「おま老」と「少子高齢化の日本が迎える過酷な未来」
おま老:「お前もいつか老いるぞ」を略した表現。
社会保険料は増大する一方である。社会保険料が高すぎると「出産・育児なんてする余裕がない」と考える現役世代が増えてゆき、ただでさえ深刻な少子化がもっと悪化する恐れがある。
社会保険料の負担は現役世代に偏り、社会保険料の給付は高齢世代に偏っていることから、「高齢世代に給付する社会保険料を抑制し、抑制した金額の分、現役世代の負担を減らそう」という意見がネットでは目立つようになっている。
その意見に対してしばしば登場するのが「おま老」すなわち「おまえもいつか老いるぞ」である。
「高齢世代に給付する社会保険料を抑制し、抑制した金額の分、現役世代の負担を減らそう」という意見を主張する者は高齢者もいれば若者もいる。そう主張しているのが高齢者であれば「おま老」に対する反応は「もう老いている」などとなるはずである。
では非高齢者層の反応はどうであろうか。
前述した意見を持つ非高齢者層は「自分もいつか老いることを見落としている者」と「そのことを分かった上でそう主張している者」とに分かれる。
前者と後者を見分ける方法は、おま老を言われてハッとするか「そんなん分かってるわ」と反応するかである。
前者は、自分もいつか老いるという事実すら気づいていない時点で、物事を深く考えていない可能性が高い。
ここで注目すべきなのは後者の方である。
なぜ後者は自分自身もいつかは老いるという事実を踏まえた上で「高齢世代に給付する社会保険料を抑制すべき」と主張しているのであろうか。
その答えは、日本の財政への危機感ひいては日本社会の持続可能性への危機感にある。
最低限の知識があれば日本社会の高齢者の割合が上昇の一途であることは誰しも知っている。
要するに彼らは「1950年生まれが受けている平均受給額:2000年生まれが受けることとなる平均受給額=90:50」などのようになってしまう現行の制度を「1950年生まれが受ける平均受給額:2000年生まれが受ける平均受給額=70:70」などのようにしたいと願っているのだ。(もちろん90とか50とか70とかはあくまで便宜的な数字。)
ただし彼らは自分もいつか老いるという事実には気づいているため「自分が老いたとしても2023年の高齢者層と同程度の公的福祉は享受できないだろう」という過酷な未来を見据えてもいる。
しかし、そのような過酷な未来が極めて高い確率で到来するだろうことを自覚した上で、彼らは日本社会の持続可能性を高めるために「高齢世代に給付する社会保険料を抑制し、抑制した金額の分、現役世代の負担を減らそう」と主張しているのである。
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