッテル貼り」という行為だなとつくづく思う。

先程のイメージに「レッテル貼り」をしたときのイメージがこうだ。

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「レッテル貼り」は本当は多彩なはずの色の存在を無視して、貼る人のイメージ(ほとんどが単色)で塗りつぶしてしまう行為だ。

きれいな飴玉を地味な包み紙でぐるっと包んでしまうように。

僕はそこそこ古くからあるいわゆる大企業で働いているが、そこで残念ながらこの行為をよく目にする。

自分に都合が良いか悪いか、その2色で色分けをして仕事をした方がラクだからだ。

だけど具合が悪いのは、その覆われた地味な包み紙のせいで、中身の状態に関わらずそれがきっと美味しくないものだと周囲に見えてしまうことだ。

そしてその印象はなかなか変えられず広がっていきやすい。

その人は本当は鮮やかで、複雑で、魅力的なのだということを忘れないように。

自戒をこめて。



読んでくださって、ありがとうございました。




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