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染屋の師弟関係

地場産業における世襲制というものは、代々男親から息子へと受け継がれていくのが通常の流れだ。桐生ももちろん、代々親子で事業を継承している繊維会社が大半。
我が家でもそれは顕著で、祖父は後継である父に対して厳しかった。
父は大学を出ると、祖父から半強制的に染屋を継げと、桐生へ連れ戻されたそうだ。私は祖父と父が楽しそうに会話している姿を1度も見た事が無い。思い返してみると1度も見た事がない。これは嘘ではなく本当の話。

2人が楽しそうに話してる姿をなんとか思い出そうと記憶を辿るが、思い出したのは食事中祖父が「晃くん(父)よりお爺ちゃんの方が髪の毛あるんべ!」と笑いながら父の前で私に言ってきたことぐらいだ。その時、父は黙々と食事をして全く笑っていなかった。笑 私はその光景を思い出すと思わず笑ってしまう。

今でも(因みに祖父は10年程前に既に他界している。)桐生の繊維会社の人に言われるが、祖父は染色に熱心な人であり、とても陽気な人だった。染色についての探究心は孫の私からしても誇らしく思うが、老後はその探究心を手品とハーモニカに注いでいた。この手品は至る所で披露していたようで、未だに私は地元の人からその話をされる。
一体どういう会話の流れで手品をそんな仕事相手の人たちに見せてきたのかは、全く検討もつかない。笑 恐らく、普通の流れではそうならないはずである。思い出すと改めて思うが、祖父は中々ぶっ飛んでいた。

無論、身内は祖父と顔を会わす度に必ず手品を見せられたのだった。笑

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