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ハム輝くカンボジア~ストゥントゥレンン

 
 東南アジアにおいて、かつてフランスの植民地下に置かれた、ベトナム、ラオス、カンボジア。独立して時は流れても、「かの時代」の証明ともいうべきものが、生活習慣の中にポッと混じっているということに、部外者であってもたやすく気付くことができるだろう。その一つが、「フランスパン」。
 とはいえ、奥まった地域の小さな農村・隅々まで行き渡っているというよりは、少々賑やかな「町」で並ぶものという感じではあるのだが、フランス的なるその棒型パンは、現地の人々の空きっ腹を埋める手軽な食べ物として実によく手にされており、定着している、といっていい。側面に切込みを入れ、キュウリやら肉やらの「具」を挟み込む屋台があちこちで見られる光景もまた、三国共通だ。
 どこにおいても、「エェ?」と唸る。ボリュームにしろ、味にしろ、「絶対フランスなんか足元にも及ばない」とは、私は(フランスに)「行ったことがない」からホントは断言できんのだが、そううそぶいたって知ったこっちゃないぐらいに、ホントウに、ウマイ。どうウマイかはエリア別にクドクドと並べ立てたいんだけれども、私が思うに、その一押しは「カンボジア」だ。

「ストゥントゥレン」はカンボジア北東部にあり、東南アジアを縦断する最大河川・メコンに寄り添った小さな町である。約四〇キロ北上すれば、ラオスとの国境にも近い。
 朝。大河を眺め、同時に遥か遠くから流れてくる、諸々の記憶を受けとり、浸りに浸って気が済んだらば、背を翻して歩いて五分――せわしなく人々が行き交う市場へとたどり着く。一応、墨汁の垂れたような染みがつく壁で区画され、トタン屋根が引っかかった屋内らしきエリアもあるが、その内外、敷地いっぱいに「売り場」はもれなく広がっている。パラソルを地面に立てて日除けとしている、風通しのいい屋外をぶらつくほうが、明るいし空気も爽やか・スッキリ気分で歩き回れる。
 地面の上にシートを敷き、並べられるのは、陽の光に当てられてキラキラと映る、活きのよさそうな野菜、果物、川魚。解体してまもない肉。鍋やお玉、包丁等の調理用品や、バーゲンセールのように山盛りの服。料金交渉、挨拶、「どいたどいた!」と叫ぶリヤカーの声かけ等々なにやかやと、何らかの「やりとり」でごった返している中に身を置くと、メコンの水面のように静まっていた自分のエネルギーも、ナニすかしてたんだろ、と目を覚ましてよじ登ってくるようだ。
 やはり、市場はいい。
並べている蓮のような花を前に、七つか八つの小さな店主――少年が、そのうちの一輪を手にとっていた。茎をくるくると回してジッとそれを見つめているそのくりくりとした眼差しは、喧噪の中でぽっかりと浮いた静寂。異空間の出現に私もまた釘付けになり、カメラを取り出さずにいられない。
 ――と、「撮ったの?」
 気付いた少年が瞬間に咲かせた、まさに太陽のような輝きったらどうだろう。再び即座に指がボタンに反応するほど私はカメラマンでもなく、本当は、その眩しい笑顔を撮りたかったのに――と、心の中でただ悔しがるだけである。もう一度、と決して用意など出来ない、心そのままの照れ笑いだ。
見惚れつつも歯噛みする、この、ほんの数秒の場面が以後、何年経っても印象深い。「最高の瞬間」とは、手に入りそうですり抜けてゆくもんであると、象徴しているように思えてならない。

 カンボジアで、フランスパンは「ノンパン」と呼ばれる。それに「具」を挟んだものが、ストゥントゥレンにおける私の「朝食」だ。
雑踏に紛れ込むようにある、小さな戸棚を備え付けた屋台。そこで商う、ちょっとだけふくよかな女性店主は、おそらく四〇代半ばかもう少しか。行くとたいてい、キュウリや焼き豚等の「具」となる材料を、丸太をぶった切ったようなまな板の上でスライスしている最中で、「あ、食べる?」とこちらに気付く反応が、「起きたの?」と階段を降りてきた自分を振り返る母親のように、何気ない。
 少女もまた、いつものようにその傍らにいる。
 七つか、八つか。髪を、後ろの高いところで一つに括ったその尻尾と、括りきれない耳元や、オデコの短い髪の毛もまたクリンクリンにカールしているのが、いかにも「元気」だ。白いシャツに赤いリボンを襟元に結んだ、「制服」らしい格好をしているから、登校前のお手伝いなのだろう。
いまは、妹と思しき、さらに幼い女の子を椅子に座らせて、朝食の世話をしている。店のノンパンをひとつ、一口大に千切りとり、ハムのカケラとともに口へ持っていくと、妹はウサギのようにムグムグと目をキョロつかせて食んでゆく。パン屋の子は、パンを食べて育つ…ってか。
 ビー玉のようにクリクリしたお眼目をして、「ハイ」とニッコリ、水の入ったコップを持ってきてくれるその姿だけで、こちらとしては十分「ありがとねぇ」と心温まるんだけれども、本っ当によく働くお姉ちゃんであるのだ。
 母親が「具」を挟み終えたノンパンを受け取ったら、「知恵の輪」にも見える、丸っこいカンボジア語がプリントされた紙を一重にグルッと巻き、輪ゴムをはめてお客に受け渡したり、お勘定をもらうのは既に手慣れている。「キュウリがなくなりそうだから」と、包丁を握っていた母親が具材を仕入れる為にその場を空けることになっても、まな板の前にスッと立ち、胸の高さにあるのをやりにくそうながらも、残された、切りかけのハムの続きを替わりに始める。またここではノンパンの傍ら「肉まん」もまた売っている(既に出来上がったものを蒸し直す)のだが、保温用の蒸し器の蓋をめくってみて、個数が少ないなと判断したなら、それを進んで補充する。この気の利きようは、既に母親の「片腕」だ。
 母親が仕上げた数本をビニールに入れ、注文先に「出前」に走るその後ろ姿――クリンクリンと尻尾を揺らしながら、「駆けっこ」のように懸命に手足を動かすさまは、やはり子供らしい。漫画と遊びにのみ没頭して、「お手伝い」の気など微塵もなかった過去の自分の後頭部を、思いっきりけっ飛ばしてやりたい気分だ――と、長じて既に久しい今でさえ、この子ほどのひたむきさが、はたから見ていて感じられることが、私にも一度たりとあったろうかとふと考えた。

 屋台の、スライスなどする調理台には、三段のガラスケースが前に付き、その中には薪のように積み重なったノンパン、肉まんは少々、そして、ノンパンに挟む「具」の各種が並んでいる。
 だがノンパンを取り出すのは、そのガラスケースからではなく、調理台のすぐ下にある引き出しを引き、そこから取り出す。屋台の本体には、足元の開閉扉を開くと炭火が熾っており、その熱で「引き出し」内のものをじんわりと温められるようになっているのだ。「具」の棚とオーブンが一体となった、まさにノンパン用の屋台戸棚なのである。ノンパンは既に何本か温められており、もちろん、この補充にも少女は、母親に負けず劣らず抜かりがなかった。
 さて、「具」の各種を挟み込んでゆく。
パンの側面に切込みを入れたら、まず、真っ黄色の「マーガリン」を塗る。いったいどこで製造されたモンだろうかと思う間もなく、調理台スミにある小鍋でグツグツ煮えた「肉団子」を素早くほぐして挟みこみ、赤とベージュがマーブルになった煮汁も少々垂らし込んだ。
そして、スティック状になった「キュウリ」を四本程度載せたら、100円ライターの大きさはある、「ハム」の短冊切り・厚みは約五ミリのを、五切れ――これを、パンの端から端まで敷き詰める。
 その上に、これまたコンガリ・味濃ゆそうに色艶のいい「焼き豚」スライス・短冊切り(やはり厚さ五ミリ)を、同様「端から端まで」の重ね塗り。
更に、大根、ニンジン、未熟なマンゴーを、紐のように細切りにしたものの「甘酢和え」――日本でいう「なます」を、ギッチリとギッチリと押さえ込み、真っ赤な「チリペースト」を、チョンと、寿司のワサビのようにアクセントとしたら、終了。
 結果、――これ、全部食べんの?と、重さも太さも倍以上に膨れ上がっているノンパンであり、「挟む」という表現は果たして適切だろうかと疑問でさえある。
 だが、食べてしまうんだわコレが。
 一番の立役者は、やはりなんといっても「ハム」。それが張本人だ。フランスパンといえば――正確にいえば、「具を挟んだパンといえば」であるが、カンボジアを一押しせずにいられなくさせるのは。
 それは、「厚さ五ミリのハム」が太っ腹な量に入っているというのもあるのだろうが、デパートなんかの「何とか物産展」で、「自家製」だの「熟成」だの、「職人歴」云々、いいことイッパイ並べ立てて試食させてくれる高級なハムでさえ、これほど強烈な印象を残すことはない。――旨い。旨いったら旨い。いったいどんなレシピが触れ回っているというのか、カンボジアのどこで食べてもコレ、「ハズレ」がないのである。…とはいえ、カンボジアを離れた今、それがどのように旨かったのか、舌の上に記憶を呼び起こすことが出来ないのだが、かつての日々、地味な見た目(というか、魚肉ソーセージ的に真っ平なピンク)に侮ったことを大反省しながら、その感動を毎度毎度、変わり映えなく日記にその字を躍らせている。だがこのハムを、現地の彼らが「ご飯」のオカズにしているという光景を見たことがないから、これはもしかするとノンパン専用の食材。この地の食文化の中で、「パン」とはいわば新参者であるが、それに添わせるハムとして、こんなウマイのを作ることができるとは。――パンの食文化としてはずっとずっと古いフランスでも、きっと無いでしょ、と、またまた知りもしないけど勝手に豪語したくなる。
 そして「なます」の味の塩梅がこれまた…と言い出すとキリがないのでこれ以上は割愛するが、具材のそれぞれが挟み込まれる理由というのがいちいち納得できるのである。
「ノンパン」自体を考えてみると、正直なところ、「具」の素晴らしさに、その存在感は奥に引き下がってしまっているのであるのだが、とはいえこれだけカサのある「具」をへたりもせずにしっかりと支えている。パン自体を味わおうと、「それだけ」を買い、千切ってみると、外皮は温め直さずともピンと張った厚みがあり、中の気泡は大小あってフンワリとしつつも、むしりとる強い弾力が頼もしい。食べてみると、優しい甘味が大人しげに鼻腔をつく。温めることでバリッとはなるものの、それに頼りきっているわけではない、芯のあるパンであり、「具」の前に消えてしまうのは勿体ない――いや、それも「具」を支える、立派な「味」となっているのか。贅沢にも。
なんか、…「脱帽」である。
 カンボジアの人たちとは、旨いパンに、旨い具をわんさか載せて、食べている人たちなのである。
少女は時々、小さなバケツに入った「なます」の甘酢が、全体に回るようにとその中身をかき混ぜている。調理台の上にあるから、つま先立ちをしてヨタッとするその必死な姿には、無条件に心打たれるものがある。
この親子は、商売しているんだけれども、…どうもそんな気がしない。って、いや、勿論彼らは必死なのであろうけれども、「お邪魔してます」と言いたくなる、まるで家の台所にあるような後ろ姿がそう感じさせるのだろう。
「イイ娘さんですねぇ、ホント、」と、包丁トントンしているお母さんに話しかけたくもあるけれど、ここはカンボジアである。子供がお手伝いをする光景は、あっちこっち、当然のごとく見られるもんであるからして、それは場違いな人間であることを宣言するようなものなのだろう。
                          (訪問時2006年)

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