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弱さに温度を感じるとき


職場にあまり好きではない人がいる。

その人は社会人としては10年近く先輩にあたる人で、仕事を進める上でお世話になることもある。人当たりが良くおしゃべりで、仕事も出来る人だ。

その人は今年昇格のための試験を受けていて、普段の業務の傍でその準備(発表する事業プランの策定や面接対策)で忙しそうにしている。

作成した資料を見てみてくれと頼まれたり、冗談で代わりにやってくれなんて言われながら、でも僕はどこかでその人に昇格しないで(試験に落ちて)欲しいなと思っていた。

その人は仕事が出来ない人がいると、相手がいない所でかなり強い言葉で罵り、あげく仕事と関係のない容姿や環境などについてあることないこと構わずに中傷して回るところがあった。

そういうところが好きではなかったので、そんな人が昇格して、まして部下を持つことなんかには僕は反対だったのだ。


ある日、その人が次の昇格試験の面接に向けて自己紹介の資料を作成していて、その内容を相談された。

資料自体は渡されずに一部分についてのみ相談されたので、自分の考えを伝えてやり取りを終えた。

「いやーホントめんどくさい!ありがとね!」

なんて言いながらデスクから離れていったのだけど、デスクの上には書きかけのその資料が放置されていて、内容が露わになっていた。

そこでちょうど目に入ったのは「あなたの弱み」の項目だった。

そこには、

「自分の考えや出来ることを他人に押し付けてしまうことがある」

と書かれていた。


正直、かなり驚いた。

その人がそんなことを考えているとは思わなかった。考えていないからこそ、あんな発言が出来るのだと思っていたからだ。意識しながら発しているのはよりタチが悪いといえばそうだけど、それを明らかに自分の弱みとして認識しているということが驚きだった。

そしてそれを見た時の、僕のその人への感情は、「好きじゃない」とか「嫌い」とかの感じではなかった。


***



弱さについて、僕はまだうまく表現することができないでいる。

だけど、誰かの弱さに触れる時、じんわりと優しく温かい気持ちになるし、その誰かに少しおそらく好意を持つ、その人を魅力的に感じるようになる、という感覚はある。

僕はそれほど真っ直ぐな人間ではないので、それは自分と比較して同じようだ、もしくは下にいると安心しているからなのかもしれないと、ふと思ったりもする。

でも、そこで感じる温かみのようなものはそれとは違うような気もする。


以前、人は多面的であるという分人主義について書いた

この考え方を採用すると、誰かの弱さを見たときに、同時にその人の他の側面もまた見ようとしているのかもしれないと考えることができる。

その人の弱さを知った上で、そんな弱い自分と葛藤したり、弱さを受け取ってなお進もうとするその人をどこかに見ようとしているのかもしれないということだ。(もちろん既に見ている場合もある)

それはその人の多面性を信じているということ、つまり可能性を信じているということであって、だからこそ、そこに温かさを、人間らしさを感じるのではないか。

だから、誰かの弱さに触れて、その人の温度を温かく感じられるとき、それは自分に相手を信じようとする姿勢があることを教えていると言うこともできる。

もしそうだとすれば、もうそれは弱さという名前ですらないようにも思えてくる。


弱さについて、僕はまだうまく表現することができないでいる。

でも昔よりもずっと近くにそのことを感じるようになった。

それはどうしても自分の弱さを認めないといけない、そんな時があったからかもしれない。

同時にそんな時からはずっと、誰かの弱さに温かさを感じられるようになったとも思っている。

弱さはどこから生まれて、どこへ行くのか。

今のところ頼りになるのは、確かに感じるこの温度だけだ。




読んでくださって、ありがとうございました。







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