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遠野遥『破局』「文藝」2020年夏号

 正直主人公、陽介の性欲に関する記述が多くて、最初はどうも違和感が先行してしまって、だいぶ戸惑ってしまった。
 さてこの小説を通読すれば、主人公の自信過剰なところが崩れ去っていく作品なのはすぐに気づくけれども、最後の方の唐突な感じがする、灯の告白からの急展開も、読み返してみれば十分最初から練り上げられているつ痛感した。
 陽介がなんとなく下に見ていた友人の膝との対比でを通じて明らかになるのは、陽介の自信過剰なところの中核が、肉体的なところを通り過ぎて、その肉体がもつ欲望自体を、自分はうまくコントロールできているという自負である。すなわち、陽介のあまりよろしくない下心のようなものを、なんとか押し留めているものが2つ提示されて、一つが父は常に女性には優しくしろという教え。もう一つが公務員試験を受けるということとであって、いわばこの2つがある意味陽介の倫理規定のすべてに近いものになっていた。
 この2つのうち、まず父の教えについては、はっきりと無批判的に受け入れたと書かれている。内面はともかく、行動はきちんとしてる自信がある。とこらが麻衣子が政治家を目指していることについて活動していることを、灯にとうとうと語る場面(しかももし立候補したら投票したいとか言っている)とか、灯と北海道に行った時、灯に温かい飲み物を買おうとして売っている自販機を見つけられなくて泣いてしまうというところで、この優しさが所詮受け売りであることが明確に描かれていて、少なくともこのことについてはナルシスト的になっている。
 公務員試験の方は、陽介がなぜ受験しようと思ったかは、はっきりと書かれていない。ただし膝が陽介に志望動機を尋ねようとして、遮らてしまう場面があった。これは重要だと思った。近いところにいる膝も効いたことがなかったからだ。このことで、陽介にとって公務員を目指すということは聞くまでもなく、とても立派で疑問の余地がなく、疑問を投げかけることができないことを象徴していると思ったからだ。
 付け加えておくと、陽介の金銭に対する感覚も見逃せなかった。支払いのときに常にどっちが支払ってるのかというこだわりを描き、陽介の人間関係の構築する上での、最も大事な部分として書かれている。合わせて町中で出会った人に対する卑下しているところも、いくつか出てくる。細かく細かく刻むように陽介の人となりを表している。この2つは展開上大きな発展に繋がっていないが、背景として十分な配慮であった。
 この小説は一見荒唐無稽な感じする。とくに麻衣子と灯という二人の女性が、陽介にとても都合よく現れてくるので、余計にそう思われる。しかしこの部分をカッコに入れて、すなわち陽介のように肉体に恵まれて、現実性は無いかもしれないが、あくまで仮定として、麻衣子や灯のような人が近づいてきたとき、はたして陽介のような勘違いを起こさずにやっていけるのだろうかということを自分に投げかけたときに、この小説が迫力を持って私に迫ってくる。
 はたしてどれだけの人が「自分だけは大丈夫」と言えるだろうか?

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