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どこかに自分の証明を残しておきたくて

今年の5月。
大学時代に使っていたアメブロを削除した。

もはや化石のようになっていたアメブロには、当時付き合っていた彼との思い出がホコリを被ってそこにあった。
訪れると「そんなこともあったな」と感傷に浸れるので残していた最後の砦。
でも思い出すことが段々と馬鹿らしくなった。
きっと相手はほんの一ミリたりとも私の事なんて思い出してくれないのに。
私も過去のことは忘れようと、思い出を削除した。

だけど消したことをここに記してしまったら、本当の意味では消したことにならない。
消したことを忘れたくなくて…、だから私は全部を忘れることはできない
作って、消して、残してを繰り返している。

ブログも、日記も。
Xのアカウントも。
書いては消して、投稿しては消して、作っては消して。
理想の自分と現実の自分との狭間で葛藤して諦めている。
オリジナリティというものがないんだ。
誰かの文体に憧れて、表現力に憧れて、語彙力に憧れて。
私もあんな言葉を残したいと思った時点で誰かの模倣。
だから結局うまくいかなくて途中で断念してしまう。
なのに性懲りもなくまた新しく始めようとしている。
ブログも、日記も、Xも。

どこかに自分を記しておきたくてしょうがないの。
私という人間はこんな事を思って、こんな事をしてたんだって。
だけど恥ずかしいから消しちゃって。
でも消したことを忘れたくなくてまた残しちゃったり。
そんなことの繰り返し。

自分の証明を残して、残して、残して。
これが私だって、私の人生なんだって。
創造性も独創性も、個性も何もない私の悪あがき。
少しでも爪痕を残しておきたいよ。
ただの一般人だとしても。


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