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失敗したときに罰を与えることについて

こんにちは。

責任について考えてたら、罰についての考察が捗ったので書いておきます。

罰というのは叱る、減給、反省文など色々ありますが、失敗した際に与えられる痛みみたいなものだと思って書いてます。

罰は何のためにあるのか

罰は何のためにあるか考えてみると基本的には

痛みを与えて行動を是正するためにある

のではないかと感じます。

基本的に

人間は快/不快のフィードバックで行動の強化弱化が決まります。

行動によって快感が得られればその行動が強化されます。(褒められる、うまくいくなど)

行動によって不快が生じればその行動が弱化されます。(叱られる、失敗するなど)

この悪い行動を弱化するために罰があります。

罰を与える代わりに

ただ、普通にやってるビジネスマンなら失敗したら、罰がなくても心の中に痛みが生じます。

失敗というのは誰かに迷惑をかけるということなので、ここにさらに罰を与えて痛みが必要かというとどうかなとも思います。

罰を与えるよりもむしろ失敗をはっきり見ることのほうが重要なんじゃないかと思ってます。

その失敗が誰にどういう影響を及ぼすのか、これをきっちり見ていくと失敗がなぜ失敗なのかがよりはっきり認識できます。

また、罰だけだとその行動をやらないようにはできますが、萎縮してより効果的な行動には目が向かない可能性があります。

そして、この行動の影響を見ていくことで、自分の行動が巻き起こしてる影響の構造がわかり次の行動が徐々に効果的なものになります。

なので、失敗したら

失敗を振り返り、
失敗が起こした影響をきちんと見て、
その失敗を成功に変えるにはどうしたら良いか考え次に活かす

ができると最高ですね。

ただ、これをちゃんとやるのはめんどくさいのでお手軽に実施できる罰に走ることが多いのかなと思います。

個人としてはこれを知っておいて実行できるとより成長できると思いますし、組織の構造としては罰を与えるよりも失敗を振り返ってきちんと見るようにしていくと機能するのかな、と思います。

忙しいとついつい楽な方に流れてしまうのが人間なので、言うは易く行うは難しですけどね笑。
がんばっていきます笑。

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