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めい、ごめんね

 結論から書きます。外出する際、遠くから母と姪(小2)が手を繋いでやってくるのが見えたのでわざと気付くように電柱の影に隠れ、1週間ぶりくらいに会う姪は近づくと気づき抱きついてきました。正直じぶんは涙がこぼれそうでした。「もう大丈夫だよ、心配かけてごめんね。おれはこれからお酒を飲まないための会へ行くからね」と言って抱きしめ返して小さな後頭部を撫でました。姪は嬉しそうな笑顔で「いってらっしゃい!」と言って別れました。そして外出から戻って母に聞くと「実家へ行って、おじさんが怖かったらどうしよう」と非常に恐れ心配していたそうなのです。その話を聞いてとても考えさせられました。更にその日行った自助グループでも考えさせられる体験談(参加者の話)を聴きました。自助グループにはルールがあって体験談の詳細は書けませんので大まかな説明になります。それはお子さん達に対する、アル中の自分からの影響について気付き、苦しんでいるという話でした。その体験談を聴きながら、自分もすでに姪にアル中の影響を与えてしまっているんだと気づきました。アル中の中で自分の家族にアル中になって欲しいと考えている人は見たことがないです。自分も父母の飲酒する姿を見て「ぜったいにお酒は飲まない」と心から思っていた子供時代でした。しかし恐ろしい話ですが、アル中自助グループのほとんどの人々はこういう生育歴を持っているのでした。

 姪と甥としばらく会えない状況でした。そして昨日は久しぶりに弟一家も含め、実家での食事となり、じぶんはその間アル中の自助グループへ行きました。なので姪と甥も実家に久しぶりに来れたわけです。それはアル中の自分が最近再飲酒をしてしまい。そうなると弟一家とは会えないからです。そりゃあ物凄く酔っているおじさんのいるところに子供は来させられる訳がないです。弟のみ、通院などの世話をしてくれ非常に面倒をかけています。そうなると義理の妹にも、もちろん父母にも非常に迷惑を掛けることになる訳です。

 プロフにあるように、再度書きますが自分はいわゆる「アル中」です。そして先日1年半ぶりくらいに再飲酒してしまったのです。まぁ酔ってる期間が3~5日は続き、状態は最悪中の最悪で、専門病院への入院まで話は進みました。アルコール科への入院まで話が進むのは、5年程ぶりのことです。しかし、転院したばかりの大学附属病院には空きがなく今はコロナ禍で大変な時期です。それで亡くなった方々のご冥福をお祈りします。そして医療関係者の方々には感謝の念しかないです。普段はそのように感じております。

 なのですが主治医の診察後、ソーシャルワーカーが「2週間後に離脱症状が出る人もいるから、保護室から閉鎖病棟の可能性もあります」を何度言ったかわからない。初めて閉鎖病棟に3ヶ月入院した際、確かに何人かそういう方々はいました。最初は普通の人なので1~2週間後に彼らが正気を失う姿は衝撃的としかいえなかったです。アル中といっても症状は人それぞれ違います。自分の場合、酔いが覚めて1~2日経つと、居ても立っても居られないような離脱症状が1~2日出て大体終わる。1〜2週間連続飲酒した際はどうしようもなく酷い離脱症状が出る。飛び降り自殺を考えるくらいの感じといえば少し伝わるでしょうか?

 確かに、これまでそうだったからといってソーシャルワーカーの言う通り、もっと症状が進んでいて彼の言うような場合になるかもしれないのはわかる。しかし、なんと言われようが自分自身の体のことは最終的に自分が決める。自分は狂人といえど、そういう信念です。そしてその前に会った新しい主治医は考え込んではいたものの「シラフで来院して異常もとりあえず見られない患者さんが、個人の意志で2週間の解毒入院を考えているというなら、それは私には強制できません」(大抵2〜3ヶ月入院して解毒や検査、アル中に関する知識や認知行動療法などをします)」と言った。その後あった入院に関する相談をするソーシャルワーカーには何度「2週間後の離脱の危険性があるから保護室、閉鎖病棟行き」の話をされたかわからない。過去に余程苦い経験があるのかもしれない。だから勿論、こんな時期に一生懸命医療機関で働く彼のことを恨んでいる訳がないです。真面目に仕事をしただけなんですから。

 しかし、自分がソーシャルワーカーに確認したかったのは「じぶんの場合、シラフで禁断症状もとりあえず乗り越えて、自らきているんだから任意入院もできますよね?主治医は確実にそれは言いました」という1点だけだったんです。それなのに何度、1時間ほど保護室と閉鎖病棟行きの可能性の話をされたかわからない。保護室というのは何も持ち込めず、鍵が外からかけられ、1日中食事の時、看護士さんと話すくらいで、愛想のない看護士さんなら会話もできない。たった1分でも。そして少しでも危険行動をとればベッドに拘束される(じぶんは48時間拘束の経験がありますが、場合によっては24時間延長と言われた)。そして「隣人たちの叫びやドアをずっと叩いたり蹴り続ける音」のみ聞こえ、本も何も持ち込めない。これを読む人の中には「そりゃあんたは狂人なんだからそうするしかないだろう」と思う人もいるでしょう。でも、じぶんはこう考えます「そりゃあその通りですけど、2021年にもなって、このやり方は人道的ですか。暴れたり、自殺しかねないとか保護室に入らざるを得ない場合はあるのかもしれない。でも今回のじぶんはシラフで自らの意志で病院に診察と入院の相談をしにきたんです」と。

 以上で今回の話は終わりです。でも自分が話したかったことは最初の段落の「めい、ごめんね」ということと、アル中がその家族に与える影響、アル中は遺伝病であるということです。最後まで拙い文章を読んでいただき、感謝します。自分の文を読んでいただいた方に自分はいつも感じます。それはもう自分には望めないことです。御涙頂戴のようですが、15年以上苦しみの中にいる異端者のじぶんは本気でそう思っております。

 「あなたの人生が、ずうっと心身ともに健康で少なくとも120年は生き、もし苦しみがあっても必ずそれは取り除かれ、素敵な家族たちに囲まれ、最後は自宅で迎えるような人生になることを心から祈っております」

 おわり

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