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「ご出身は?」

私には、ふるさとがない。
生まれは福岡県。そこから東京へちょっと移り住んだのち、埼玉、岡山、京都、そして再び東京という流れで移住した。
そのため、「ご出身は?」という質問をされたときは、一瞬戸惑ってしまう。

社会人になって急激にその質問が増えたため、私はさすがにどこに定めて答えようか考え始めた。
年数的に一番長いのは埼玉だけれど、幼かった当時は行動範囲も限られていたし、記憶が曖昧すぎる。京都はというと、当時はお笑いライブを観に東京や大阪に行くことが多かったため、おそらくるるぶとかの情報誌の方がはるかに頼もしいだろう。東京は、無論除外だ。
このように総じて内容が薄いため、質問後の会話を想像できなかったのだが、場数を踏んだ末に私が導き出した答えは「福岡」だ。
理由はシンプルに「生まれたところだから」。家族が住んでいるから毎年帰るし、記憶の更新ペースがわりと早いからこそ会話が発展しそうな場合にまぁまぁ適している。

ただ、自分的に温度感を出して話せる場所はまた違って、実はダントツで「岡山」になる。
中学1年〜高校3年生という思春期真っ只中の感情と行動たるや、土地勘以上に熱を帯びたエピソードを排出してくれるのだ。

◇◇◇

中学1年生の夏。埼玉から岡山へ移り住んでぶつかった壁は、方言だった。
イントネーションや語尾。標準語と岡山弁の違いが表れると、「都会〜!」と言われる。ずっと岡山で生活する彼・彼女たちからしたら、東京に近い=都会というシンプルな構造からくる言葉である。
当時の私はそう言われるたび息苦しかった。「都会」と言われる回数を重ねることで、皆とずっと距離を縮められないような気がして。
そんな焦りと周りになじみたい一心で、私は「そんなことないよ」と言い続けた。「埼玉も地方だし、皆と一緒だ」という姿勢を貫けば、いずれ皆が理解してくれると信じていたからだ。

しかし、その年頃の人々は私が思う以上にデリケートで、自由だった。
”転校生”という物珍しさがなくなり、存在だけは岡山の日常に馴染んだ頃。ひとりふたりと、学校で一緒に過ごす子は減っていった。皮肉なことに、私が「あなたと一緒だよ」という思いを伝える分、周りとの距離は離れていったのだ。
忘れていたが、中学1年生の夏は何だかんだで中学生活序盤。地盤固めが重要なこの時期、私の鈍感さと焦りはむしろ「何か鼻につく」とか「他の子といた方が楽しい」という気持ちの方の結束を深めていたのだろう。それは理屈や道理では正せない、仕方のないことだ。
しかし当時は、今までの考えは間違っていたの?と愕然としたし、皆が違うと感じている事実を受け止めたうえで行動をとれるほど賢くない自分にも気づいた。絶望以外のなにものでもない。

季節は移り変わり、修学旅行。
そこで、完全に打ちのめされる出来事があった。

その晩、私は洗面台で洗顔フォームを探していた。ポーチの中をゴソゴソと探っていると、クラスメイトの女の子が「どうしたの?」とひょこっと顔を出した。何の気なしに、「洗顔フォーム忘れちゃったみたいで…」と伝えると、彼女は満面の笑みと大声で

「忘れちゃったんですかぁ〜!?」

と言い放った。
一瞬で、「この子、標準語を話す私を馬鹿にしている」と思ったのを覚えている。今までの考えは間違っていました、という烙印を押されたようだった。
周囲のクスッという笑い声を背後に感じながら、私は恥と怒りにまみれた感情を抑えるしかなかった。

◇◇◇

今思い返すと、これは完全な笑い話である。
あれは清々しいほど見事な煽りだった。
当時はこの世の終わりを感じるぐらいの出来事だったが、あの悪意とはまた違う、〈ザ☆煽り〉としか表せないようなシンプルさに、今は妙に感心してしまう。
私の答えに続く言葉のチョイスや表情、抑揚が、それほどピッタリハマっていたのだ。

そして、そんな感動とともにふつふつと湧き上がったのは、煽ってきた彼女に対する羨ましさだ。
その羨ましさの正体とは、生まれも育ちも岡山の彼女の一言から感じられる、強烈なアイデンティティである。
彼女は「〜ちゃった」という言い回しに面白さを感じたようだが、声に出すことで自身の価値観をより明確な形にしたように思う。その子の元々の性格を差し引いても、ある程度の自信がなかったら言えないことだろう。
(今思えば、岡山弁では「〜ちゃった」という表現をあまり使わない。言い方にもよるけれど、ふざけるときとか、ブリッ子さを揶揄するときに用いる印象が強い気がする)

多くの判断基準がグラついていた私とは反対に、彼女の中にはすでにそれがあった。彼女だけじゃなく、クスッと笑った周囲の同級生たちにも。
正しいか間違いかという倫理観をも凌駕する、その土地の経験則からなる個人の基準。それがあること自体に己を持っている強さを感じたし、羨ましく思えたのだ。

ここでは省略するが、先に挙げた話以外にも笑い話にまで昇華できていない出来事が多すぎた分、上京してしばらくは住んでいた土地の話をすることが嫌いだった。「地元らぶ♡」や「(地元名)Fam♡」とプリクラに本気で書けた者の気持ちも解らなかった。(今は素直に微笑ましく感じる)
東京にいる人がどこ出身だと聞く必要性も感じなかったし、今その瞬間の相手だけ見ればいいと思っていたのだ。

しかし、「ご出身は?」の度々の登場により、そうもいかなくなった。
この質問がキッカケで、自分の生まれた土地や育った場所を考え、当時のことを思い出さざるを得なくなったのである。
それは苦しくて仕方がなかったが、意外にも、貴重な経験だったなぁと笑い飛ばせることの方が多いことに気づいた。何なら1年前までムカついていたけど、今は大丈夫なこともある。図らずも「ご出身は?」のおかげで、感情や視点は柔らかく変わっていくものなのだと実感させられた。


そんな経験を経て、最近は自ら「ご出身は?」と尋ねることも増えた。
「いい場所だね」と感じたままに言うと、ほとんどの人が誇らしそうな顔をする。自分から聞いたくせに「どうしてそんな嬉しそうなんだろう?」と思っていたときもあったのだが、出身地=アイデンティティの一部だと考えると納得できる。
生きてきた証が残る場所を認められるのは、自分自身をも受け入れられることに似ているからだ。そう気づいた途端、「ご出身は?」という質問は、初対面の人との話のとっかかりとしては正しいのだなとも思った。

そして今も、生まれも育ちも同じ人と出会うと、言葉の端々から確立されたアイデンティティなるものを感じる。
故郷で過ごす中で芽生えた感情や恥、過ちなど、今は存在しない気持ちや過ぎ去って消えた時間がありながらも、「帰れる故郷がある」という確かさがそうさせているのだと私は考えている。
変わっていくその人にまとっている、変わらない故郷の面影を感じると愛おしくも思う。

ひとつのふるさとがない私にとって、出身地を褒められたら嬉しいというその感覚はあまりピンとこないけれど、趣味や好きな物事を褒められることに置き換えると想像がつく。

当時、「忘れちゃったんですかぁ〜!?」で喪失感を得た私は、趣味や創作にゴリゴリと精を出した。
幼い頃から絵を描いたり何かを作ることが好きで、イイと感じるものもハッキリしていた分、どんどん熱中していった。
その当時はただただ夢中で、好きに理由など無い!としか考えていなかったが、きっと自分で自分のアイデンティティを作ろうと必死だったのだ。

「出身地は福岡」と答えた延長線でたまに私から語られる岡山には、申し訳ないが「いい場所だね」感を見出すことはできない。
しかし、岡山時代に必死に蓄積していた創作や趣味は、今現在の嗜好や仕事にも確かに繋がっている。
あの頃好きだったものに関連した何かを新たに好きになることもあるし、必死だったあの頃から縁のある友人と語れる物事や時間だって今なおあるのだ。そうしたありがたみも重なって、他の土地よりも温度感を持たせてくれるのだと思う。
伝えきれない背景を持ったものたちを褒めてもらえた日には、やっぱり嬉しい。

そして同時に、ひとりで必死だった人って、自分の想像以上に多かったということも大人になって知った。
今までのこの出会わなさに、皆本当にひとりだったんだなと思うし、強い共感とともにそれぞれの意固地さに笑いもこみ上げてくる。
そんな人々との出会いの中で、ひとりで必死になればなるほど経験した感情や過ち、恥だって、実は涙が出るほど面白くて価値のあるものだったことも学んだ。
(たまに生まれも育ちも一緒だけれどそういう人もいて、先天的な感じゆえのエピソードも興味深くて面白い)

ふるさとというひとつのアイデンティティを持った人は愛おしい。
そして同じように、そういった確かさの類を、自分自身で必死に作り上げた(今なお作り続けている)人も愛おしくて立派なのだ。

「ご出身は?」の先に待っている誇らしい歴史を、私はこれからも聞き続けていきたい。

お笑いが大好きなコピーライターです。