ミーコ姫

クラニーせんせい(作家・倉阪鬼一郎)の秘書をしています。黒猫のぬいぐるみです。よろしく…

ミーコ姫

クラニーせんせい(作家・倉阪鬼一郎)の秘書をしています。黒猫のぬいぐるみです。よろしくにゃ。

マガジン

  • 倉阪鬼一郎散文詩集

    まぼろしの三詩集『ふるふると顫えながら開く黒い本』『だれのものでもない赤い点鬼簿』『何も描かれない白い地図帳』から。

最近の記事

怪奇都々逸

 夜の墓場に ふと迷いこめば  やがて手が出る 首が出る  夜の鏡に 映るまぼろし  化けてさまよう 俺の顔  俺の背中を 映してみれば  いつの間にやら 人面疽  破顔一笑 気をつけろ  鼻が崩れて 骨が飛ぶ  底無し井戸を 覗いてみれば  殺めたおまえの 声がする  そっと置かれた 死人の指が  今日も冷たい 右の肩  あたりいちめん 串刺し屍体  ことに十字架 晒し首  旅館のおかみが お出迎え  とうの昔に 惨殺された  悪魔祈祷書 ここにもあるぞ  

    • 青い花瓶のある室内

       その花瓶がいつからそこに置かれているのか、もう知る者はいない。  集合住宅の七階の久しくドアが開いていない室内に、青い花瓶が置かれている。うっすらと埃をかぶっている花瓶は値打ちのあるものには見えない。見たところは名もなきただの花瓶だ。  その花瓶に特別な価値があるとすれば、置かれていた場所だ。七階の窓際の室内からはかなり遠くまで景色を見晴らすことができる。  あの日、青い花瓶は見た。いともたやすく世が終わるのを見た。花瓶の肌が赤く染まり、ゆっくりと時間をかけて青に戻っていっ

      • 迷宮

        迷宮の扉が開くのは、百年に一度だと伝えられている。  あくまでも伝承だから、真偽のほどはわからない。そもそも、迷宮それ自体がどこにあるのか、黴臭い地図は何も伝えない。  迷宮の扉は、古い書物の一度も開かれたことがないページに似ている。なぜかそこだけが封印されており、いまだかつてだれにも読まれたことがないのだ。  ただし、それはうらぶれた伝承によくあるような禁断の書のたぐいではない。古い書物のそのページを読んでも、べつに何も起こりはしない。  迷宮も同じだ。仮に見つけて

        • 牧場

          飼育されているのは、一匹の猿だ。なぜ牧場で猿が飼育されるようになったのか、経緯はひどくわかりにくい。ゆえに、だれも語ることができない。  風采の上がらない一匹の猿は、べつに乳を出すわけではない。旨い肉になるわけでもない。ただの猿としてそこにいる。  年取った猿はときおり青空を眺める。そのさまは何かを思い出そうとしているように見える。  だが、猿はずっと猿だった。猿以外の何者でもなかった。猿がかろうじて思い出せるのは、自分が自分であることだけだった。  猿は指さす、毛だ

        怪奇都々逸

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        • 倉阪鬼一郎散文詩集
          132本

        記事

          踏切

          その踏切は開かずの踏切ではない。  開かずの踏切ならさして珍しくはない。警報機が頻繁に鳴り、列車が通る。昏倒しそうになるほど長いあいだ待たなければ、遮断機が上がることはない。  しかし、その踏切は開かずの踏切ではない。なにしろ、いままでに一度も開いたことがないのだから。  そこでは常に警報機が作動している。かなり間延びした、弔鐘のような警報が鳴りつづけている。遮断機の手前には、白い目をした人々が並んでいる。自転車から下り、行儀よく横に並んで、遮断機が上がるのを待っている

          氷山

          氷山ではときおり薔薇が咲く。赤い薔薇が咲く。  増殖と分裂を繰り返す氷山は氷の塊だ。氷であり、氷でしかないそのつるつるした表面に、真っ赤な花弁が嘘のように浮かび出ることがある。いや、本当に嘘なのかもしれない。氷であり、氷でしかないものから薔薇など咲くはずがない。  長く氷でありつづけたものがありもしないまぼろしを見るのは、さして珍しいことではない。それが赤い薔薇だったとしても、何の不思議があるだろう。  氷であり、氷でしかない氷山の、だれにも伝わらない古い寓話である。

          干潟

          干潟では大規模な開発事業が企画されている。目玉になるのは、大きなこけしを立てることだ。普通に大きいだけではいけない。見るものが卒倒するほどの大きさでなければ、わざわざ造る値打ちがない。  全国から集められたこけし職人たちは首をひねった。それほどまでに大きなこけしは、だれも造ったことがなかったからだ。  とにかく首が造られることになったが、絵付けの段階で意見が分かれた。目の直径を何メートルにするかで印象はまるで違ってくる。こけしの顔は優しくも恐ろしくもなるのだ。  事態

          道路

          道路の先端で縊れるのは、最高の栄誉だ。  道路の上に道路ができ、また道路ができる。上へ上へと、新しい道が際限なく伸びていく。工事が終わることはない。必ずどこかに建設中の部分が残る。それは終わってはならない。必ず宙吊りのままでなければならない。  だから、世界が終わらないように、ときには高いところで縊れる者が出る。だれかに命じられたのか、率先して縊れたのか、いずれにしても道路の先端で縊れるのは最高の栄誉だ。  動かなくなった黒い人形のような影に向かって、人々は拍手をする

          溜池

          溜池には、少女の屍体のようなものが投げこまれる。  月のない晩、延々と森の中を引きずられてきた屍体のようなものは、長いため息とともに溜池へ投じ入れられる。それが本当に屍体だったか、あるいは精巧につくられた人形だったのか、知っているのは歌だけだ。外れた調子が正調とされる古い民謡だけが、一片の真実を伝える。  月のない晩、溜池のまわりで酒盛りを続けてきた坊主たちは、間遠に手を拍ちながら古い民謡を唄う。同じ顔をした目のない坊主たちが一人残らず眠ってしまうまで、溜池のまわりで宴

          砂場

          砂場には老人が訪れる。齢を重ね、腰が充分に曲がらなければ、その砂場に入ることはできない。  美しい藤棚で飾られた砂場は、棺のような矩形だ。風に揺れる藤の花をときおり見上げながら、老人たちは砂遊びをする。  その手つきはぎこちない。まるで初めて砂場に入る子供のようだ。  蜂が飛んでいる。かすかな羽音が響く。長い昼下がり、無言の砂場で浄土のような花が揺れる。  まだ老人ではない遅れてきた者は、黙ったまま瞬きをし、鉄棒に歩み寄る。砂遊びの老人を見ながら、物憂げに懸垂をする。

          更地

          更地には一輪だけ花が咲く。  名もない花はこの世に存在しないと言われるが、その花には本当に名がない。通称も学名もない。なぜなら、その花は観察者が名づけようとする意志を根こそぎ奪い取ってしまうからだ。  一瞬の放心のあと、観察者は空を見る。ただ青いだけの空を見上げる。そして、自分がいま何をしようとしたのか、名づけようとした瞬間に忘却してしまうのだ。  更地には花が咲く。一輪だけ、本当に名がない白い花が咲く。

          画廊

          画廊に飾られているのは、いまのところ額縁だけだ。大小さまざまな額縁が暗い壁に飾られている。  順路に従い、画廊の客は額縁を観る。前に立つと、硝子が嵌められていることがわかる。そのつるつるした表面に、客の顔がぼんやりと浮かびあがる。客はそれをしばし観て、無言で立ち去っていく。  額縁の中には、いずれ絵が飾られる。それがどんな絵なのか、客は知らない。まだ何もわからない。

          枯野

          枯野の果てに人影が現れることがある。ひどく弱々しい影は立ったまま彼方を見ている。ただ呆然とそこに立ちつくしているように見える。  だが、そうではないのかもしれない。彼もしくは彼女の目には、決然たる意志の光が宿っているかもしれない。次の瞬間には、その意志に基づいて、何か決定的な動作が行われるのかもしれない。  しかし、それはだれかがそこに置いた人形かもしれない。ただ人のふりをしていただけなのかもしれない。  いずれにしても、近づけばわかる。枯野の果てに忽然と現れた人影の

          小川

          小川が始まるところには、一本の赤い杭が立っている。  だれがいつ立てたのかわからない。そこから小川が始まるから杭を立てたのか、あるいは杭が立ったから小川が始まったのか、それもわからない。  いずれにしても、水が流れはじめるのは、赤い杭の先だ。杭の上手から流れることはない。  いくつかの支流を合わせ、川はそれなりの幅になる。下流に住む人々は川に架けられた橋を渡り、長い時間をかけてここへやってくる。  そして、赤い杭を確認し、ほかには何もないことを確かめ、一つ長いため息を

          暗渠

          その川が暗渠に変えられたのがいつか、文書には記されていない。どうして地下を流れることになったのか、目的もわからない。なぜなら、暗渠の上に広がっているのは、いちめんの荒野だからだ。  荒野の下を、暗渠は流れる。そこを流れているのは水ばかりではない。ごくまれに、薔薇も流れる。だれにも心を開かず、長い一生を黙りつづけた老婆の涙のような、一輪の薔薇が流れる。  その薔薇は、本当は目を瞠るほど赤い。しかし、だれにも見られることはない。薔薇が流れるのは暗渠の中だ。光は薔薇を照らさ

          悪所

          その橋を渡ると悪所になる。  遠い昔から、そこは悪所として知られていた。橋向こうへ行けば、悪に染まる。ひとたび悪に染まれば、もう普通の生活に戻ることはできない。  銭を数える代わりに、骨の数を勘定する。その手で殺した屍体にいくつ骨があったか、正確に申し立てることができるようになったら、もう一人前の悪だ。だれに憚ることなく、思うさま悪所へ通うことができる。  悪、と染め抜いた黒い法被を着て、男たちは走る。橋を駆け抜け、夜を走る。母のように光る悪所へといっさんに走っていく