例えば僕は、歌うようにnoteを
前に祖母のことを書いたら思い出したのだが、そういえば祖母は短歌を詠むのが好きな人だった。普段からノートに書き溜めていて、時たま新聞のコンテストのようなものにも投稿していた。
祖母はいつも入賞するともらえるテレフォンカードをくれるので、僕はそれが嬉しくて祖母が新しく短歌をつくるのを心待ちにしていた記憶がある。
そんな感じなので、肝心な短歌の内容はほとんど覚えていなくて、祖母を思い出したついでに祖母が詠んだ短歌を見てみたいと父親に連絡してみた。
当時、祖母が熱心に投稿するものだから、新聞社の人が「短歌集を作りませんか?」という話を持ってきてくれていたようで、祖母が選んだ傑作集的なものがデータとして残されていた。(結局そのような短歌集は作られなかったようだけど)
***
あらためて、というかほとんど初めて祖母の歌を読んでみて驚いた。
祖母の歌は孫である僕と兄をテーマにしているものばかりだったからだ。
本当はもっと色んなテーマがあったのかもしれないが(祖母は世界の戦争や貧困などに関心があった)、祖母が選んだ傑作集の歌は僕らをテーマにしたものがほとんどだった。
幼い僕らが初めてしたことや出来たこと、祖母が僕に言われたこと、そしてその時の祖母自身の感情や情景が歌われていた。
そして祖母がそんな歌をこんなにもたくさん作っていたということを、僕は初めて知った。
その数々の歌を見て、僕はその祖母の歌たちをこのnoteに掲載してみたいと思った。
祖母もまさか孫からインターネットの世界に自分の歌を載せられて、知らない人達に読まれるとは思っていなかっただろう。それを望んでいるのかも分からない。
でもなぜかそうしたいと思った。その歌たちをここに生き返してみたいと思った。
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祖母は何を思いながら僕たちのことを歌にして、そしてそれを残そうとしたのだろう。こうして僕や、他の人に読まれることを期待していただろうか。
僕は今、noteを書き始めていて、子供や家族のことを書いている。僕の場合はどうだろうと考えてみても、よく分からないのが正直なところだ。
ただ祖母の歌を読み、このnoteを書き上げて公開しようとしている今、僕は祖母をとても近くに感じていて、本当に長い時間を遡って祖母とつながったような気がしているし、そしてまた未来に向けて何かを放り投げたような感覚もある。
そうであれば、祖母が短歌を歌ったように、例えば僕は、歌うようにnoteを書いてみたいのかもしれない。
真夜中の 寒さ身にしむ ロビーにて 全身を耳に 産声を待つ (昭和六十年)
たまさかに 紅引く我に おばあちゃん 女みたいと 孫は声あぐ (平成元年)
学芸会 孫がセリフを 言う度に 高鳴る胸を おさえて見入る (平成三年)
祖母の短歌の一部です。
読んでくださって、ありがとうございました。
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