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「書くこと」の原点を思い返してみた

 小川糸さんのエッセイ集『針と糸』の中に、彼女が「書くこと」の原点について触れている話があった。エッセイをたくさん書かれている方だったので、気づいたら日常の中でいつも書いていた、みたいな感じかと思いきや、幼少期の頃に学校に提出していた、日誌が原点だったとか。本当は、普通の日記でよかったところ、毎日が苦しかった彼女は、先生に宛ててものがたりを提出していたのだ。

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 私も自分がなぜ「書くこと」をするようになったのかを思い返してみた。
2つ、思い当たる。

 1つ目は、軽い鬱を患ったときに「書くこと」を心療法としてすすめられたこと。詳しくは覚えていないけれど、その日にあったことを3つ、良いことでも悪いことでもいいから書き出してみて、とそんなことだった。何か感じたことがあれば、なんでそう思ったかも文字にするといい、と。どんなことを綴ったか、なんて覚えていないし、正直思い出したくもないけれど、たしかに私はやっていた。

 この時は気づいてなかったけど、自分との対話をするために書いていたのだと思う。書くことで、自分のことを肯定したり、励ましたり、時には悲しんだり。自分を受け止め、受け入れるために書くことが今も度々ある。

 2つ目は、心が動いた体験とか話とかを忘れないための記録として「書くこと」を始めた。大学1年の冬、サークル活動の一環で全国規模のイベントに参加したときのこと。いつもは関西で活動している私だったが、関東や北海道の同志と出会う中で、衝撃的な感動とか熱量とかを感じた。同時に、私の中にあった情熱(?)が沸き上がってきて、家に着いた途端、この気持ちを忘れたくない!忘れるわけにはいかない!とA4の紙に、それはもう細かい字でみっちり書いて、情熱を記録した。以来、サークル活動に熱心だった私は、事あるごとに自分の想いとか思いついたやりたいこと、経験したことの感想、感情の変化などを細かく記録するようになった。今からすると考えられないエネルギーが込められていて、ちょっと笑ってしまうぐらいに、記録されている。

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 サークル活動自体は3回生で終わりだったけれど、その後も私は自分の記録を続けた。就職活動に対する不安とか自己分析とか。美術展の感想とか、作品づくりのモヤモヤとか。遠距離恋愛していたから、その悩みとか葛藤とか、とにかくどんどん記録していた。ノートは同じものではなくて、その時のテンションとか気分で変えてみた。家とか、カフェとかで書いていた。( お気に入りは、先日のnoteにも登場したefish

 社会に出て、働くようになってからも私はノートに書くことを止めなかった。書く内容は仕事のことと遠距離恋愛のこと、家族のことが多かった。感情を分析するように書くことが増えたのはこの頃かなと思う。あと、将来やりたいこと、こうなりたい!を模索する記録がたくさんある。

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 結婚して、今も変わらず、感情はよく分析している。おかげさまで、安定した心もちでいられる気がする。遠距離恋愛が終わって、旦那と共通のノートで日記を毎日つけていることもあり、ずいぶんと書くことも減ってきたけど、それでもちょこちょこ書いている。

 今でこそ、私以外の誰かに伝えるために書くことをしているけれど、こうやってみると自分のために書くことを費やしてきた時間がたくさんあるんなあ、と思う。ノートは13冊目くらい。ちなみに、だんだん文字は大きくなってきていて、もう大学生の自分のように書ける気はしない。

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